光の差す場所へ

 一体なんなんだろうか。マリアは、地上で起きている騒ぎについてそう思うことしか出来なかった。この2年間、外界からは隔離されており、彼女の元を訪れる姉たちも外のことについては一切触れていなかったからだ。


 当然、王国で革命が起きていることなど彼女は露知らず、少し上が騒がしいなと言う感想を抱くだけであった。


 彼女が異常に気づくのは、単なる騒ぎではあり得ない音──銃声が響くのを聞いたからであった。堅牢な造りをしている地下牢に響いたその音は、反射的にマリア身体を震わせた。


 マリアはその音を聞いたことがあった。彼女の最も敬愛する祖父、その命を絶つのに使われたのが銃であり――そして彼女もその場所に居合わせたからだ。彼女の脳裏には2年前の風景が浮かび上がり、そして直後に激しい恐怖が襲ってきた。


(お爺様……!)


 久しぶりの一家での会食。父や姉妹の不気味な笑み。そしてドアを破って現れた侯爵家の警護兵。父が僅かに手を上げ、それに合わせて祖父に銃を向ける兵士たち。そして――


「……ッ!」


 マリアは激しい吐き気を催し、咄嗟に口を押さえた。意識的に閉じ込めてきた事件の記憶が、フラッシュバックしたのである。呼吸は乱れ、額に脂汗が滲み出る。自分が今どこにいるのかすら分からなくなり、ただひたすらに恐ろしさだけが頭を支配していく。


 マリアは片手で口を押さえ嘔吐しそうになるのを耐えながら、もう片方の手を胸に当て、何とか自分を落ち着けようと試みる。心臓は激しく脈打ち、激しい頭痛に襲われてはいたものの、しばらくすると発作は収まった。


(私は……どうなるの?)


 しかし、何とか落ち着いた彼女が平静を取り戻すことはなかった。冷静になった彼女の脳は、フラッシュバックによる激しい衝撃から回復した後――"今"の現象、すなわち武装した何者かが侯爵邸に侵入しているという現実に直面することになった。当然、その現実は彼女に根源的な恐怖を掻き立てた。


 過去の恐怖から現在の恐怖へと切り替わったことで、マリアの思考は再びパニックに陥りかけたが、どうにか持ちこたえる。しかし、だからと言って彼女にできることはなかった。上ではまだ銃声が連続して鳴り響いており、異常事態が続いていることを彼女に知らせていた。


 それが何者かなどマリアの預かり知らぬことであるが、もし仮に侯爵家に恨みを持っている人物であれば、当然彼女もその手にかかることになるだろう。


(お爺様……神様……どうか、どうか私をお守りください……)


 マリアは心の中で必死に祈りを捧げながら、ただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。しかし、そんな彼女の祈りを嘲笑うかのように、地下牢の扉が大きくあけ放たれる。


『突入しろ!抵抗する者は射殺して構わん!』


 久しく浴びることのなかった光の眩しさに思わず顔を背けるマリアをよそに、軍服を着た男たちが次々と地下室へと入ってくる。彼らがその手に持っているもの――小銃は光に反射し、鈍く輝いていた。


『誰かいるぞ!』


 兵士の一人がマリアの姿を認め、叫ぶように言う。その言葉に、他の兵士たちは一斉にマリアの方へ視線を向けた。マリアの眼は長い間暗い地下牢に監禁されていたせいか明順応がうまく起こらず、彼女からは見えなかったが、兵士たちはマリアを見て困惑の表情を浮かべていた。


『……女です。いえ、少女と言ってもいいかもしれません』

『見たところここに監禁されていたようです。かなり衰弱しているように見えますが、無事でしょうか?』


 眼が見えないながらも、兵士たちが何かを喋るのをマリアは聞いていた。その内容の殆どは理解できなかったが、少なくとも彼らがマリアに対して好意的な感情を抱いていないことは分かる。


 何とか少なくとも表面上は平静を保とうとするが、死への恐怖は隠しきれない。視界が徐々に戻り、兵士たちが自分に向けて銃を向けているのを視認したその瞬間――彼女は意識を失った。


――――――――――


 一体どれほどの時間、意識を失っていただろうか。マリアが目を覚ましたのは、地下牢とはまるで違う、辺り一面真っ白な空間であった。彼女の記憶は兵士たちに銃口を向けられたところで途切れており、その後何が起こったのかは分からない。しかし、状況から考えれば――


(ここは天国?もしかしたら、私は死んでしまったの?)


