第2話 〝黄金妖精のベル〟

 夕食が終わり、シスは自室に戻っている。今のうちに〝王の書〟に目を通そうと考えた。机に座り魔石灯で〝王の書〟を照らす。一ページずつ捲っていくが、古代共通語――オルドコモンで書かれており、読みこなすのは難しい。


 トントンとドアを叩く音が聞こえた。この控えめな叩き方はフィオだなと推測する。そして凛とした一言声をかける。


「フィオだろ……入っていいぞ」

「お兄さま……ファイアボールの的当ては?」

「ああ……――そうだったね。じゃあ一緒に行こうか?」


 そう言ってみるがフィオは顔を可愛らしく横に振る。サラサラとした銀色の髪が揺れた。ただ単純に、二人だけの時間を過ごしたいだけなのだ。そう思って、何か話をしようとするとフィオが話す。


「お兄さまは……〝王の書〟を早く読みたかったんでしょう? 私は近くにいるだけだから……気を遣わないで、ゆっくり読んで欲しいわ」

「んん~? 無理してやせ我慢していないか?」

「私はお兄さまの本棚から英雄ジークフェルデの本でも読むわ」

「最後の魔王を討った二〇〇年前の魔導騎士の話か。でもそんなのもう何度も読んで知っているだろう?」

「いいの。お兄さまと一緒にいるのが好きなだけ」


 了解したとばかりに、魔法ペンをトントンと叩くシス。するとシスが考えていることが、白紙のノートに映し出されていく。魔法ペンは高いが、それだけの値打ちがある魔道具だ。自分の考えが整理された状態で、書き記されていく。インクさえ切らさなければ、魔法の効果はずっと続く。


「(この表紙に描かれているのは、破竜の紋章だ。今は滅んだ二〇〇年前の魔王の紋章だ。何か関係があるんだろうか?)」

『あら、シス……――妖精の時間にお勉強かしら』

「ベルが起きる時間か……大分時間が経ったな」


 リンドベルは、シスの友達の妖精だ。緑色の髪と金色に光る瞳を持ち羽根が生えている。肌の露出の多い衣服を着ており、女性かと見紛うばかりだ。だが、妖精に雌雄はない。そして妖精に好かれる者は数奇な人生を送るともいわれている。


「ああ……――ベルちゃん久しぶりだね」

『あらあら……フィオちゃんは読書? 似合わないわね』

「ベルちゃんは――相変わらず毒舌だね。泣いちゃうぞ?」


 リンドベルは、広い部屋を飛び回る。金色の粒子が鱗粉のように軌跡を描く。リンドベルは黄金妖精といわれる希少な妖精だ。気が小さい妖精が人に馴染むことが難しいのだが、リンドベルは、幼い頃、シスと深い森の奥で運命的に邂逅した。今では家族のような関係性にある。


『あらあら……シスが読んでいるのは……?』

「〝王の書〟っていう古い魔導書だよ。ベルはなにか知っているの?」

『〝王の書〟ねえ……まあ、そのうち分かるわ。それより……シス、いつもの甘いのは?』

「ああ、ベル……――蜂蜜酒だね」


 机の棚から小さなガラス瓶を出して少しだけ小さな器に流す。その小さな器を両手ですくい上げて、リンドベルはぐびぐびと蜂蜜酒を一気に飲み干した。プハーッと溜め息をついてから、シスの手のひらの上に乗っかる。毎度毎度の定番だった。


「お兄さま……――それってお父さまがお母さまから隠して飲んでいる蜂蜜酒じゃない?」

「料理長には口止め料を払っているから平気さ」

『悪い人間がいたもんだわね』

「悪いのは酒の味を知った妖精だと思うけどな」


 シスの手のひらの上で、顔を上気させたベルが寝っ転がるとシスは片手で〝王の書〟を捲った。ところどころに虫食いがされている。古代共通語がまだ完全には取得できていないので、どこかの歴代の王を賛美していることしか分からない。ラナフォード公国の魔法学院に行けば自ずと分かるだろう。


