第5話 悪女、婚約破棄を提案する。
「あたくし、ず~っとあなたが嫌いだったのよ!」
シシリーの隣の席の子、アニータ=ヘルゲは廊下をずんずんと歩きながら文句を告げてきた。
「いーっつも隣のクラスの姉にこき使われてウジウジウジウジウジウジウジウジ。そんな光景をいつも隣の席で見せつけられている身にもなってちょうだい! イライラしてしょーがないですわ!」
いや、押しつけが酷くない?
でも、虐められている光景を見てイライラしていたということは、彼女なりに心配はしてくれていたということなのだろう。根は悪くない子なのかもね、と思いながら、今日の授業も終わって彼女の寮部屋に伺おうとしていた時だった。現代の化粧品について教えてもらうのだ。
「シシリー、こんなところに居たんだな!」
そう声をかけてくるのは、一人の男子学生である。青いリボンだから……学年が違う様子。年下かな。短い茶色の髪に青い瞳が妙に緩く見えるのは、あふれ出る彼の残念そうな知性がそうさせているのかな。
「聞いたぞ、今日は授業で大活躍したようじゃないか! その栄誉を讃えて、ぼくの宿題を代わりにやらせてやってもいいぞ!」
「……あなた、それ本気で言ってるの?」
思わず脊髄反射で答えてしまったけれど……通りすがりの生徒たちがざわめきだす。隣のアニータが思いっきり吹きだしていた。当の本人は目を丸くしたまま固まっている。
「あ、当たり前だろう? おれは貴様の婚約者だぞ?」
「えーと、いつの時代からお嫁さん候補に宿題をしてもらう旦那さんが偉くなったのかな?」
少なくとも八百年前の価値観では、白昼堂々女性に仕事を押し付けてくる男性は『甲斐性なし』と言われていたと思うんだけど……ここまで堂々とされちゃうんだもの。さすがに価値観が変わったのかと戸惑ってしまう。
だけど、隣のアニータが「よく言った!」と背中を叩いてくるから……あながち私は間違っていないのだろう。それなら言い返しちゃっても大丈夫だよね?
「素直に『馬鹿なおれに勉強を教えてください』と頭を下げてくるならやぶさかでないけど、私が代筆したところであなたにメリットは一つもないはずだよ。将来あなたがどんな偉い人になるのかならないのか知らないけど、勉強が必要だから学校に通っているんだよね? 自分に期待して投資してくれている両親のためにも、サボり癖は早めに直した方がいいと思うよ」
我ながら、優しく諭してあげたつもりである。
それなのに、未だ名前も聞いていない少年(本当にシシリーの婚約者なら名前は知っていなきゃいけないんだけど)は、わなわなと震え出した。
「それが婚約者に対する言い草か! 枯草を貰ってやろうとしているんだぞ!」
「うん。じゃあ、その婚約は破棄でいいや」
私が笑顔で提案すると、彼は再び目を丸くする。それは周囲の生徒も同じようだ。だけど……こんな男、シシリーの利になることなさそうだよね。
「解消じゃないよ。破棄ね、破棄。あなたは『シシリー=トラバスタ』に相応しくないや。結婚ってさ、幸せになるためにするものでしょ? あなたが相手じゃそんな未来、欠片も想像できないしね。それじゃあ、さよなら」
そう言って立ち去ろうとしたのに……待ったをかけてきたのは、まさかのアニータ。
「やや、貴族同士の婚約でご両親に相談せずにそれはまずいですわ! あたくし個人としては『よくやった!』と褒めてやりたいところですけど」
「あ~……そういうものか。ちなみに、家督的にうちとあちらさん、どっちが上だかわかる?」
「え、それはトラバスタ侯爵家の方が歴史的にも上だと思いますけど。あちらは伯爵家の中でも新興貴族ですし」
なるほどねぇ。社交界の地位を上げたいがために、お金を盾に結んだ婚約って感じかな。見るからにあの坊ちゃんは『ボンボン』て感じだし。つまり同時に『トラバスタ家』は歴史はあれどお金に余裕はない……てところかな。
それなら~……、私の取る選択は一つだろう。
「じゃあごめんね。一先ず『婚約破棄』は撤回させてもらっていいかな。この一年間であなた以上の優良株を探してみるわ。どうせ学生のうちに結婚までは進まないだろうし。それまであなたのことは保留にさせてちょうだい。じゃ」
別に新興貴族が悪いわけじゃないけど、あの残念な男はない。シシリーの意向は聞いてないけど、もっといい男なんてごまんといるだろう。さすがにここは貴族学校。爵位もお金もあって、性格もいい人だってきちんといるはずだ。
そう踵を返そうとした時、ふと視線に入ってくる色男が一人。猫毛が特徴の美男子アイヴィン=ダールである。彼が片手をあげているから、話しかけてもらいたいのだろう。
「ちょうどいいところに。ねぇ、私にピッタリのいい男に心当たりないかな?」
「それなら俺なんてどう? 今はフリーだし、将来もあの成金坊ちゃんより有望だよ? 俺としてもきみには興味津々でね」
「へぇ。じゃあ候補の一人に入れておこうかな」
正直、こんな軟派で胡散臭い男は御免である。もっと誠実で真面目な男の人の方がシシリーを大事にしてくれるだろう。これでも伊達に八百年以上生きてないからね。人を見る目はあるつもり。
だから気のない答えを笑顔で返して、私はアニータに腕を絡める。それこそ、この子が男の子だったら良かったのに。実際、腕を組まれて恥ずかしそうにしている姿が愛らしいしね。
「私と腕を組むの、嫌?」
「べ、別に! 好きにしたら?」
そうして廊下を立ち去ろうとしていると、暫定婚約者の少年が「貴様~、パパに言いつけてやるからな‼」と捨て台詞を吐いている。そういや、彼の名前はなんて言うのだろう。ま、知らないでも何とかなりそうかな。
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