番外編

『麗しのマリエラと、泡沫の二時間』✦ヴァン視点(一年後期)

ヴァン視点(本編15話あたり:マリエラとヴァン喧嘩して仲直り~一年の成績表貰う 間のできごと)です。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 一年生も終わりの十二ノ月。先週に後期過程の期末試験も終わったので、生徒はみな気が緩んでいる。今やっている必修科目『魔法薬学Ⅰ』の課題も、生徒たちへのプレゼントというか、遊びみたいなものだ。好きな素材を使って、自分好みの魔法石を作る。この一年間で習った魔法式を自由に組み込み、出来上がったものは好きに加工して良いと聞いて、クラスメイトたちはブレスレットやブローチにするとはしゃいでいた。

 基本の魔法石は、必須素材を調合し、加熱や冷却の工程を踏みつつ、魔法式をいくつか施すとビーカーの底に魔法石ができる。

 俺は学園入学前に王宮で、ジジイに散々作らされたからもう目を閉じていたって作れる。ほんっとジジイには散々こき使わされていた……今の学園生活が楽で仕方ない。


「あ」


 適当に作ったら淡い紫色の魔法石ができてしまった。透明になった液体の底に、純度の高そうな石がごろんと精製されている。しかもキラキラ光り輝くようなカッティングもしてしまっていた。

 マリエラのイメージカラーだ。銀白色の髪も蒼い瞳も印象的だが、マリエラを思い浮かべるときはどうしてか藤の花がでてくる。まぁ似合うし。可愛らしいところも、厳かで壮麗なところもイメージと合う。


「ヴァンはそれどうするの?」

「んー決めてない」


 フィリップに聞かれてそう答えたが、さらに砕いてピアスに加工してもいいかもしれない。今度は何の加護を付けてマリエラに渡そうかな。そういやマリエラってピアス開けてたっけ? じゃあイヤリングかな。デザインはやっぱり藤の花っぽいやつがいいかな。

 そんなことを考えていると、遠く離れたテーブルのところで軽い爆発音が聞こえた。


「うわっ」

「ッ」

「ま、マリエラ様!」


 酷く焦った男子生徒の声と、ソフィーさんの声。

 見るとマリエラがソフィーさんをかばい、薄桃色の液体を頭からかぶっていた。調合は終えていたのだろう、ゴーグルは外している。

 しかし薄桃色の液体? 魔法石の精製は、完成形をどの色にするとしても過程は黒色の液体だ。


「おっ……お前ら――!!」

 担当教師が怒鳴る。

 嫌な予感がして、顔を下に向けたまま液体を拭っているマリエラの傍へと急いだ。正面にまわり、下から覗き込んでみる。どうやら目にもかかってしまったらしい。ものによっては劇物なので笑えない。


「マリエラ嬢、大丈夫?」

「いたくはないです……」

 そう言いつつ、マリエラは目を開ける。ぱちぱちと目を瞬かせて俺を見た。そうして――


「ヴァンさま、ぎゅってしてください」


 甘えた声でそう言い、俺に抱きついてきた。

 ……抱きついてきた。


「は?」

「ヴァンさま?」

「え?」


 抱きついたままマリエラは上目遣いで俺を見た。いつもの涼やかな顔ではなく、はにかむような、少し恥ずかしがっているような、なんとも乙女ちっくな感じで俺を見つめている。

「は?」

 よく分からなくて思考がフリーズした。

 えっと……なんだろう。こんなの絶対マリエラじゃない。マリエラじゃないのに。

 ――可愛すぎない? なにこれ罠? ギャップ萌えも大概にして欲しいんだけど!?


「えーと、ヴァン・ルーヴィックくん、説明しましょう」

 可愛さと現実味皆無の狭間で固まっていた俺に、担当教師のエトワが言った。いつの間にか真横に立っていた。

「シュベルトさんは魔法薬のせいで、初めて見た人に対して目一杯甘える状態になっています」

「……はぁ?」


 媚薬でも惚れ薬でもなく、甘える? 中途半端じゃね? そのマリエラの甘える結果がこれ? ――なんて思っている俺の横で、ソフィーさんが膝から崩れ落ちた。


「わっ……私に甘えてほしかったですぅぅう!」


 ……日頃から一番甘やかし甘えてもらっている人が、何を言う。


       ○


 この魔法薬を作ったクラスメイトのターゲットはマリエラでなく自身の婚約者だった。幼馴染みで婚約したらしいが、いつもつれない態度なので不安になり、魔法薬の力で本音を聞き出したい――あわよくば甘えてもらいたい――と思い、今回の授業でこっそり作ろうとした。早急に作らねばバレてしまうと思った結果、最後に小爆発を起こしてしまった。


