『フィリップの独白、あるいはヴァン観察記録』✦フィリップ視点(一年後期)
フィリップ視点(~本編15話あたりまで)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
シュベルト公爵家のマリエラが婚約者候補を辞退したと聞いたとき、だったら友人になってくれないかな、と思ったのだ。
シュベルト公爵は初代国王の弟が戴いた爵位だ。領地は広く、我が国の穀倉地帯で農業と酪農が盛ん。魔法科学研究も進んでおり、優秀な魔法士も多い。
大きな力を持っているが決して出しゃばらない、いつも王家を支えてくれている家臣である。
マリエラについては王家からの打診であった。それを辞退するというのは正直驚いた。他にも候補者はいるが、内々ではほぼマリエラで決定のようなものだったからだ。
考え直してくれないかと言う父に対し、飄々として読めないシュベルト公爵はさらりと言った。「一応、マリエラにも教育は施させますが、あの子が是と言わない限り婚約者は辞退させていただきます」
親の意向ではなくマリエラ本人の希望なんだ。
それが分かった僕は胸がどきどきした。
僕が欲しいと思っていた人物が現れるのかもしれないと。
王宮での茶会や催しなど、婚約者候補との顔合わせのときはマリエラも毎回参加させられていた。いつも一歩引いた立ち振る舞いをして、『私は王妃にはなりません』と態度で示していた。僕と話すときは礼儀正しく丁寧で、かつ最低限。マリエラの気持ちは察していたので、僕は彼女に合わせていた。気長にやっていこうと思っていたのだ。
マリエラには、僕といずれ迎える王妃の友人になって欲しかった。僕たちにへりくだるわけでも、おもねるわけでもなく、対等な友人……ヴァンのような、言うべきことは言ってくれる友人に。他愛なく話したり、相談したり、ときには諫めてくれる存在に。
嬉しい誤算だったのはヴァンである。いつだったかマリエラに話しかけに行ったヴァンは、そこから彼女にちょっかいを出し始めた。
いつもは無理矢理付き合わされて文句たらたらだった茶会も、マリエラの姿を探しては話しかけに行き、しばらく二人で楽しそうにしていたりする。一応これ僕のお見合い……みたいなもんなんだけどなぁ? と思うときもあった。
「マリエラのこと好きなの?」
「はぁ? んなわけない。退屈な茶会の暇つぶしだよ」
ヴァンにはすごく嫌そうな顔をされたけど、自覚してるかしてないかの違いだ。絶対相当気に入っている。言わないけど。
それが分かっていても、学園入学前のヴァンの台詞にはびっくりした。
「フィリップの権力でさぁ……俺たちとマリエラ、同じクラスにできる?」
「そ、そんなに好きなの!? 職権乱用するほど!?」
「違うって。一年のときだけだよ。なーんか嫌な予感がして」
「嫌な予感ねぇ」
過保護だなぁと思いつつ、ヴァンのカンは聞き流してはならないのだ。クラス分けの調整は可能だろうが、学園側にどう話そうかと考える。
「いや、待って。ごめん自分で何とかするわ」
「え? いやいいよ、話通しとくよ」
「いや悪かった。フィリップの権力使うのは間違ってるわ」
一度僕が言い淀んだためか、そこからヴァンは聞く耳を持たなかった。そんなつもりは無かったのに、こうなるとヴァンは頑固だ。
そしてヴァンは自分の力でクラス分けを希望通りにした。学園側と取引したらしく、たまに頼まれた仕事をこなしていた。
いざ学園が始まると、最初のオリエンテーリングで巨大化した毒妖花に僕たちは遭遇する。犠牲になったマリエラは吸魔ヒルに襲われて意識を失うという、ヴァンの嫌な予感は的中するのだった。
未然には防げなかったけれど、ヴァンがいなかったらマリエラの被害はもっと酷かっただろう。それでもヴァンは意気消沈していて、こんなに気弱なヴァンは初めて見たものだ。
そんなしおらしいヴァンは可愛かったけれど、しばらくしてからマリエラ相手にやらかす。あの温厚なマリエラを本気で怒らせて無視され尽くすという……はじめは面白いなぁと思って見ていたものの、次第に洒落にならなくなっていく。あんな発火現象ぼく知らない。
いったい何をやったんだとマリエラに聞いてみると、本当に何やってんだ……なことをしでかしていた。あれかな? 幼少期から大人たちの環境に放り込まれていたから情操教育が偏っていたのかな?
