第36話 四年生、大一番(1)
卒業の十二ノ月がやってきた。
マガク部では部室で送別会をし、リドやエドたちを見送る。二人は魔法科学の道を進むらしい。
「マリエラ様も俺たちと同じ道に進む予定だよね。また会おう」
「はい、お二人をおいかけます」
リドもエドも照れくさそうに笑う。
「それでねマリエラ様、これ貰ってよ」
リドは持ってきていた大きな紙袋から、紫色の花束を取り出した。蕾から膨らみつつある薔薇が十本、銀色のリボンでくくられている。
「マリエラ様は俺の憧れだった。三年間ありがとう」
リドは門出に相応しい爽やかさで微笑んでいた。
「先輩……こちらこそ、ありがとうございました」
彼は優しい先輩だった。送り出す側のマリエラがうるっときて、涙が滲む。
「あ~マリエラ様ったら浮気です~」
そうソフィーが冗談めかして言うと、オースティンも便乗してくる。
「まー、あの特等級様にはバレない方がいいかも」
「またそんなこと言って」とマリエラは軽く言ったが、リドは難しい顔をした。そんなリドの肩をエドが叩き、笑う。
「いや~、彼、嫉妬深そうだもんなぁ」
「エド先輩までそんなことを言う」
送別会が終わり、マリエラは薔薇を大事に抱えて、ソフィーと共に寮に戻っていた。その途中、ヴァンとフィリップに偶然鉢合わせた。挨拶するより前に、ジロジロと花束を見られる。
「……誰から貰ったの、それ」
「ええと、送別会してたら、リド先輩からありがとう、って」
ふうん、と目を眇めたヴァンに、ソフィーが慌てた。
「ヴァン様が思ってるようなやつじゃないですよ! リド先輩、そういう感じでマリエラ様を見てませんでしたから!」
「薔薇が十本かぁ。君は完璧、とかそういう意味だね」
フィリップがおっとり言った。そういえば、色や本数によって意味があると聞いたことがある。
(君は完璧……)
リドがそこまで考えて贈ってくれたのかは分からないが、嬉しい。
「……そのうち、九百九十九本の薔薇で埋もれさせてやる」
低い声でそう宣ったヴァンは早足で去って行った。ウワ、とひどく驚いたフィリップが彼に追いつき、興奮した様子でバシンと背中を叩いている。まるで男の子のやりとりだ。
「フィリップ様がああいうことするの、珍しいですね」
「そうね。すごく新鮮」
後日、九百九十九本という言葉が気になったマリエラは図書館へ行った。花言葉図鑑を棚から取り、その場でパラパラとめくる。
一本の薔薇は『一目惚れ』、三本は『愛してる』、六本は『あなたに夢中です』。
「色々あるのね、知らなかった。ええと、九百九十九本は……ヒェッ」
ヴァンが置いていった時限爆弾だった。バタンと図鑑を閉じ、マリエラはその場に蹲る。
『何度生まれ変わろうとも、あなたを愛する』
●
心臓を刺すような危機信号。突如学園を襲った禍々しい気配に、駆けつけた先には倒れ伏すマリエラ。袈裟懸けに斬られた背中からは血が溢れ、破れたブレザーの下にのぞく白いシャツは真っ赤に染まっている。
普段、生意気なことも可愛らしいことも零している、奪いたくてやまなかった唇は吐いた血で濡れていた。
瞳は虚ろで、もうろくに見えていないのが分かった。
いってしまう。マリエラがいってしまう。
「――ハッ。……っ……はぁ、はぁ、……はぁ」
まだ深夜、ヴァンは飛び起きた。じっとり汗にまみれた体が気持ち悪い。
あれから何度も何度も繰り返し夢を見る。
ヴァンはあのとき間に合わなかった。ソフィーがいなければマリエラは死んでいた。
「………………くっそ」
毎日、マリエラがいることを確認しているのに、今では好きなときに抱きしめて、キスすることだってできるのに、不安は増すばかりだった。
『あの子の自己犠牲はたいしたものだ。誰かがのっとられるのならと、簡単に自分の身を差し出しそうじゃないか?』
「黙れ」
ヴァンは右腕に爪を食い込ませた。それでも混沌とした声は語りかけてくる。恐怖を引きずり出すようなことを、連日囁いていく。
