【終】第44話:終幕(3)

 暑さも遠のき、もうすぐ秋の訪れを感じる七ノ月。夏期休暇が終わり、いよいよアカデミーの最終学期が始まった。勉学も総まとめであるが、就職活動の時期でもある。とは言え、アカデミー生の場合は色々なところからオファーがくるのだ。行きたい進路があれば、そのオファーをもらうべく今までのうちに何かしら行動を起こしておくのが定石である。

 マリエラは第一希望の王立魔法研究大学院からオファーをもらった。王宮近くに建てられた研究室で、半分学生半分社会人のような職だ。給料も出る。

 ソフィーは王宮魔法士の道を進む。並行して本格的な王妃教育を受ける、忙しい生活になるだろう。

 フィリップとヴァンは言わずもがな、ロイは家業を継ぎ領地経営と政治の世界へ、ダニエルは魔法軍へ、オースティンは家業のギャラン商会へ。


「シュベルト領の研究室じゃないんですか? あそこも優秀だし、魔法具開発なら王立より手広くやってるって聞いたことあるけど」

 ダニエルに問われ、マリエラはどう答えるか迷った。実際、父にはしょんぼりされたのである。そこに「ばかだなぁ」と口を挟んだのはオースティンだ。

「そりゃ、ヴァンが王宮にいるから近いとこ選んだんでしょ。王立研究室も国内最高峰だし。そーゆーことも分からないから、ダニエル君は乙女心が理解できずに彼女ができないんだよねぇ。モテてるのに」

「えっ、マリエラ様本当ですか」

 マリエラはこめかみを指で揉んだ。


「……まぁ、多少そういう面も、あります。でもね、自領の領主の娘がいるのも気を遣うかもじゃないですか。そうでしょ?」

 ダニエルはなるほどと頷いてくれるのに、オースティンはニヤニヤ意味ありげに笑う。

「マリエラちゃんもさぁ、ちゃぁんとヴァン殿のこと好いてるんだね。ホラ、ヴァン殿からの愛が重めじゃん? 実際どうなんだろって思ってたんだよね~。女王様って案外押しに弱いってゆーか、流されやすそうだし」

「……ヴァンの愛が重い? オースティン様もそう言うんですか?」

「えーだって……そうか、マリエラちゃんは見えてないのか。でもほら例えばソレ、首のチョーカー。一年のころからそれしてるからさぁ、マリエラちゃんのお気に入りだと思ってたんだけどヴァンからの贈り物なんでしょ。そんなんもう付き合う前から首輪つけられてるようなもんじゃ――」


 横にいたダニエルが慌ててオースティンの口を塞いだ。いつの間にか教室にヴァンが帰ってきていて、すぐ隣に立っていたからである。もう遅い。

 マリエラはチョーカーに右手を当てて考えた。


「……なるほど。これは、首輪?」

 マリエラはこちらを見下ろしているヴァンを見上げて訊ねた。

 ヴァンは穏やかな表情でにこりと微笑んだだけだった。

「え……まじで?」

 首輪だったのか――。

 ヴァンはマリエラの隣に座り、チョーカーと首の隙間に人差し指を差し込んできた。

「これには色んな魔法式を込めてあるから、くれぐれも外さないでね?」

「わ、分かってる」


 危機察知、発信器、祝福――たぶん、ほかにもマリエラに伝えていないものがある。まさか魔法式も込めていると思っていなかった二人がぎょっとしている。ダニエルがおずおず訊ねる。


「ヴァンさぁ、どんな魔法式いれてんの。まさか位置を特定できるやつとか……」

「マリエラってさぁ、なんか色々巻き込まれるじゃん? それ対策」

 ダニエルもオースティンも「あー……」と納得の声を出す。この二人にも同意されるほど巻き込まれて見えるのか、とマリエラは遠い目になった。


「でもほんと、コレがなかったら私も皆も死んでたかもしれない。もうお守りみたいになってる」

「守護霊・特等級魔法使いヴァン召喚アイテムみたいになってんね。そういや、マリエラちゃん他にも契約してる魔法生物いなかったっけ。この前部活でお手伝いしてくれた子」

「ヒーちゃんのこと? あの子は契約してないよ、召喚石はくれたけど」


 ヒーちゃんというのは、元はえっちな触手として箱に縛り付けられていた魔法生物のヒトデのことである。橙色の透明な召喚石はたまにピカピカ光るので、そういうときは召喚して実験準備を手伝ってもらったり、一緒にお菓子を食べたりする。大人しくて働き者の良い子である。


