『フィリップの独白、あるいはヴァン観察記録(2)』✦フィリップ視点(二年臨海研修)
フィリップ視点(本編22~24話・クラーケンに襲われたあとクラゲ毒にて生乳パニック☆のあたりです)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二年の五ノ月、皆が待ちに待った臨海研修である。
砂浜訓練の一日目を終え、いよいよ水着を着て海に入る二日目。
朝食後、部屋に戻った僕たちはマットレスにごろりと寝そべった。実習は女子からなので、着替えるには早いのだ。
「あ~~~女子の水着姿が見たぁ~い~!」
「なんで一緒じゃねぇんだよぉぉぉ」
そう呻くクラスメイト二人にため息をつく。
「そういう目線の男子がいるからじゃない?」
「そっ……正論ですけど正しくないですよ殿下ぁ! 殿下だって見たいでしょう!? 女子の水着姿!!」
「黙秘します」
そりゃあソフィーさんの水着姿なんて見たいに決まってる。でも自分以外にも見られてしまうのなら話は別だ。
「そういう殿下がオレは好きですよ……」
「でもでも、マリエラ様の水着姿とか、今日を逃して見れる日あると思います!? ぜってー綺麗じゃん、美しいじゃん、踏まれてみたいじゃん……!」
クラスメイトにもマリエラに踏まれたい願望がいたのか……と遠い目になる。しかしそんな話をしていると必ずあの男がやって来ること、分からないはずもないのに。
「へーぇ。君もマリエラに踏まれたいの。知らなかったなぁ」
いつの間にか来ていたヴァンが、開きっぱなしの扉にもたれかかって低い声で言った。クラスメイトは小さく悲鳴をあげ、数秒前の己を呪った。
「……そういうヴァンも、見たいだろ?」
果敢にもそう言うクラスメイトに、ヴァンは惚れ惚れするほど綺麗に笑った。当たり前だろ、ってやつである。
「でも俺は別に踏まれたいと思わない。マリエラはそういう趣味ないからね。君はどうしてマリエラに踏まれたいって思うの?」
「うっ……だって、彼氏になりたいとかそんな分相応な願いは無いけど、踏むんだったらワンチャン踏んでくれるかもしれねーじゃん!」
無謀にも宣うクラスメイトだった。ヴァンは笑顔を引っ込めて真顔になる。
「ワンチャンもねーよ」
「うわぁぁぁんヴァンが苛めるぅぅぅ」
茶番である。クラスメイトたちはこうやってヴァンと遊ぶのが楽しいらしい。
そんな雑談をしながら部屋でごろごろしていたが、あるときヴァンが突然立ち上がった。
「……ッ!」
酷く焦燥し血の気の引いた顔で窓際に向かい、窓を開けるとそのまま身を乗り出して浮遊魔法で飛んで行く。補助魔法具もなく浮遊魔法で飛ぶなんてヴァンにしかできない芸当だが、かなり疲れるので緊急のときぐらいしかしない。
何かが起きたのだと分かり、僕はまず先生方と密かに随行している護衛たちに急いで知らせた。
――クラーケンが現れたのだった。
○
クラーケンが現れてすぐマリエラは迅速な号令を出し、撤退の殿を務めた。ヴァンはマリエラの救出になんとか間に合い、クラーケンを屠った。
死傷者が出てもおかしくなかった災害だったが、二人のおかげで生徒は皆無事、事態も早々に収拾がついた。
負傷者はマリエラのみ。
大事そうにマリエラを抱きかかえて救護室へ向かうヴァンは、見たことないほど怖い顔をしていた。
――本当に、危なかったのだろう。
僕は浜辺で先生方や護衛たちと海の調査をしつつ、王宮から来る魔法士たちを待っていた。あれほどのことがあったのに、海はもういつも通り長閑に見える。むしろ気味が悪いほどだ。
ふと振り返るとヴァンが浜辺にやって来ていた。思い詰めたような顔をしている。
「ヴァン、もしかしてマリエラは――」
