第43話 終幕(2)

 夏期休暇が始まり、マリエラは本邸でゆっくり過ごしていた。近くの湖畔で日中ぼんやりしたり、滅多にしない菓子作りの教えを乞うたり、花を摘んで飾ったり。勉強にあてる時間をとらなかったので、家族からは「どうしたんだ」と心配された。この休暇中は勉強を忘れてゆっくりするつもりである。そう伝えると益々心配されてしまった。これまであまりにもガリ勉猛突進であったことを知らされる。


 四日目の昼前、ソフィーが来た。横にはヴァンがいる。王宮から送ってくれるというのは彼だったのだ。

「ソフィーさん、いらっしゃい! ……と、久しぶりね、ヴァン」


 手紙のやり取りはしていたものの、直接会うのはひどく久しぶりのような気がする。ちらりと目が合えば、気恥ずかしくて目を逸らしてしまった。ヴァンも似たようなもので、いつもの斜に構えた感じがない。

「あー……うん、久しぶり」

 何を思ったのか、ソフィーはくすりと笑った。

「マリエラ様、このたびはお招きありがとうございます。よろしくお願いします!」

 ソフィーは淡いオレンジ色のふんわりしたワンピースを着ている。ヴァンは藍白色の襟付きトップスに紺色の細身のズボンだ。二人ともよく似合っている。


「ようこそ。ヴァンもちょっと休憩していかない? よければ泊まれるわよ」

「泊まらないけど……そうだね、ちょっと立ち寄らせてもらおうかな。公爵殿はいる?」

「お父様は今領地を見回っているけど、もうすぐ昼食どきだから戻ってくるわ」


 二人を応接間に案内し、メイドに茶菓子を持ってきてもらうよう頼んだ。東の奥にある応接間はこぢんまりとしていて、親しい友人とゆっくり過ごすのに使っている。家具は淡い木調で揃え、いくつかのソファにテーブル、暖炉がある。窓から中庭の一角も見え、青々とした木々や菖蒲が咲いている。


「想像はしていましたが……大きなお屋敷ですね。それにところどころにある彫刻とか、調度品が綺麗です」

「代々受け継いでいるものだからね。大きいだけで維持が大変よ。好きだけどね」

 紅茶と焼き菓子を持ってきてくれたメイドが、父も今帰宅したと教えてくれた。服を着替えてからこちらに来てくれるらしい。


「マリエラのその服、似合ってんね」

 パウンドケーキを二口で食べたヴァンが唐突に褒めてくれた。小花模様が散りばめられた白地の生地に、紫色のラインがストライプ状にはいっているノースリーブのワンピースだ。大きめの白い襟がアクセントになっている。

「えっと、ありがとう」

 こうやって褒められることはあまりなかったので面食らう。

 ソフィーがニコォ……としてくるのに背中が痒くなってきたところ、父がやって来た。


「こんにちは。マリエラの父です。娘のご学友が遊びに来てくれたと聞い、て……」


 にこにこ笑顔で入ってきた父は、ヴァンがいることに気付いて笑顔が固まった。我が父ながらものすごく分かりやすい反応である。ソフィーは慌てて立ち上がり挨拶を返し、ヴァンは優雅に起立して軽く会釈した。


「シュベルト公爵、お久しぶりです」

「あ、うん、ああ……」

「ソフィーさんは数日泊まっていかれると聞いています。僕は彼女を送りに来ただけですが、少々お邪魔させていただきました。公爵、よろしければ少しお話があるのですが――前回の続きの件で。今よろしいですか」

 社交用の微笑みを貼り付けたヴァンに、父がたじろいでいる。


(お父様……どんな貴族が相手でも、こんな風にたじろいだりしないのに。ヴァンに弱みでも握られているの)