「しかもこれ、少々間違えてますね」

 彼が参考にした魔法書を片手にエトワが言った。

「自白要素はほんの少しになっている。いつもより幾分素直、ってくらいかな。甘えるって作用も幼児退行プラスになってますし」

 えええええ、と項垂れているクラスメイトの頭をエトワがはたく。

「僕の授業で勝手なことをするな。だいたいこの材料どこでとってきたのかな……まさかここの実験室のもんじゃないですよねぇ……?」

 日頃温厚なエトワ教師が怒ると怖い。顔面蒼白になっていくクラスメイトは自業自得として、問題は別にある。


「あのー先生、それでマリエラ嬢は?」

 そんなマリエラは俺の腕に抱きついてひっついたままニコニコしている。日頃あまり見せないような、幼く可愛らしい笑い方である。

「薬の効果は一、二時間で抜けると思うよ。他に害はないです」

「……はぁ」


 ため息をついてマリエラと目を合わせると、こっちの気も知らないで嬉しそうに微笑む。この近距離分かってんのか。こんな間近でそんな無防備に笑うことなんてないくせに。


「もう昼休みですし、一緒にお昼ご飯を食べてきたらどうです? 四限の途中くらいで解けますよ」

「あー……そうっすね」

 でもこの状態のマリエラを食堂には連れて行きたくないな。


「マリエラ様~こっち向いてください」

「なあに?」


 パシャ!

 クラスメイトの声に振り向いたマリエラがカメラに撮られた。どうして? と小首を傾げるマリエラだが、俺には分かる。

 ふわっふわでゆるゆるなマリエラを記録したいからだろ。まぁ気持ちは分かる。

 俺はぱちんと指を鳴らし、それをバラバラに分解した。


「あ゛――ッ 俺のカメラぁぁあ!」

「データを削除してから元に戻してあげる」

 にっこり微笑んで言うと、「ヒッ」と呻いた彼は何度も頷いた。分かれば良い。

「ヴァン様、私お二人のランチ買ってきましょうか? この状態のマリエラ様を沢山の人目にさらすの、嫌ですよね」

 俺と似た心境を持っているだろうソフィーさんは流石気が利く。


「うん、お願い」

「ねぇヴァン。密室で二人きりにはならないようにね? 念のため、ね?」

「なぁにフィリップ。俺がこの状況に乗じてマリエラを襲うとでも?」

「襲うとまでは思ってないけど。……」

 フィリップはそっと視線をそらした。

 キスくらいはすんじゃね? って思ってんだろ。知ってる。


「ヴァンさま、私のこと襲いたいの?」

 マリエラはきゅるんとした無垢な瞳で俺を見つめていた。そういや幼児退行プラスっつってたな……。なにこれ俺をどうしたいの?


「マリエラ様。嫌なことをされたら嫌って言うんですよ。大声で叫んで助けを求めるんですよ? ……あっこれは決してヴァン様に対して言ってるんじゃなくて、この状態のマリエラ様が心配でです」

 ソフィーさんは大真面目にマリエラに忠告したあと、はっとして俺に弁解した。

 フィリップと違って他意がないことは分かってるよ。


「大丈夫よ。ヴァンさまは私に嫌なことなんてしないわ」

 ぎくりとした。この前マリエラを怒らせて存在ごと無視された日々を思い出し、胃がキュッと引き攣った。

「もうしませんよね?」

「しない」


 訊ねてくるマリエラに、一呼吸おいて答える。即答すると切羽詰まったように聞こえるからである。

 余裕ぶった返答に、フィリップがもの言いたげな目線をくれる。どうせあれだ。そういうところが格好付け野郎だとか何とか言いたいのだろう。

 発火現象については迷惑をかけた自覚があるので、今回は無視してやる。


       ○


 人通りの少ない中庭のベンチに座り、ソフィーさんが調達してきてくれたサンドイッチを食べる。その間もマリエラは俺の右側にぴっとり寄りかかり、何が楽しいのかくふくふ微笑んでいた。可愛い。