ヴァンを悩ますこの相手は悪魔ではなかった。退魔の魔法はいくつも試したが何の効果もなかったのだ。だったら自分自身に巣くう不安が具現化したのか? 分からない。分からないが、マリエラにだけは知られてはならないと、本能で悟った。マリエラはなんとかしようとする。それこそ、自分が請け負えるものならそうしかねない。
「……マリエラ」
マリエラのことが好きだ。あの子は俺のものだ。
マリエラもヴァンのことを好いているのは間違いないが、絶対に己の方が重苦しい執着じみた愛を抱えている。解っている。〝好き〟だなんて言葉、これに当てはめるには似つかわしくない。あまりに可愛らしく聞こえて笑ってしまう。
初めて会ったときは興味なんてなかった。ああ、フィリップの婚約者候補の一人になるご令嬢だろうなと、有象無象と変わりなかった。
そのあと婚約者候補を辞退すると聞いて、逆にそう言うことで目立つ作戦なのかなと思った。茶会の退屈しのぎに、一人でいるマリエラに喋りかける。「運命じゃない」とか何とか言いながら、本人は辞退することに本気のようだった。魔法の勉強もかなり頑張っていることが分かり、ヴァンは認識を改めた。変なところがあるガリ勉令嬢だな、と。ゆびきりの物騒なおまじないは今でも不思議だ。
公爵令嬢であるマリエラは社交場や王宮に現れることも多く、何度も顔を合わせた。挨拶程度しかしないときもあれば、少し雑談することもある。マリエラはどんどん美しく成長していった。麗しのご令嬢、なんて囁かれていたが、本人は飄々としていて、相変わらずガリ勉だった。社交やマナーは叩き込まれていて所作は美しいが、誰も見ていないところでは他の子どもと変わりないし、お嬢様の仮面を少し外してやると言葉遣いもくだけたものになる。ただ、公爵家に生まれた責務を考える、ノブレスオブリージュの精神が強い子どもだった。
マリエラは素直で純朴な女の子だった。努力家で頭は悪くないのに、ちょっとバカである。そして、異端の天才と呼ばれるヴァンに対して、いつもまっすぐ見つめてきた。彼女にとってヴァンは、天才であるけれど天才ではなかった。ヴァンの孤独と奮闘を、分かろうとしてくれているような気がした。
どうして、いつからマリエラを好きになったのかは分からないが、気が付けばもう彼女は胸のうちにいた。出会った当初に態度が悪い本性をみせていたので、今さら紳士的に振る舞うこともできず、なかなか皮肉げな口を叩いたりもした。でも誰にも渡したくなくて、首輪じみたチョーカーを贈ったり、部活の先輩と楽しそうにしているのに嫉妬して嫌がらせみたいなことをしたりと、かなりガキっぽいことをしている。
マリエラは甘い。一度懐にいれた人間に対しては本当に甘い。特にヴァンには甘すぎるところがある、愛情深い人だ。倒錯趣味でマリエラを女王様と慕っている生徒のキャラが濃すぎて分かりにくいが、マリエラに好意を寄せている者は多かった。本人は鈍感というか、そもそも見えていないようなので全く自覚がないようだが、公爵令嬢という肩書きなしでも気高く咲いた高嶺の花である。
マリエラの首にチラリとのぞくチョーカーはヴァン・ルーヴィックが贈ったものである――という噂を流したのはヴァンである。
「ヴァン、大丈夫か?」
「ごめんフィリップ、起こした?」
「謝らないでいい。ヴァン、最近ちゃんと眠れてないだろ? 一度診てもらった方が」
「大丈夫。病気じゃない。少し夢見が悪いだけ」
「……何かあったら相談しろよ。友達だろ」
そう、フィリップはヴァンのことを友達だと思っている。本気で、幼い頃からずっと、そう思ってくれている。
「ありがとな」
フィリップが再び毛布をかぶった。ヴァンも水を一口飲み、再度眠りの淵へ落ちる。
どうか、もう夢など見せないでくれと願いながら。
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