第42話 終幕(1)
王宮での生活は快適なものだった。魔法研究棟にある宿泊室――自宅に帰るのが面倒な魔法士が多く、勝手に作った泊まれる部屋――に男女で一室ずつお借りすることになった。マリエラたちが入室する前に急きょ掃除してくれたようで、中は綺麗だった。フィリップとヴァンは自分たちの部屋があるので別室である。王族が住まう区域は建物自体が違う。
朝は食堂で朝食を摂ってから診察を受け、あとは自由時間である。ソフィーは特別授業などがあるらしく王宮の奥へ行き、ダニエルとロイは魔法軍へ。マリエラは『魔法道具の技術者になりたい』のだと話すと、魔法研究室の見学を許してくれた。ついでにオースティンもついてきた。
夕方にまた全員診察を受け、夕食を摂って、各部屋で夜を過ごして眠る。
ここに来て三日目。各々体に疲労は残っているが、特に後遺症や異常はなく健康だ。
夜、ソフィーとゆっくりお茶を飲んでいると、「あのね」と話を切り出された。
「実は、ヴァン様は大変みたいなんです。なんというか、本人は平気って言ってるんですけど、体のなかにある魔力の核にヒビが入っているとかなんとか……デイルのお爺様は無茶のし過ぎだと仰っていました。特等級魔法使いのお二人に、問答無用にカプセルみたいなものに閉じ込められて眠らされています」
「え」
「それで、今はもう大丈夫みたいなんです。傷は修復された、って今日言っていました。ここに来た初日、私、駄目元で治してみてくれないかって言われて……でも無理だったんです。私が治せるのは外傷だけみたいで。箝口令がしかれていたのは、『絶対にわたしたちが治すから、あの子たちにこれ以上の心労を与えたくない。少しのストレス負荷でも、バランスを崩して多大な影響を与えてしまうかもしれない』って」
ようやく、ソフィーはマリエラに言えたのだ。
「ソフィーさんは、一人で抱え込んでいて辛かったでしょう」
「フィリップ様がいてくれましたから。殿下は流石です。あの戦いのときもそうでしたが、心が強い」
「そうね。普段は天然なのに、やるところでは王族の強さと矜恃をみせてくるんだから」
そうか。やはりヴァンは結構無理をしていた。《災厄》に乗っ取られながら押さえ込むなんて無茶苦茶であるし、他のルートで自分がする役目を同時に行ったとも言える。
「明日にはカプセルから出られるみたいです。たぶんマリエラ様に会いたくてウズウズされてるんじゃないですか」
「してるかしらね」
あの男がウズウズだなんて想像できない。
「日頃からあんな感じですもん、爆発しかけですよ」
ソフィーは楽しそうに笑った。あんな感じとはどんな感じなのだろう。
「日頃から?」
マリエラが不思議に言うと、ソフィーが残念なものを見るように首を傾げた。
「マリエラ様って、よく分かんないとこで鈍いですよね。ヴァン様と付き合いが長いからですか?」
「ん?」
「それともヴァン様がマリエラ様には見せてこなかったのかも。それだ。そーゆーの上手そうですしね」
独り言のようにソフィーは喋り、頷いた。
「マリエラ様が思っている以上に、ヴァン様はマリエラ様のことばかり考えていますよ。執着って言っていいくらいです」
「ヴァンが執着っていうのは……あんまり想像できない」
だって執着といえばフィリップかロイのルートである。腹立たしいほど余裕げなヴァンに、執着という言葉が結びつかない。
「ソフィーの思い違いじゃない?」と言うマリエラに、ソフィーは苦笑した。
「まぁマリエラ様はそのままでいいかもしれないです」
翌日の昼食時。マリエラは五人と共に食堂にいた。両隣にはソフィーとオースティン、向かいにはダニエルとロイだ。メイドや魔法騎士、文官など、王宮で勤める人が集うので毎日がやがや賑わっている。マリエラたちは検査療養中のアカデミー生として快く受け入れられていた。
マリエラがローストチキンのサンドイッチを食べている最中、食堂の中がにわかにざわめいた。ちらちらと入り口の方に目をやる人が増え、マリエラたちも目を向けた。
ボート・ネックのゆったりした黒いTシャツに、スリムな黒のズボンを穿いた、いかにも普段着なヴァンが食堂を見回しながら歩いていた。「ヴァン殿だ」「ヴァン様だわ」と尊敬が滲む声で囁かれている。
ダニエルがヴァンに向かって「おーい」と手を振り、向こうもこちらに気付いたようだ。すたすたと近寄ってくる顔色は良く、元気そうな姿にほっとする。
「ヴァン、体はもう大丈夫なの? 私たちは今のところ異常は……んむっ」
無表情のヴァンがマリエラの頬に手を伸ばし、頤を持ち上げてためらいもなくキスをしてきた。周囲に座っていた人たちはぎょっとして、しんと静まりかえる。