嫌な予感がして声をかけるが、ヴァンは無視してそのままザブザブと海の中に入っていった。「ちょ、まだ危ないかも……っ!」ヴァンは腰まで浸かるところまで行くと、ザバァン! と倒れるように海にダイブした。十秒経っても浮いてこない。
「ヴァ、ヴァン……?」
様子がおかしい。それにまだ水着でもないのに入水。
ザバァ……と起き上がったヴァンは、髪からぽたぽたと落ちる水滴もそのまま、僕に言った。
「俺は……頑張ったよな!?」
「えっ!? う、うん、もちろん。ヴァンがいなかったら大惨事だった」
「俺は……頑張った……!」
自分自身を鼓舞するようにヴァンは言う。なんだか話が噛み合ってない気がする。
ヴァンは両手で顔を覆い、まるで慟哭するように叫んだ。
「自分で自分を褒めてやりたい……!」
「……。もしかして、マリエラと何かあった?」
そろりと手を外したヴァンは無の表情だった。絶対当たりだ。
ヴァンは空を見上げて言う。
「マリエラってさぁ……なんでマリエラなんだろーね……」
「そんな哲学みたいな意味不明なことを」
ザバザバと浜辺にあがったヴァンは、魔法で自分の服を一瞬で乾かした。そしてまたため息をつく。
「俺の苦労は誰にも分からない……」
「ヴァンがそういうこと言うの珍しいね」
ほんと、何があったの。
○
夕食後は体育館でレクリエーションだ。
マリエラはもう回復したようだが、念のため救護室で過ごすことにしたらしい。一緒にいるとごねていたソフィーさんを説得して送り出したのはマリエラである。
舞台で始まったバンド演奏は、今日の災害級事件を吹き飛ばす勢いで盛り上がりをみせている。皆ほんとは空元気かもしれないが、しんみりするより良い。
隣にいたヴァンがぴくりと不自然に肩を揺らし、出入り口の方を見た。
「フィリップ、俺ちょっと出るわ」
「まさか、また異変が?」
「大丈夫、それはない。消灯までには戻るから」
そう言ったヴァンは熱気に包まれた生徒の間を縫うように進み、体育館を出て行った。
僕は少しだけ考えて、ゆっくり出口へ向かった。外に出ると護衛の一人が音もなく現れる。
「殿下、どうされましたか」
「何でもないから大丈夫」
そう言うと護衛はまた姿を消した。僕は自分のカンに従って海の方へ足を向ける。浜辺には魔法灯に照らされた小さな人影が二人分見えた。話し声までは聞こえないが、そのうち笑い声が響いてきた。ヴァンとマリエラだ。
二人は付かず離れずの距離で浜辺をゆっくり歩いている。
「殿下もお散歩ですか」
「シャリア先生」
「救護室をひっそり抜け出したと思ったら、待ち合わせたみたいにルーヴィック君が来るんだものね」
養護教諭のシャリア先生は片手を腰にあてながら嘆息する。
「……そういう約束はしてなかったと思います」
野生のカンかもしれないが、おそらくマリエラのあのチョーカーに何か仕込んでいるのだと思う。
マリエラは迂闊ではない。それに勘付いて尚、許容しているのだろう。
「何なのかしらね、あの二人」
僕が思っていることをシャリア先生が言うので驚いた。
「横で見ているぶんにはとても楽しいですよ。もどかしいですが」
「……救護室に着いたときの二人の空気ったら、胸が刺されるような狂おしさでいっぱいだったのよ」
シャリア先生は二人の方を見つめ、ふっと笑う。
「あのルーヴィック君の心をかき乱せるのはシュベルトさんで、癒やせるのも彼女だけなのよね」
こんなことを僕らが話しているなんてヴァンが知ったらどう言うだろうか。だから何言ってんの? とか言うんだろうな。
「そうですね」
暗い海辺を歩く眩しい二人を見つめ、僕も自然と顔がほころぶ。
今日の英雄である二人に、感謝と敬愛を込めて。
受難と奮闘の魔法使い 葛餅もち乃 @tsubakiaya
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