12

 真摯な声が、メディの胸を貫いた。息ができなくなる。

 その力強さに、腕をつかむ手の熱さにメディは傾いてしまいそうになった。寸前でなんとか踏み止まる。


「だ、だめです! 冷静になってください! クロードさんには立派な身分も将来もある、なのにこんな禁忌に手を染めた人間を側に置くなんて……!」

「構わない。私にとってはなんの禁忌でもない。むしろこんな僥倖があっていいのかと思うほどだ」


 その言葉が、声の強さがメディの反論を封じようとする。

 一瞬言葉を失うほど、メディの頬が熱くなる。だが浮ついた自分をなんとか戒め、反論した。


「だ、駄目ですって! 幼い頃の恩をずっと覚えてくれているのかもしれませんが、もういいんです、こればかりは……!」

「いやだ」

「! い、いやだって、これはそういう問題じゃ……!」

「そういう問題だ。それに私にとってもはや恩とか返礼といったものではない。運命なんだ」


 断言され、腕はつかまれたまま、メディはしばし言葉を失った。顔がひどく熱い。


「変幻の魔法が秘密にすべきことなら私は墓場の中にまでそれを持っていく。他には? 他に何が問題だ? あなたの望むことは?」

「そ、そういう……っ」


 メディは大いに狼狽えた。クロードはもはや身を乗りださんばかりで、熱意が痛いほど伝わってくる。


 ――どうして。

 頭の中をぐるぐると疑問や不安が巡る。ゆらゆらと揺れて、傾きそうになっている。


 ふいに、クロードの新緑の目の中で光が揺らいだ。


「私と共に来てくれ、メディ殿」


 熱に濡れた声が重ねて言った。それはほとんど懇願しているようだった。

 その眼差しが、声がメディを大きく揺らす。いけないとわかっているのに、足元が揺れて吸い寄せられていきそうになる。


 ――かつてこれほど熱心に求められたことはない。


 それでも。この禁忌の力で彼に迷惑をかけるわけにはいかない、巻き込むわけにはいかない――。


 メディは奥歯を噛む。この力さえなければ、と腹の底が焼けそうなほど悔いた。神殿から逃げたときでさえ感じたことのないほど強く、思った。

 結局、この力で何ができたのだろう。私欲に使っただけではないか。


 ごめんなさい、と震える唇に乗せようとしたとき、クロードの声がそれを覆った。


「禁忌がなんだというんだ。あなたはその力で、二度も私を助けてくれたじゃないか」


 少し怒ったような声。

 けれどその言葉は、メディをひどく打った。

 クロードの目にも顔にも、慰めの色はない。ただ本気で、禁忌として考えることに怒っているようだった。

 そのすべてが――メディに強く焼き付き、世界を揺るがした。


 メディは慌ててうつむき、唇を引き結ぶ。そうしなければ、ふいにこみあげてきたものが溢れてしまいそうだった。


 クロードの言葉と眼差しは美しい緑色の炎のようだった。

 自分の中で凝っていた何かが溶かされてゆく。


 こんなにも――受けいれられることを求めていた。

 この禁忌の力ごと肯定してくれる誰かを。


「……メディ殿。私がどれほどあなたを探していたか、知っているだろう?」


 メディは目を震わせる。薄く唇を開く。けれど言葉にはならず、かすかに震えて閉ざした。

 知っている。

 ここ数日だけとはいえ行動をともにして、クロードがどれだけ強くエクラを探し求めていたのか、間近に見ていたのだから。


 十年も前に会っただけの狼を、彼はずっと忘れずに探そうとしてくれていたのだ。

 あのときの少年と同じ色の目が、切実な光を持ってメディを射る。


「私はもう、あなたを見つけてしまった。ここで私と来てくれなければ、ずっとあなたを追いかける」


 抑えた声。けれどそれゆえに秘められた熱がいっそう滲むようで、メディの体はかすかに震えた。


 クロードはもはや、女性が苦手だといって目を伏せるような仕草も、言い淀むような様子も見せない。

 必死にすがるように腕をつかんでいた手がふと緩み、ゆっくりとメディの腕をすべり落ちてゆき、手を取った。

 そろえた指に恭しく唇を落とされたとき、メディは息を止めた。


 まるで宝物を押し頂くように、クロードはメディの手を自分の額に触れさせた。


「私の美しい狼。ずっとずっと、あなたを探していたんだ」


 祈るように。願うように、青年は言った。


 メディの視界が揺れる。恭しささえ感じる青年の姿が、かつて神殿で見た、救いを求めてやってくる者たちに重なる。

 ひたむきな、あるいは切迫した目。何を捧げてもという強い願い。覚悟。


 メディはかつて、それらの人々を救えなかった。彼らが求めているのは無力な聖女メディではなかった。


 ――けれど、いまこの目の前にいる青年は。

 ぐらぐらと心が煮立つ。入り乱れた感情で細波が立ち、全身に広がってゆく。様々な考えが去来して、何一つまとまらない。


 それでも、たった一つわかることがあった。

 これほど熱を向けて、ひたむきに自分を求めてくるクロードを――もう、突き放すことなどできない。


 クロードがゆっくりと顔を上げる。メディの手を取ったまま、新緑の目で真っ直ぐに見つめてくる。


「私と一緒に、来てくれるか?」


 取られた手を、静かに握られる。言葉とは裏腹に、離すつもりはまるでないのだというように。


 メディは笑った。

 瞳の淵から涙が一筋こぼれていった。

 そして、あの日森で出会い、十年を経て再会した青年に答えを与えた。




 ◆




「お前に手紙だとよ」

「はあ? 手紙?」


 ベティは夫が訝しげに差し出した封筒を、もっと訝しげな顔をして受け取った。

 このきわめて辺鄙へんぴな村に、しかもただの農民の妻でしかない女に手紙など来ない。そもそも文字を読める人間がほとんどいないのだ。文字を読めるベティはかなり珍しい。

 だがそのことを知っている人間、しかもそれを利用して手紙を送ってくる人間になど心辺りがない。


 封筒をめつすがめつし、叩いたりひっくり返したりしたあと、ぎこちなく端を破いた。

 中には小さな、羊皮紙の破片が入っていた。書かれていた文は短かったが、読んでベティはあっと声をあげた。


「なんだよ、何が書いてあったんだ。そもそも誰からだ」


 夫がいやそうな顔をして聞いてくる。

 ベティはにやにやと笑った。


「ふふ、ちょっとね。変わった友だちが、二九にもなってようやく結婚したらしいわ。あたしに顔も見せないで嫁いでくなんて慌ただしいったら。――まったく、どこの奇特な相手をつかまえたのかしらね?」



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お探しの初恋相手はたぶん私です、とはとても言えない。~逃亡した元聖女、もふもふをこじらせた青年と再会する~ 永野水貴 @blue-gold-blue

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