唇が離れたあともヴァンは無表情でスンとしており、対してマリエラは公衆の面前であることにわなわな震える。
「オースティン、首尾は?」
「お前ね、一言目がそれ? オレたちもそこそこお前のこと心配してたんだけどぉ……」
「ありがと。んで、大丈夫だった?」
「はいはい、マリエラちゃんは大丈夫、オレは結構一緒にいたから虫除けもちゃんとしましたぁ」
「助かる。王宮はさぁ……年がら年中彼女欲しいとか結婚したいとか言ってる男どもの巣窟だからね」
キスは牽制だったのだと知る。そんな心配をする必要もないだろうに、なんというか、なんというか――
「ね? ヴァン様、マリエラ様のことばかり考えてるでしょう」
ソフィーがひっそり笑う。ロイはパスタを食べていた手を止め、ヴァンに訊いた。
「マリエラ様も言っていたけれど、ヴァンの体はもういいのですか?」
「大丈夫。ってか元々平気なんだよ、ほっといたら勝手に治るっつーのに……あ、来たな」
ヴァンがぎらりと入り口の方を睨んだ。
「あー! ここにおったかヴァン! まだ耐久試験やってなかろうが!」
食堂の入り口に特等級魔法使いデイルが現れ、深く響く声で叫んだ。と同時に、双円錐の形をした金色の小さな物体がきらきらと無数に飛んでくる。おそらく捕縛の魔法だ。
「なっんっでっそんな試験やらなきゃなんねーんだよ関係ないだろ!」
ヴァンが右手を払って迎撃し、金色のキラキラが空中で弾けた。
「お前の力が劣ってないか、むしろどれほど成長したのか数値で調べてみたいからじゃ!」
「特等級になった俺にはもう必要ないだろ」
「儂が知りたい!」
「拒否する!」
ヴァンは食堂の窓を開けて飛び降り、逃げた。元気そうで何よりである。
「全然大丈夫そうだな。あのお爺さん、にこにこしながらえげつない魔法かけてきたし、それを難なく弾き返してたから」
ダニエルが言い、ロイが頷いた。何事もなかったように昼食を再開する。
「あの爺さんがやる耐久試験ってエグそうだよなぁ」
オースティンが呟く。何をするのかは分からないが、想像した全員が顔をしかめ、頷いた。
ヴァンが復帰してから、マリエラたちは王宮の奥宮に招かれ、フィリップも含む全員でディナーをごちそうになったり、第二宝物庫の見学をさせてもらえたり、社会見学のようなことを沢山させてくれた。
七日目の診察でも皆異常なく、ヴァンとソフィー以外は学園に戻ることになった。
五ノ月も中頃にさしかかり、前期日程の終了はあと一ヶ月。今回の夏期休暇こそはソフィーにシュベルト公爵邸へ来てもらう約束をし、寮に帰った。
一人きりの寮部屋はがらんとして、少し寂しい。
翌日から登校すると、クラスメイトたちは温かく迎えてくれた。《厄災》については特に訊かれず、「復帰お待ちしていましたよ」だとか「一緒にランチしてくださる?」だとか、気遣いの言葉をかけてもらう。
極秘事項が絡むので、いつか正式に発表があるまではマリエラたちに質問しないよう、教師から説明もあったらしい。皆、普段通りに接してくれるのは楽だった。
二週間後、ソフィーが学園に復帰。寮に戻ってきてくれたときには、「おかえり」と彼女を抱きしめた。陽だまりのようなソフィーがいない寮生活は思っていたよりも寂しかったのである。
ヴァンはとうとう学園には戻って来られず、夏期休暇に突入した。
体に異常があるわけではなく、これをチャンスとばかりに色々な仕事を押し付けられているらしい。『臨時の殿下の護衛は前期日程が終わるまで派遣しているからいいだろう。って、陛下に言われては断りにくかった。エリクサー拝借したし』とヴァンからの手紙に書いてあった。
「つまり、使ったエリクサーのぶん働かされていると」
「それではマリエラ様、四日後にお伺いしますね。すごくすごく楽しみにしていますから!」
「待ってるわ。私も楽しみ。本当にお迎えなくて大丈夫? シュベルト本邸は結構遠いわよ?」
「事情を話したらそこまで送ると言ってくれましたので、大丈夫です」
「そうなの。じゃあ安心ね」
ソフィーは王宮から呼び出しを受け、休暇初日からそちらに行くことになった。そして四日後はマリエラの家に遊びに来る予定だ。
学園の前でソフィーと別れ、マリエラは駅舎に向かう。
季節は夏を終えようとしている。残暑の名残、ぎらりと照りつける太陽の下、眩しく白いワンピースを着て石畳を歩く。足取りは軽く、弾むようだ。
(本当に本当に、
――マリエラは新たな人生の門出を感じていた。
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