「あいつたぶん、マリエラちゃんに契約してもらいたがってると思うぜ。召喚石は壊れることもあるからね」

 端から見たオースティンが言うのならそうかもしれない。

「じゃあ今度聞いてみようかな」

「ふーん? ……いつか俺とも契約しようね」

「何の契約?」

 ヴァンの呟きに、マリエラは小首を傾げた。

 視界の隅で、目を丸くしたオースティンが口元を押さえていた。




 後期日程はあっという間に過ぎた。四年次のお楽しみである卒業旅行も無事トラブルなく終わり、卒業の十二ノ月。

 卒業式典は在校生と来賓もおり、マリエラの両親も来ているはずだ。大講堂は窓に暗幕が下ろされ、深紅の長いタペストリーがいくつも垂らされている。宙には橙色の光を灯すカンテラが数え切れないほど浮き、淡く幻想的に場内を照らす。厳格、それでいて未来への祈りを内包したパイプオルガンの音が響き、式は粛々と進行した。

卒業生代表挨拶はフィリップ。スピーチはお手の物だろう。威厳ある立ち姿、希望と祝福に満ちた送辞でマリエラたちの四年間を締めくくった。


 親や部活、クラスメイトたちと挨拶して別れ、夜はパーティーが開かれる。参加するのは卒業生と教師陣で、場所は大講堂。卒業式典のときとは雰囲気がうってかわり、舞踏会のような華やかな内装に変わっている。全ての幕は上がり、白く眩しくキラキラ光るシャンデリア、用意されたダンスホールと、演奏してくれるオーケストラ、白バラや白牡丹を中心とした花がいたるところに飾られ、壁際には沢山の料理。大講堂だけに限らず、外も庭園まわりまで光が灯されている。


 生徒も教師も皆ドレスアップして参加する。マリエラは薄い藤色のドレスにした。左肩にだけ袖があるワンショルダーで、そこから斜めに流れるようなデザインだ。さらさらした生地を重ね、動くとフワリとするが立ち止まればすとんと落ちる、シンプルなラインである。丈はふくらはぎのあたりまであり、ダイヤが散りばめられたミルク色のヒールが輝く。黒いチョーカーは右手首に巻き、黒薔薇のコサージュを重ねて着けた。髪はアップにまとめあげ、ダイヤのピンをいくらか差す。


 ソフィーは白に近い桃色のドレスだ。デコルテ部分はレース生地になっているハイネックで、ウエストから膝下までぶわりと広がるプリンセスラインである。光沢のある薄ピンクのヒールを履き、ピンクブロンドの髪は後れ毛を遊ばせつつ纏めている。

 それぞれがそうやって着飾り、門出を祝うのである。


「緊張します……!」

「がんばって」


 ぽん、とマリエラはソフィーの背を叩いた。今夜、国の公表よりも一足早い発表がある。

 ダンスの一曲が終わり、続けて演奏されるところだが、指揮者は一旦手を止めた。鳴り響いていた音楽が止み、どうしたのだろうと皆オーケストラを仰ぎ見る。

 白地に金で装飾された礼装に身を包んだフィリップが、ソフィーの手をとって壇上に上がった。一礼した二人を、皆が「もしかして」と見守る。


「学友の皆さん、先生方、この場をお借りすることをお許しいただきたい」

 にこやかに話し始めたフィリップを、期待に満ちた眼差しが見つめている。

「正式な公表は明日になりますが、先に皆さんに伝えたいのです。フィリップ・シュタインライツは、ソフィー・ドルトンさんと婚約させていただきました。二人で共に支え合い、王家としての責務、そして期待にこたえられるよう、全力で歩んでいきます」


 わぁっと歓声が上がり、祝福の拍手で会場内がいっぱいになる。教師の誰かが魔法で白い花びらを降らせ、指揮棒に合わせて高らかな音楽が鳴る。

 これはエンディングだ。大団円のエンディング――


(幸せENDだ。ちゃんと、辿り着いた……!)


 マリエラは拍手を送りながら、ぽろりと泣いた。ソフィーの幸せと、無事にことが運んだ安堵である。

「泣いてんの?」

 ヴァンがそっと寄り添ってきた。彼はジャケットもズボンもベストも漆黒の礼装で、白いシャツの襟縁が銀色に輝き、胸ポケットから薄紫のハンカチーフがのぞいている。一見見ると真っ黒で重いのだが、背がすらりと高いのと、端正な顔立ちに斜に構えた雰囲気が妙に合っており、美しく着こなしていた。