 宮廷や貴族社会、腹黒い狸や狐が跋扈するなかで鮮やかに生きているのがマリエラの父である。

 父はちらちらとマリエラに目をやり、諦めたように頷いた。

「いいよ。あっちの部屋で聞こう」

 父は力ない足取りで、ヴァンは意気揚々と部屋を出て行く。ソフィーさえも不思議に目を丸くしていた。

「公爵様とヴァン様、いったいどういう関係なんです?」

「私も知らないわ」


 十数分後、ヴァンたちが部屋に戻ってきた。父は少し顔色が悪くなっていたが、何を話していたかは教えてくれなかった。ヴァンはほくほくした顔だったので、どちらに分があったのかどうかは誰が見ても分かる。


 帰っていくヴァンを見送ってから、ソフィーに公爵邸や庭を案内したり、家族を紹介したりして一日目は過ぎた。ソフィーの滞在は五日、またヴァンが迎えに来てくれる予定だ。

 楽しい時間はあっという間に過ぎた。長兄がシュベルト領内を連れ回してくれたり、母によるお茶会もといマナー指導があったり、次兄は湖でボート遊びに誘ってくれた。妹のリリエッタも一緒である。

 ソフィーから告白を受けたのは最終日の前夜だった。



 月が綺麗な夜なので、二人はサンルームのテラスに出ることにした。夜は太陽の熱が消え、涼しい風が吹いて気持ちいい。長閑な田舎なので星もよく見え、静かである。

 マリエラはシャンメリーをあけてフルートグラスに注いだ。

「あの、あのねマリエラ様」

 ソフィーは両手を組み合わせて、改まった声で言った。


「私、正式に、フィリップ殿下の婚約者になりました」

「! おめでとう!」

「この前の《災厄》との戦いを経て、『聖人』という称号を戴くことになって。そしてフィリップ様が両陛下に告白したんです。好き合っていること、認めて欲しいということ。そしたら、実は両陛下とも知ってたって言われて」


 でしょうね。と思ったマリエラは頷いた。


「リアムさんも言ってたんですが、《災厄》を追い払えるのは『聖人』である私にしかできなかったことだそうです。貴族の血ではないけれど、箔としてこれ以上なんて無いでしょうって、フィリップ様が両陛下を説得して」


 王家の血筋に庶民の血が混ざらないのは、血統主義というよりも、その後放り込まれる貴族社会に王宮暮らし、そして政治的にやっていけるかという部分である。ソフィーは『救国の聖人』であるので普通の貴族子女よりも優位だとマリエラは思う。魔法使いとしても優秀だ。


「そしたらヴァン様も、『ソフィーさんなら、いつか特等級魔法使いになれる』って推してくれました」

「特等級! すごいわね……」

「驚くことに、両陛下とも許してくださって。というか、少し前からそのつもりで動いてらしたそうなんです……」

 うーん知ってた。と思いながらマリエラは頷いた。


「私……私ね、王妃になりたいとか、そういう気持ちはなかったんです。どちらかというと務まるかどうかのほうが心配、なんですけど……マリエラ様やヴァン様、そしてフィリップ様を見ていたら私も頑張りたいって思って。隣で支えたいんです」

「フィリップも、あなたが傍にいてくれることが一番力を発揮すると思うわ」

 はい、とソフィーが微笑む。青くやわらかい月光がソフィーを照らし、ピンクブロンドの髪がきらきらと光って神秘的な色みを放っていた。自然と頭を垂れたくなるほど美しい。


「わたくし、シュベルト公爵家長女マリエラは、ソフィーさんとフィリップ殿下を祝福し、公爵家の一員として一層励むことを誓います。応援するわ。いつだってあなたの味方よ」

「ありがとうございますマリエラ様」

 公爵家はきっとソフィーを支援する。マリエラの意思や、マリエラの命の恩人であることを差し置いてもその選択をするだろう。反対する要素もないのだ。


「それにね、国のブレーンは沢山いるから大丈夫。ソフィーさんは『救国の聖人』というティアラをかぶり、堂々とするだけで価値があるの。しかも可愛くて美しく、さらに魔法に長けた王妃様よ。これ以上ないわ!」

「良く言い過ぎではないですか?」

「あら。ただの事実よ」

 未来の王妃をマリエラはぎゅっと抱きしめた。


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