第40話 四年生、大一番(5)
フィリップの錫杖が全員を鼓舞するように鳴り響く。ダニエルとロイが左右から攻撃を仕掛け、ヴァンの体から伸びる黒い影を切り刻み、打ち払う。そこにソフィーが正面から駆けてゆく。
ソフィーの背には、きらきら輝く真っ白の大きな翼が生えていた。マリエラには確かにそう見えた。
(……天の使いのよう)
一歩、二歩と近づくソフィーに新たな黒い影が迫る。ソフィーはそのまま突っ込み、神楽鈴をヴァンに向かってまっすぐ投げた。神楽鈴が道を切り拓くように、白い閃光を弾けさせる。ヴァンの体に当たって鈴がシャンと鳴る。そしてソフィーは大きく一歩踏み込んで跳び――ヴァンの側頭部を拳で殴った。
(えええええええええ!)
視界一面が白い光に灼かれた。数秒後、何もなかったように元に戻ると、ヴァンが倒れていた。
黒い影も靄もなく、全体を覆っていた威圧感も何もない。ホールはいつもの様子を取り戻していた。状態だけは廃墟目前であるが。
「……」
皆、沈黙である。ガラーン……と、天井の梁の落ちた音が響いた。
「わ~おめでとう、お疲れ様~!《災厄》は無事に還ったよ、君たちの勝利~」
パチパチと手を叩いたのはリアムだった。今までどこにいたのか、悠然と歩いた彼はヴァンのもとに跪き、額に手をあてている。
「うんうん、残滓も全くない。これにて大審判は終わり~! 良かったねぇ人間の諸君。こんな力業でなんとかしたの、初めてだと思うけど」
リアムがマリエラに振り向いて指をパチンと鳴らすと、ふわりと薄い毛布が肩にかかった。ありがたく体に巻き付けるとウインクされる。
「う……」
ヴァンが唸りながら起き上がる。頭をガサガサかきむしり、ソフィーに殴られた辺りを押さえて呻く。
「最悪の気分」
ヴァンの目の状態は戻っており、青みがかった灰色の瞳を忌ま忌ましそうに眇めた。
マリエラはヴァンの傍に跪いて抱きついた。
「なに、熱烈じゃん」
いつもと同じ、からかうような口調に、マリエラは震えた。涙が溢れ、ぼたぼたと零れ、嗚咽があがる。
(ヴァンが、生きてる)
「普通なら昏倒したままなんだけど、きみ、ほんと規格外だね~。きみが《災厄》に選ばれちゃったときは人間側終わったなぁと思ったんだけど、きみの方が上手だったかな」
リアムが暢気に言う。本当に紙一重で危なかったのだろう。
「……お前は」
「ボク? ボクは最初に言ったとおり、ただの見届け人。大審判のとき、五大悪魔の誰かがやる役目なんだ~。あ、ボクたちは異界に手出ししてはならないから、今は安全だよ? でないとあっちもこっちも手を出してきて色んなものが消滅しちゃう」
「本当か?」
「安全か、ってこと? きみたちの国で例えるとさぁ……きみの国で生まれた誰かが、隣国の誰かを殺したとしても個人の事件でしょ。でも王族がよその国の王族を殺したら国際問題になるでしょ。そんな感じかな」
「……」
「きみたちの大審判は終わったんだよ。ボクはこれから後片付けと、きみたちの国のトップ連中に説明する仕事があるけどォ。ホラ、他に影響が出ないように、このホールの中だけ時空を止めてるのもボク! それももう解くよ」
リアムがぱちんと指を鳴らすと、どこか閉塞感があった空気が変わる。破壊された壁や外れた窓の隙間から、夏のあたたかい風が吹いてきた。
やっと緊張が解けたロイとダニエル、オースティンがどさりと床に倒れ込んだ。「おわった……」「いってー」「正直もうなにがなんだか」など言いながら、天井を仰いでいる。
「リアム殿、僕はまず王宮に連絡を取ればいいですね?」
「さすが王子様。そうして~。詳しい説明とかはボクがするから、ココに呼んでよ」
「分かりました」
ホールから出ようとしたフィリップにヴァンが声をかける。
「ねぇフィリップ。秘伝のエリクサーってどこにあったっけ」
「え? 宝物庫と、陛下の部屋にあるガラス棚と――」
「オッケー。宝物庫のはやめといた方がいいよな」
ヴァンは腕が通るくらいの次元の穴を出現させ、そこにずぼっと手を突っ込んだ。高度な引き寄せの魔法だ。
「ヴァン、おまえ、まさかそれ」
すっと腕を戻したとき、手には小さな小瓶が二つあった。内容量は二十グラムもない、きらきら発光している透明な赤紫の液体である。
「ソフィーさん、これ一本全部飲んで」
ソフィーは言われたとおり一本分全部呷った。ぷは、と飲み終えたソフィーの瞳がきらりと輝く。ヴァンはもう一本の半分を飲んだ。フィリップが慌てる。
「おま、それ、国宝級……!」
「今使わないでいつ使うんだよ。ソフィーさん、疲れてるだろうけど、マリエラの傷治してやって。そんでまだいけそうだったら、あいつらの傷も治してやって」
「はい! さっきまで枯渇寸前だった力が漲ってきます。なんですかコレ」
失礼しますねマリエラ様、とソフィーがマリエラの胸の傷に手を当てた。じんわりと温かくなり、トクトクトクトクと血が巡っていく鼓動を感じる。
背後では、フィリップが悲愴そうに声を漏らしていた。
「それはさ、魔力を強回復させ、体力も少し回復させる魔法薬だよ。材料が貴重なものばかりで、なかなか作れないから準国宝扱いしているやつ……確かに今は使っていいときかもだけど、陛下の部屋から勝手に持ち出すのはマズイだろ」
「何かあったら使っていいって言われてるし。だいたいコレ作ったの俺だもん」
まず王宮全体にがちがちの防衛魔法がかけられているので、外部の人間が引き寄せの魔法を使えるはずがないのだ。ヴァンが本気を出せば可能かもしれないが、今回のこれは予め許可を貰っていたのだろう。
「はいマリエラ様! 治りましたよ」
五本の爪痕はきれいさっぱり無くなり、傷跡すらなく、怪我する前の肌に戻っていた。
「すごいわソフィーさん。ありがとう」
「訓練してもらって、前よりちゃんと力が扱えるようになったんです」
ソフィーはフィリップの頭の怪我を治しに行った。床に転がって休憩しているダニエルたちよりも、一番怪我が深刻そうだからだ。
ヴァンは半分残ったエリクサーをフィリップに渡し、リアムを振り返る。
「それじゃ、俺はちょっとここを離れるから」
「いやいやきみも当事者だからいてくれないと」
リアムの制止は聞かず、ヴァンはマリエラの傍に来て横抱きに持ち上げると、そのままホールの出口へ足を向けた。
「えっ、待って、何で私を運ぶ?」
「フィリップが王宮に連絡したら、特急で色んな奴らが来ちゃうでしょ。そうなる前に、俺は大事な用事がある。一時間後までには戻ってくるから、よろしく」
「おいヴァン! 大事な用ってなに」
手当をしてもらっているフィリップが慌てて叫んだ。ヴァンは首だけ振り返り、至極真面目な顔をして言った。
「どうせ俺はしばらく学園から離れることになるんでしょ。その前に、無事に生きてる実感がほしい」
フィリップもリアムも、他の皆も、じいっとマリエラを見た。
「え、何ですか」
マリエラの問いには答えず、全員がひらひらと手を振った。
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