 今日は晴天で風も少なく、暖かくて気持ちいい。ぴちぴちと鳥の声も聞こえ、なんとも長閑な雰囲気に包まれる。


「このハーブチキンサンド美味しい。ヴァンさまも食べますか?」

「え、あ、うん。ありがと」

 半分食べかけのサンドイッチを差し出され、いいのか!? と思いながら受け取る。今のマリエラは絶対こんなことしない。してくれない。

「どうです? 美味しい?」

「うん、美味しい」


 良かった、とマリエラはふにゃふにゃ笑う。

 え、なにこれ。


「幸せってこういう形をしてんのかな……」

「? ヴァンさま幸せ?」

「うん……」

 幻だけどな。


「そうだマリエラ嬢。そのチョーカー不具合ない?」

「ないですよ! 暑い時期は少しひんやりして涼しいし、寒いときはじんわり暖かくて、もう手放せません。どうなってるんですかこれ」

「汗で蒸れたりして付けたくなくなったら困るから、環境適応・肌触り・快適感、などの魔法式も込めてんの。ちっちゃい石いっぱい付いてるでしょ」

「やっぱりそうでしたか」


 商品にして売り出したら大ヒットするんじゃないかな、など呟きながらマリエラはチョーカーを触る。

 そのチョーカー、値段を付けるならえげつない高値になるのは秘密である。なにせ俺を喚び出せる。


「こんなすごいチョーカーを作ってくれるなんて、ヴァンさま、私のことなかなかお好きですね!?」


 してやったり! と笑顔を見せるマリエラに、俺は呆れとも感心ともつかない間抜け面をさらした。

 だってこの子……幼児退行したほうが恋愛上手になるってなに? 自白作用は若干残ってるだろうから、俺がマリエラに対してそういう感情に傾いてるってこと、それくらいは理解してるってことだよな?

 な?!


「どーだかね」

 にやりと笑った俺に、マリエラは「んー」とふてくされた子どものように顔をしかめた。

 ……俺もここで「そうだね」とか「好きかもね」くらいの肯定を返せれば、いいんだけど。それくらい、分かってんだけど。

 マリエラを相手にすると、そう上手くはいかないんだよね!


「じゃあじゃあヴァンさま、あれやってください。むかーし王宮の茶会の片隅でみせてくれた雪の結晶の氷魔法」


 覚えている。フィリップの婚約者候補たちが王宮に集められたとき、マリエラはいつも輪から外れていた。婚約者候補辞退したのは本心なのか策略なのか、ちょっかいをかけようと話しかけに行ったときのことだ。


「いいよ」

 ぱちんと指を鳴らす。俺とマリエラが座っているベンチを中心とし、半径五メートルのドーム状に無数の雪の結晶を出現させた。マリエラは小さく歓声を上げる。陽の光を浴びて金と銀、虹色に輝くそれらを今度はぱりんと散らせると、キラキラと氷の粒がやさしく降った。ほんの一瞬の幻想的な光景である。


「あれからちょっとは上達した?」

「すごく綺麗! ありがとうヴァンさま、なんだか懐かしいわ」


 本当に。

 あのとき興味本位で近づいて「ちょっと変わった令嬢だな」と思うくらいだったマリエラが、今やこんな存在になるなんてあの頃の俺は可能性すら考えなかった。むしろこんな……こんな存在が俺の人生で現れるなんて思いもしない。至上の幸福であり、ある意味厄介でもある。


「ねぇヴァンさま」

 俺の右肩に頭をのせていたマリエラが身じろぎした。

「ん? ……って」


 マリエラは俺に向けて唇を軽く突き出し、目を瞑っている。いわゆるキス待ち顔である。

 おいおいおいおいおいおいおいおい。

 ……え? なにこれ? 今日何回なにこれ? って言えばいいわけ?


「…………」


 数秒そのままでいたが、マリエラはそのままの体勢で待っている。

 左肩に手を伸ばして掴んでみる。マリエラは少しびくっとしたが、瞼は閉じたままだ。

 ……これくらいは許されるだろう、とマリエラの前髪を上げて額に口づけを落とした。触れるか触れないかくらいのものだ。

 ぱちぱちと瞬きながら瞼を持ち上げたマリエラは「ふふっ」と無邪気に笑った。

 そしてちょうど、ゴーン、ゴーン……と鐘が鳴る。

 俺は疲れた。


       ○


 四限目、必修科目の歴史学はA組クラスで行う。

 マリエラがぴっとり寄り添って離れないので、ソフィ-さんと代わってもらって隣同士に座った。担当教師も理由を聞いているようで、俺を見て小さく頷いた。なんだかその目が『良かったな』と言っているようで腹が立った。

