第38話 四年生、大一番(3)

 じわじわ暑くなってきた四ノ月。制服も夏仕様に衣替えし、マリエラは半袖にジャンパースカートである。ヴァンは半袖のシャツに黒のズボン、フィリップはそれにベストをあわせている。ソフィーは半袖のシャツにフレアスカートだ。


 ヴァンの様子は表面上変わらず。けれど、マリエラは胸騒ぎがしていた。どこかおかしい。

「ねぇヴァン、何か隠してない?」

「なぁにマリエラ、浮気でも心配してんの? そんなに俺のこと好き?」

 飄々とかわそうとするヴァンに内心地団駄を踏む。

 マリエラはヴァンの顔に両手を添え、下から真っ直ぐ見上げた。その瞳は、元来ヴァンが持つ寂しさと孤独の翳りが濃くなっている。

「好きだから、心配してるんだけど」

 マリエラが言うと、ヴァンは内心たじろいたようだった。柔く笑んで、マリエラの手をゆっくりと外し、深く抱き込まれる。

「ありがと」

 耳元で小さく言った言葉に罪悪感はなく、優しさだけを感じた。

ヴァンは迷わない。

 言わないと決めた以上、きっと、彼が許すときまで言わないのだ。



 数日後、ヴァンが休み時間にウトウトとしていた。それはとても珍しいことで、マリエラたちはそっと見守っていた。

 やはり無理矢理にでも聞き出すべきではないか。そう考えていた放課後、ヴァンがマリエラを誘った。「マリエラ、ちょっと」

 手を引かれて教室を出る。「どうしたの」と聞いても、「少し時間ちょうだい」としか言わない。ひとけが少ない東北棟へ進み、三階へ上がる。

「たぶんこのあたり……あ、あった」

 年季の入った白亜色の扉が見えた。

(あれは確か、例のあの部屋では)

 ヴァンは扉を開けて迷いなく入った。ここは間違いなく触手がいた『ダイヤの部屋』である。変わったことと言えば箱がなくなったことぐらいだ。

 ガタンと閉じた扉にヴァンは魔法で施錠し、ベッドへ向かう。


「えーっと、ヴァン? どうしたの?」

「この部屋ね、場所を移動しながら学園内には存在し続けるみたいでさ。私物化しようかなって」

「いやあの、そういうことを聞いてるんじゃなくって」

 ベッドの縁に座らされ、ヴァンが手ずから靴を脱がしてくれる。肩を押されて寝転がされ、ヴァンも靴を脱いでベッドに上がる。特に何もない簡素なベッドがぎしりと鳴った。

 ヴァンは無表情で、目の下には隠しきれないクマがある。

「ヴァン? どうしたの」

 ヴァンからは一瞬、焦燥の香りがした。表情を隠すように覆い被さってきて、ぎゅっと抱きしめられる。抱えられたままゴロリと横を向き、もぞもぞと位置を調整して、静かになった。


「……ヴァン?」

「ちょっとだけ。このまま寝させてくんない?」

「いいよ。全然いいよ」

「ありがと」

 ヴァンの脚がマリエラの体に巻き付き、拘束するように抱き込まれる。ヴァンが深い息を吸った。しばらくして寝息が聞こえ始め、無事に眠れたのだと分かる。

「……もっと、頼ってくれていいんだよ、ヴァン」

 ヴァンなりの甘えに溜め息をつき、マリエラも目を閉じた。



 二時間ほど眠ったマリエラはヴァンに起こされ、目を覚ました。ほんの少しだが、ヴァンの表情がすっきりしている気がする。

「眠れた?」

 そう問うたマリエラの額に、ヴァンは口づけを落とした。

「うん。……寮に戻ろ」


 仮眠のための逢瀬は翌日もあり、それからは三日おきだった。マリエラを抱きしめて眠るときは魘されないようである。抱きしめられた腕のなかからヴァンの寝顔を見つめるのだが、日を増すごとにやつれていくように見える。

 何とかしたいのに何もできないのがもどかしかった。

(私には言いたくない何かがあるのかも)

 マリエラはフィリップやロイと相談して、王宮の魔法士と医療士を、学園まで来てもらうよう手配した。本人は望んでいないかもしれないが、強制的にでも診てもらう算段であった。


 はじめから確定事項だったのかもしれない。

それはもう、遅かった。


       ●


『ここまで抵抗されるとは思わなかった。だがそれも無駄。我が目をつけた瞬間に種は蒔かれ、いま其れは芽吹く。お前がどれほど拒絶したところで――次はお前の大事なあの子になる』


       ●


 一年で一番気温の高い、夏の盛りの五ノ月。

 それは突然のことだった。

 朝に登校し、ロッカーを開けるとカードが落ちてきた。空気口から誰かが入れたのだろう、手のひらサイズの黒い紙だ。白い字で『多目的ホールで待っている』とだけ書かれている。

 それを見た途端、ぐらりと頭が揺れた。


 ――行かなければ。


 もうすぐ授業が始まるのにも関わらず、マリエラの足は外へ向かった。多目的ホールは、召喚魔法をするときに使った独立した校舎である。

 ぽとぽと頼りなげに歩き続け、ホールの中に入ってようやくパチンと目が覚めた。カーテンは全て引かれていて明るく、窓は締め切られている。むわりと暑くなるはずなのに、如何してかひんやりと寒い。


「あっ、マリエラ様!」

「ソフィーさん! ……と、フィリップ様、ロイ様も」

 振り返れば驚いた様子のソフィーがいて、その後ろからフィリップとロイも入ってくる。続いてオースティンとダニエルも、ぼんやりした様子で足を踏み入れ、はっと目を覚ます。

 嫌な予感がした。


「選ばれし登場人物の皆さん、ようこそ! 予定よりちょっと早いけど、開幕だよ~」


 可愛らしくてゾッとする少年の声が響いた。いつの間に現れたのか、ホールの一番奥の中空に浮いている存在がいる。アカデミーの夏服を着たリアムだ。瞳が赤く輝き、恍惚と笑っていた。


「主役はきみたちと~、今回災厄の業を背負うことになったヴァン・ルーヴィック氏! 嗚呼、ボクは五大悪魔が一角。名は名乗らない方がきみたちのためだから、今までどおりリアムって呼んでよね。今回の見届け人、《判定役》を務めまぁす。何の手出しもしないから安心して」


 マリエラ以外の皆が困惑し、リアムから感じる異次元の波動におののいている。

「災厄……? 災厄ってあの、御伽噺の?」

 ダニエルが呆然と呟く。マリエラは困惑どころかパニックだった。吐きそうだった。

《災厄》に乗っ取られるのがヴァンだなんて――あり得ない。あってはいけない。

 特等級魔法使いが敵になってしまったら、ソフィーたちが束になっても到底敵うわけがない。そもそものシナリオも、ヴァンが《災厄》の力を抑えてくれている間にソフィーが鎮めるというもの。ヴァンありきの勝利だ。

 ホールの床の一点から黒い靄がたちのぼる。靄は渦を巻き辺り一帯を黒く覆い尽くすくらいに霧散すると、制服姿のヴァンが俯いた状態で立っていた。ゆらりと体が揺れ、白いシャツが黒く染まっていく。


「ヴァン!」


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