「お兄さま、お兄さまの夢を訊かせて欲しいな。思えば今まで一度も訊いたことがないよね」

「僕の夢か……立派な召喚士になりたいな。あと僕たちの先祖のローバレルみたいに女の子からモテたい」

「前半は格好いいのに、後半が不潔で不純ね」

『フィオ……――男は野獣よ。頭の中の半分はスケベなことしか考えていないわ』

「ふ~ん、お兄さま……――私と彼女どっちを取るって話になったらどうするの?」

「いい、命に優劣は……つつ、付けられないよ」


 酔っ払ったリンドベルは、シスが狼狽えながら答えるのを見て、ケラケラと他人事のように大笑いした。その様にイラっとしたシスは小さな空になった器で小突く。いじらしい反撃のつもりだが、それすらも黄金妖精リンドベルの笑いを誘うだけだった。


「ねえねえ、お兄さま、時々遊びに行ってもいいかしら」

「ラナフォード公国は東の辺境だぞ?」

「んんん、じゃあ、お兄さまは里帰りしてくれるの?」

「研究に励むわけだから、そう何度も里帰りはできないだろうな」


 ポフッという音がして、フィオが枕へ、無造作に、乱暴に、顔を埋めた。魚のひれのように足をバタバタとさせる。なにか気に入らないことがあるのだろう。椅子の向きをフィオに向けるとフィオはガラス色の透明な雫を垂らし始める。兄が遠くへ行くのが寂しいのだ。今まで、フィオと二人っきりで色んな事をした。滅多なことでは怒らない父アーヴィンが激怒することも何度かある。


「お兄さまは、仕方がないね。私、たまにラナフォード公国に顔を出すよ」

「まだ未踏のダンジョンの遠征か?」

「うん、ロンドニキア大陸中央地域は竜王国の領土だからダンジョンはほぼ踏破されて消えたけど……ラナフォード半島はまだ未開拓のダンジョンが沢山あるわ」

「その先は桜花國か……――サムライとかニンジャがいるんだよな」


 その昔、異世界から迷い込んだ人々が科学文明を作ったとされている。その名残か桜花國には、独自の文化があり、実り豊かな平和な国だと訊いている。ロンドニキア大陸のほぼ全ての人が東の果てにある極東の島国に憧れるのだ。


「フィオ、俺がいないからって無茶するなよ。お前が強い召喚士だとしても……ダンジョンは地殻変動は起こすし、モンスターは無限に沸くからな。それと階層主にダンジョン主……強いんだろうな」

「お兄さまは、本当に……――夢を諦めてはいないのね」


 ――――夢を見続けろ、それがお前の才能だ。


 かつて、大魔導士――グランドメイガスと呼ばれ、あらゆる魔法を覚えたという英雄の――男の言葉だ。シス・バレッタはその自伝を初めて読んだ時の記憶を忘れない。自分で自分を諦めない。それがシスという一人の男子の芯を貫いている。


『シスは頑固で融通が利かなくて、それでいて不器用だから、生き方なんて早々には変えられないよね』

「一言も二言も多いけど……――俺は夢を見続けるって決めたんだ。その夢がどんな価値を生むかは、これからの生き方次第だと思う。才能を努力が上回ることもあるし、指一本の先は闇さ」

「お兄さま、ダンジョンに潜るような真似だけは絶対にしないでね」


 綺麗なソプラノの声が響く。シスより大分高い声だ。


『分かっているよ』


 代わりに、リンドベルが答えたのだ。


「ベル、明日は蜂蜜酒なしだぞ」

『それは……――ごめんなさい。許して欲しいわね』

「謝るなら最初から悪戯をしかけるなって」


 あははは、とフィオが笑って、シスの枕に顔を埋める。

 シスが〝王の書〟の詳細を知るのはまだ先のことだった。

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