 授業が開始して十分。マリエラがうとうとし始めた。目が虚ろになっているので魔法薬の影響かもしれない。俺の右腕にコテンともたれかかり、すぅ……と寝入った。

 その一分後、ばちりとマリエラは目覚めた。ぱちぱち瞬いて背筋を真っ直ぐ起こす。


「あれ、なんでヴァン様が? ん、教室?」

 記憶の混濁だろう。マリエラが完全覚醒するまで数十秒。そして。

「えっ歴史の授業!? 魔法薬学は? あれ? さっき完成した石はどこ……」


 マリエラは混乱している。

 そして俺は一つの事実に気付いた。

 ――魔法薬の影響下にあった時間の記憶がない。


『パチン!』


 それが分かった瞬間、脊髄反射で魔法を起動していた。教師を含むクラス全員の口を塞ぐ。開こうにも接着剤で固められたように口が開かないはずだ。先生も巻き込んでごめん。


「マリエラ嬢さ、さっき魔法薬学の実験中トラブルに巻き込まれてね、しばらくウトウト半分眠ってたんだよ」

「え!?」

「俺がお世話してあげてたの。おはよう」

「えええ!?」


 ここでフィリップだけ魔法を解く。俺の意図することは分かるはずだ。


「特に人体に害はない薬だったから安心して。災難だったねマリエラ」

 後ろの席からフィリップが穏やかに言う。まるで嘘など欠片もない雰囲気だ。こいつは天然そうに見えて嘘をつくのが本当に上手い。

「そうなのですね……。ご迷惑をおかけしましたヴァン様」

 フィリップの言うことなのでマリエラも素直に聞き入れた。もう少し疑え。

「別に? ただウトウトしてただけだから、何の手間もなかったよ。ね?」


 ね? と言ったのはクラスメイトに向けてである。そろそろ皆空気は読めただろう。マリエラが甘えた状態になっていたのは無かったことにするのだ。皆、神妙にこくりと頷いている。

 分解されたカメラのようにはなりたくないもんね?

 そこで俺は全員にかけていた魔法を解いた。


「はぁ」


 ……しっかし。全部忘れてるって何。

 そんなに俺を振り回したい!?


「ヴァン様、本当は疲れたんじゃ……」

 俺のため息に気付いたマリエラが、そっと身を寄せて申し訳なさそうに言う。授業中ということもあって小声で、俺の腕とマリエラの肩はほぼくっついている。

 そういえばマリエラは俺に対してパーソナルスペース狭いよな。


「マ、多少は疲れたかもね」


       ○


 時間は少しだけ遡り、昼休み間際――

 魔法薬学担当教師エトワは、魔法式双眼鏡を手に呟いた。


「よく我慢したね、ヴァン・ルーヴィック……!」


 好きな子からのキス待ちを受けても耐えた彼に拍手を送る。

 さっき、本当は嘘をついた。

 シュベルトさんにかかった魔法薬、『初めて見た人に対して目一杯甘える状態』というのは間違いで、本当は『一番好意を持っている人物に対して目一杯甘える状態』である。この好意、恋愛とは限らないが本人の無意識まで引きずり出す。

 魔法薬を勝手に作った生徒は素材を間違えていたのだ。稀少薬草も使われていたが、今回こんな面白いものを見させてくれたので減刑してあげよう。


 嘘をついたのはシュベルトさんの名誉を守るため――というのも本当だが、あの異次元の天才魔法使いヴァン・ルーヴィックに教えたくなかったのだ。

 あの天才が――学園入学前に我ら教師陣が『いったい彼に何を教えろと?』と困惑した天才が――好きな女の子に振り回される様を可能な限りずっと見ていたいからである。

 どれだけ魔法が使えても、ただの十代男子であるのは変わりない。

 しかも相手があのマリエラ・シュベルト――色恋とか眼中になくて、ツンと美しい見た目に反して全然分かってなさそうなお嬢様――だなんて、最高に面白い。

 教師陣、すごく楽しんでいるのである。


「青春しろ。好きな女の子に、思う存分振り回されろ天才……!」

 必死こいて外堀埋めようとしているとこ、もっと見せてくれ。





~密かなるヴァン・ルーヴィック観察について、彼に気付かれないよう、自分たち教師陣は万全に気合いを入れて挑んでいる~



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