「少しね」

 マリエラとヴァンの衣装は少しだけ色を合わせているのである。

「そーいや、ヴァンたちはいつ結婚すんの?」

 ひょこりと隣に立ったのはダニエルである。赤茶をベースにした礼装がよく似合っている。

「エッ? いつって言われても?」

 そんな話は出ていないが。

すぐ結婚するように見えるのだろうか。


「ダニエル、失言ですね。ほら、予定を崩されたヴァン殿が超絶お怒りです」

 ダニエルの隣にすっとロイがやって来た。青を基調とした礼装に、髪は後ろに撫でつけている。

「その際はギャラン商会をご贔屓に~マリエラ様に似合う逸品を見繕うよ」

 ワインを片手にオースティンが笑う。光沢のあるグレー生地の礼装は、シンプルかつお洒落で気品がある。


「……チッ」と、ヴァンが小さく舌打ちした。


 オーケストラがワルツを奏で始め、フィリップとソフィーが踊った。力強いリードと羽のようなステップ、二人は幸せそうに微笑み、拍手が起きた。短い一楽章を終え、ダンスホールにカップルが戻っていく。

「踊るよ」

 ヴァンに手を引かれ、マリエラもダンスホールに足を踏み入れた。手を組んで向き合い、少しむくれた彼を見上げる。


「ヴァンって踊れるの?」

「俺にできないことがあると思う?」


 あの余裕そうな笑みを浮かべ、ヴァンは肩を竦めた。まぁそれもそうかとステップを踏む。思えば長い付き合いで、ダンスもある夜会で鉢合わせたことは何度もあったが、踊るのは初めてだった。そもそもヴァンが踊るなんて珍しい。すれ違ったフィリップも驚いている。


「さっきのさぁ」

「うん?」

「結婚。……マリエラ、俺と結婚して」

 普段と変わりない調子で言うので、マリエラは足を止めそうになった。

「んっ、えと、これってプロポーズ?」

「ごめんね全然ロマンチックじゃなくてさぁ」


 なんだか自暴自棄な感じである。静かな湖畔の月光の下で愛を囁かれたいとか、フラッシュモブでサプライズされたいとか、そういった願望は全くないので良いのだが。

「えーと、します。結婚します、ヴァンと」

 ヴァンはこくりと頷いた。自分たちが結婚するのは既に確定事項で、ただ確認している、そのような感じである。


「公爵殿にはもう話はつけてある」

「……あっ、もしかして夏期休暇のとき、本邸でお父様と喋ってたことって」

「実はもっと前から公爵殿には宣戦布告してたんだけど」


 父がたまにヴァンの話題を出していたのは、それが原因だったのだと腑に落ちた。

 しかし結婚ってこんな形で決まるものだったか。でもそれはそれで私たちらしいなぁ――と思っていると、横からフィリップが半ば叫ぶように言った。


「プロポーズがそれでいいの!?」


 どうやら聞き耳をたてていたようである。周りがなんだなんだと騒ぎだし、「俺も聞こえてたけど……あれでいいのかとびっくりした」「プロポーズまだしてなかったのですか?」「今ここで告ったの!?」など、お喋りが波のようにさざめいって、すぐ周知のものになった。

 ヴァンはふぅと息を吐き、鬼の形相でフィリップを睨みつける。


「ご、ごめん……つい」


 ダニエルとオースティンは爆笑しているし、ロイも笑うのを堪えている。ソフィーは微笑んでいて、マリエラも笑った。教師たちが紫と黒の花びらを降らせ、オーケストラは結婚式のファンファーレを鳴らした。学園長は魔法の花火を打ち上げ、七色の花が咲く。そこには文字が浮かび上がり――

〝おめでとう! 我らの、うら若き大魔法使い!〟


 祝福もあるだろうが、これは。

「全力でイジってくるじゃん」

 忌ま忌ましげにヴァンが呟いた。右手を高らかに挙げ、ぱちんと指を鳴らす。天井から無数の紫の薔薇が降ってきた。足下に落ちると消える幻である。


「告白があんな感じになっちゃったから、プロポーズぐらいはちゃんとしようと思ってたんだよ。俺だってさ」

「九百九十九本の薔薇に埋もれさせて?」

「まあね」

「……意味、ちゃんと調べたよ」

 マリエラが言うと、ヴァンはほんの一瞬だけ、照れたように唇を噛んだ。


「あっそ。……そーゆーことだから」

 ――何度生まれ変わろうとも、あなたを愛する。


「素直だったり、そうじゃなかったり。私の魔法使いはやっぱり捻くれてるな」


 ヴァンの顔に手を伸ばして引き寄せる。まだ足りないので背伸びして、軽く触れるだけのキスをした。

 無礼講の魔法花火が打ち止まない。

 お祭り騒ぎの卒業パーティーは、歴代でも忘れられない夜になった。


【了】

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