第41話 四年生、大一番(6)

 外は燦々と太陽が照っていた。振り返って見る多目的ホールの惨状は戦場のようであるが、荘厳にそびえ立つ校舎群はいつもと変わりない様相である。こちらの異変にはまだ誰も気付いていないようだ。

 ヴァンはすたすたと早歩きで校舎の中に入り、東棟の四階へ向かった。もはや私室化したといえる『ダイヤの部屋』に入り、マリエラをベッドに下ろす。ぽいぽいと靴を脱がされ、ヴァンもベッドに乗り、強く抱きしめられた。マリエラもそっと背に腕をまわす。

苦しいくらいに抱きしめてくるヴァンの体は震えている。


「……って、ヴァンこれ傷だらけなんじゃ」


 汗や血で湿った服の感触に、マリエラは慌てて身を離した。ヴァンのシャツのボタンを勝手に外す。傷口はだいたい塞がっているようだが、右胸の上部には五本の鉤爪で刺した痕で肌が抉れている。腹には銃痕、肩も腕も傷だらけだ。


「ヴァン、ソフィーに治してもらった方がいいんじゃ……」

「命に別状はないし、もうそんなに痛くもない。アレに乗っ取られた俺が、治してもらうのは違う」

「災厄に乗っ取られたのは、ヴァンが弱いとかそういうことじゃないでしょ……選ばれてしまっただけでしょう……」

 ヴァンは自分の責任だと、自分が悪いのだと思っている。

 そんなことはないのに。何も悪くはないのに。原因があるとすればマリエラなのかもしれないのに。


「選ばれてしまったって、どうして知ってんの?」

「どうしてだろうね」

「予知? お告げ? ……マリエラは昔から、たまに、そういうことを言ってたね。ソフィーさんのことも。思い返せばどれも当たってる」

 責めるでもなく、訝しむでもなく、ヴァンは泣き笑いするように言った。


「もし当たっていたのだとしても、それももうお終い」

「おしまい?」

「お終い。この先のことは何も知らない」

「そっか。じゃあ、マリエラの奮闘も、一旦休憩?」


 ヴァンは何も知らないのに、まるで全て知っているかのように微笑んでいる。

 長い長い旅路の果て、息を切らして走ってきた丘の上、白い野草が一面に咲くそこで、ヴァンがずっと待ってくれていたような、そんな気持ちになる。


「うん、ちょっと休憩」

「じゃあ今は、好きなだけ抱きしめさせてくれない?」


 ヴァンが広げる腕のなかにマリエラは飛び込んだ。彼の背中に手を回すと、滑らかな肌にところどころ傷跡が触れる。

「あたたかいね、ヴァン」

「……そうだね」

 ヴァンは少しだけ泣いたのかもしれなかった。

 かくゆうマリエラも。



 時間が溶けていくようなまどろみのなか、二人はしばらくそうやって抱きしめ合ったままいた。

「このまま……眠ってしまいたい」

 戦闘によるアドレナリンが切れ、疲労による凄まじい眠気が襲ってくる。場所もベッドの上なので、このまま寝てしまいたい。

「分かる。分かるけど、起きてマリエラ。流石に怒られる。それと着替えよう。それもあってここに来たんだよ」


 マリエラは制服も下着もボロボロで着られたものでなかった。しかし魔力はもうないので、引き寄せの魔法でヴァンに体操着とジャージを出してもらう。髪も解いて簡単なシニヨンにまとめあげた。ヴァンも同じく体操着に着替えている。

「そんじゃあ戻るかぁ。これからめんどいだろーなァ……」

「ヴァンは皆に黙ってたことがあるだろうしね」

 げ、とヴァンの顔が歪む。マリエラ以外もそれくらい分かっているのだ。




 二人が戻ったときには、様々な人たちが多目的ホールに勢揃いしていた。学園長をはじめとする教師陣、王宮からの魔法士たちに、その中でも明らかに風格が違うと分かるお爺様が一人。数人の近衛兵と共にいるのは陛下の弟であるロッテンマイム公爵だ。

「おー、やっと来おったか」

「うっわ。なんでジジイがここにいんの」

 まずお爺様がヴァンに気付き、親しげに話しかけてきた。身長はヴァンと同じくらいあって高く、見事な白い髭に、笑うと朗らかな印象だ。


「おっまえ師匠に対してジジイはなんだ。《災厄》に取り憑かれおって」

「いやあの、それはヴァンに非はまったくなくて」

 マリエラはつい口を挟んだ。あれは選ばれたら不可避事項なのだ。

「おお、シュベルト家のお嬢さんですな。いつも不肖の弟子が世話になっとります。こいつ、お嬢さんには甘えておるのでしょう? 《災厄》については、まぁ、分かっております。安心なされ」

「はぁ……」

「儂はこの問題児の師匠、特等級魔法使いのデイルですじゃ。何卒よろしゅう」

「マリエラ・シュベルトです。よろしくおねがいします」

 マリエラは丁寧にお辞儀した。デイルはニコニコして頷く。


「しかしお前、一番の主要人物じゃろ。ほっぽり出してヨロシクやっとったんか」

 デイルがヴァンに言った台詞に、マリエラは吹きそうになった。なんて明け透けに物を言う爺様だ。

「これからずっと調査や検査でカンヅメにされんだろ? その前にちょっと一休みくらいしていいだろ、めっちゃ疲れたんですけど。それにマリエラは人前に出れるような格好じゃなかったしね。レディの身支度くらい待てねぇの?」

 マリエラは頭痛がするように顔を覆い、近くにいたダニエルやオースティンはふいと視線を外した。ロイが「それもそうですね……あのままでは、ええ」と付け足してくれる。デイルもどんな状況だったのか何となく分かってくれたようで、「うむ。この話はこれまでにしよう」と話を切り上げてくれた。


 リアムによるおおよその説明は終えたようで、大人たちは渋く、どこか釈然としない顔をしていた。国の存続をかけた出来事が、いつの間にか始まりいつの間にか終わっていたのである。しかも子どもたちに担わせて。

 マリエラからすると『そういうものだから』の一言なのだが、確かに、〝彼らを庇護すべき大人の自分たちは何も知らず何も負わず、子どもたちだけが戦っていた〟となると苦しいものがあるかもしれない。


 マリエラたち七名は王宮に連れて行かれることになった。後遺症や異常はないか、一週間の検査と経過観察、療養の目的である。ヴァンとソフィーはさらに長い期間が見積もられている。学園の前期日程はあと一ヶ月と少しで終わる。下手すると二人は帰って来られないかもしれないが、学業に関しては特例措置がしかれるだろう。

 他にも色々な後始末があるだろうが、それはリアムと大人に任せよう。

 マリエラは――しばし休暇だ。滅亡エンドは免れたのだ。

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