優しいマリエラには許してもらえて、僕の平穏な寮生活は取り戻されたのだ……。
ところで今は十一ノ月。一年生の後期課程の期末試験前、レポート課題をするために僕は図書館へ来ている。同じような生徒は多くおり、四人掛けや六人掛けのテーブル席は満席に近い賑わいだ。それなのに、まだ一人だけで使っている六人掛けテーブルがある。
艶やかなプラチナブロンドはふんわりと下ろし、首元にはヤツの執着心が見え隠れする黒いチョーカー。澄んだ碧眼は真剣そのもの、いくつか本を開きながらレポートを書いている。
我らが学園の女王様、マリエラである。
周囲を見渡すと、あのテーブルに行きたいな~いいのかな~、とそわそわしている男子生徒諸君が多数見受けられた。気後れしているのだ。マリエラは全く気付いていないけど。
まぁ僕が行くかな、と足を向けたとき、マリエラの右隣に黒髪の男が座る。いつだって余裕綽々なさまが色っぽいだの囁かれ、マリエラ以外の女の子には気障な台詞だって言える僕の友、ヴァンだ。
なんか面白そ……邪魔しては悪いから、しばらく観察してみよう。
マリエラは隣に誰かが座ったことにも気付かずレポートに集中している。そんなマリエラを横から眺めるヴァン。頬杖をついて眺め続けるヴァン。そして眺めるヴァ……見てる見てる見てる見つめすぎじゃね? ってかマリエラもなんでそんな気付かないの? ヴァンじゃないけどたまに心配になるよマリエラ……。
ヴァンがマリエラの右肩をとんとんと叩く。ぴくりと気付いたマリエラが右を振り向くと、待ち構えていたヴァンの人差し指がぷにゅっと頬に刺さった。予期せぬ刺激に驚いてマリエラの肩が跳ねる。
……何歳児かな? その悪戯、まだやるんだヴァン……?
警戒したマリエラだったけれど、悪戯をしたのがヴァンだと分かり気を抜いた。ふわりと氷を溶かすような柔らかい笑みを浮かべ、『なぁんだヴァンか』と言っている。それをうけてヴァンも微笑んだ。
『もぅ、びっくりしました』と口を尖らせ、いつものシャキッとしたマリエラに戻ったが、ヴァンにしか見せないあの笑顔の破壊力といったらない。マリエラ本人は無自覚かもしれないが、ああいう顔を見せるのはヴァンとソフィーさんしかいない。
マリエラのそういう態度がヴァンを増長……図に乗せる……えーっと、調子づかせていると僕は思う。
ヴァンがマリエラのレポートを覗き込み、指をさしながら何かを言った。マリエラは少し考え、ヴァンに何かを言う。ヴァンは左手でマリエラの椅子の背を持ち、体をマリエラの方に傾けている。密着度が高いが、マリエラも気にしていない。だから端から見るとこう、半ば抱き込んでいるようにも見える。明らかに親密な間柄の二人がやるやつだ。
……牽制してるんだろうなぁ。ってゆか、僕が頼んでもレポートの内容見てくれないのに、マリエラのは頼んでもないのに勝手にアドバイスするんだね、へぇ。
マリエラの向かいに座って僕もヴァン先生に教えてもらおう、と一歩踏み出すと、僕と同じようにあの二人を伺っている子がいた。
「ソフィーさん」
「フィリップ様!」
ソフィーさんはまるで悪いことしているのがバレたような反応で、びくっと体ごと飛び上がった。
「あの二人見てたの?」
「はい……フィリップ様もですか?」
「うん。面白いよねぇ」
僕の言葉にソフィーさんは小さく笑って頷いた。
「マリエラ様と一緒に図書館で待ち合わせしてたんです。マリエラ様が座るテーブル、いつも人が寄ってくるけど寄ってこないから」
「そうだね、寄ってくるけど寄ってこない」
「でも今行ったらお邪魔かなぁ、って。……ヴァン様の」
「うん、ヴァンのね。……ふふっ」
ソフィーさんとは同盟を組んでいる。ヴァンとマリエラの恋路を見守る会、だ。恋路なんて言ったら本人たちは否定するだろうけど。
学園に来てから、ヴァンは本当に楽しそうだ。彼はその才能からいち早く子どもの世界を抜けさせられた。だから――ヴァンが年相応、あるいはガキっぽい、そんな青春としか言えないような毎日を送っているのが、僕は嬉しい。
「じゃ、一緒に邪魔しに行く? そんでヴァンに教えてもらおうよ。今ならマリエラいるし、良い格好みせたいんじゃない?」
「よろしくお願いします。あれ? でもヴァン様いつも勉強教えてくれますよ」
「ほんと? あいつ僕には厳しいんだな」
ソフィーさんは声を出さずにくすくす笑った。純朴で真っ直ぐで、陽だまりのような子だ。嘘が得意な僕とは全然違う人間。彼女の気は瑞々しく清らかで、一緒にいると僕も綺麗な人間だと思わせてくれるような、そんな優しさがある。
「あっ、マリエラ様に気付かれてしまいました」
「うわ、ヴァン睨んでる」
「行きましょうフィリップ様」
「そうだね。仲良く四人でお勉強だ」
思えば、ソフィーさんが僕にこうした自然な笑顔を見せてくれるまで、なかなかに時間がかかった。最初の頃なんて近づくだけでガチガチに緊張されたから、我ながら頑張ったと思う。
ヴァンは学園生活を楽しんでいる。それは僕もだ。手を伸ばしてはいけない、金平糖のような甘い星の彼女を見て、思う。
――夢を見るくらい、いいでしょ。
そう言い訳しながら、この学園生活では自分の心を大事にしたい。
「フィリップ様?」
「うん、行こう」
ねぇヴァン。恋っていいものだね。
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