 マリアはそう思い、慌てて周囲を見回す。すると、部屋の中央に人影が見えた。それはマリアと同じ銀髪を持つ女性で、彼女はマリアに向かって微笑んでいた。マリアは直感的に、目の前の女性が自分の信仰する神なのだと考えた。


 そして、彼女はすぐさま膝をつき、頭を垂れた。


「恐れ多くもお伺い致します。あなた様が私の主、神様なのですか?」


 声を震わせながら、マリアは訊ねる。しばらくにらみ合うような沈黙が続いたが、やがて女性が口を開いた。


『ええ、そうです。私が汝にとっての神――『革命』の神です』

「かくめい?」


 マリアは首を傾げる。ルスターで、そして大陸で広く信仰されている宗教――太陽教会の教えでは、この世を創り給うた唯一絶対の創造主たる神と、その御遣いたる天使のみが実在するとされていた。


 しかし、目の前の女性は自らを『かくめい』なる神だと名乗った。その事実はマリアに違和感を与えたが、そんなものよりも大事なことを確かめるために、彼女は口を開いた。


「あの、神様。不躾なことを伺って申し訳ありません。私は……死んだのでしょうか?ここは天国なのですか?それとも――」


 マリアの言葉はそこで遮られた。神を名乗る女性は、しばらく目を閉じて黙り込んでいたが、ややあって再び口を開く。


『いいえ、汝は死んでいません。汝には、果たさなければならぬ責務があるのです。それを成すまで、死ぬことは許されません』

「えっ……?」


 自らが死んでいないという神の言葉を信じられず、マリアは思わず目を見開く。そんな彼女を、女神は再び笑みを浮かべながら見つめる。


『汝には、地上における私の代理人としてこの大陸の民を圧政から解放するという使命があります。『革命』は汝をあの暗い地下牢から救い出したように、多くの人を苦しみから救い出すでしょう。汝の果たすべき役割は、とても大きいのですよ』

「……私の命が本当に救い出されたのなら、その命を使命のために費やすことは厭いません。しかし……私はこれまで甘やかされて育った一人の弱き女にすぎないのです。そのような大役、私ごときに務まるのでしょうか……?」


 マリアは不安になりつつ言う。しかし、その言葉を女神は一蹴した。


『自らを卑下するのはおやめなさい、マリア。汝は長い間薄暗い地下に閉じ込められ、凄惨な仕打ちを受けてなお信仰と恩義ある人物に対する仁義を決して翻さない意志の強さ、何より清廉潔白にして高貴の精神、そして明晰な頭脳を兼ね備えた稀有な人間です。それに――』

「そして?」

『私とて、何もせず汝を天上から見守るだけではありません。もし必要とあらば、汝の下に現れ奇跡の力を以て汝を助けることでしょう。私は汝に力を授けます。恐らくは今はまだ制御が出来ぬ力であるとは思いますが……汝が成長した暁にはその真価を発揮することが出来るようになるでしょう。その力はきっと、多くの人々を救うことになります』

「……分かりました。あなた様にそこまで言って頂けるのであれば、喜んでそのお役目果たしましょう。それで、何をすればよろしいのですか?」


 マリアはすっかり目の前の女神を信じ、その言に従うことを決意していた。彼女が神かどうかはともかく、彼女はマリアの名前を知っているだけではなく、その境遇やさらには心の中身まで知っているのだ。神に非ずとも、マリアに対し啓示を与えるべく現れた存在であるということを疑う余地はなかった。


 マリアの問いに、女神はしばし考えた後に答える。


『しばらく後に、汝の下に使者が訪れるでしょう。彼は汝に『革命を守る』ことを勧めるはずです。汝はその言葉に従いなさい。さすれば、自ずと汝の使命は果たされるでしょう』


 そう告げると、女神はマリアの手を取る。その瞬間、マリアは自分の中に力が注ぎ込まれるのを感じた。その圧倒的なエネルギーに、マリアは思わず気を失いそうになるが、どうにか持ちこたえる。


 しばらくすると女神は手を放し、マリアに微笑みかける。


『マリアよ。私が汝に今伝えられることは以上となります。今は分からぬことも多いかもしれませんが、いずれ分かるときが来ることでしょう。それでは、私はこれで失礼します』


 そう言い残すと、女神の姿は徐々に薄れていく。マリアは慌てて立ち上がり、その姿を追おうとするが、次の瞬間には消えていた。


「…………」


 マリアは再び辺りを見回すが、そこには誰もいない。ただ、白い空間が広がっているだけだった。

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