第35話 奮闘の三年生(10)

 ぜぇぜぇと息を切らして中に入ってきたヴァンは、マリエラの惨状を見てすぐさま扉を閉めた。厳重に魔法で鍵をかける。


「ほんの一瞬、マリエラから危機的信号を受け取ったのに、それがすぐ消えた。これじゃあ目標座標が定まらない。何かあったんだろうって〝鳥〟を飛ばして探し回っていたら、ソフィーさんが血相抱えて走ってるじゃん? そんで話を聞いて、駆けつけたってわけ」

「ありがとう……!」

 ヴァンは部屋を見渡し、コツコツゆっくり歩いたと思うと、椅子を持ってきてマリエラの前に座った。触手たちはヴァンの威圧感に怯んでか、マリエラを盾にして固まっている。


「で? なんでマリエラちゃんはこんな面白いことになってんのかな?」

「えっ……と、ソフィーと旧マガク同好会の部屋に行こうとしたら、この部屋だったのよ。トラップを発動しないと扉が開かないから、ソフィーに助けを呼んできてもらってて」

「どうせあれでしょ? マリエラが自分から犠牲になるって言ったんでしょ?」

「そりゃそうよ。殿下の恋人を危険な目に遭わせられるわけないでしょ」

「まーね? けどほんと君ってさぁ、自己犠牲好きだよね?」

「……これは自己犠牲なんかじゃないの。巡り巡って自分のためなのよ、本当に」

 本当にそうなのだ。そんなお人好しで高潔な人間ではない。


「ふーん?」

 ヴァンはそうゆっくり言い、腕を組んだ。数秒、天井を見上げる。

「俺、ほかにも怒ってることがあんだよね。危機的信号が一瞬で途切れたことね? 命の危機ではないと分かったのかもしれないけどさ、もっと危機感覚えなよ、俺を呼びなよ。ソフィーを行かせるんじゃなくて、扉の前に立たせて俺以外入れないようにすることが正解だろ。マリエラがいいようにされてる最中に誰か入ってきたらどうすんの? 俺はそいつの記憶を操作して消去して、もう二度とこういうことが起きないようにマリエラを監禁すればいいの? できればしたくないんだけど」

 ヴァンはめちゃくちゃ早口で喋った。怒っている。結構な度合いで怒っている。


「……確かに考え無しだったかも、ごめんなさい。ってゆか、監禁ってなに」

「ハァー。じゃ、あとは頑張れば? 俺はちゃんと見ておくから」

「エッ」

「自分でなんとかしようと思ってたんでしょ? さ、妖精に契約で縛り付けられた哀れな触手生物よ、俺は手出ししないから自分の仕事に取りかかってくれていーよ」

「ヴァン、助けてくれないの?」

 マリエラ同様、触手も戸惑っている。

「俺はこの光景がどっかの野郎に見られていたかもしれないと思って目に焼き付ける」

「だったら部屋から出てってよ!」

「ヤダ」

「ばっ……ばかぁぁぁあああ!」


 触手が『どうすればいいです? ボク最終的には滅されちゃいます?』と震えている。

 ヴァンは椅子に座り、両肘を膝のあたりに置いた前屈みの姿勢でマリエラを見ている。瞳にはまだ怒りが残った、真剣な顔つきだった。


(莫迦じゃないの莫迦じゃないの莫迦じゃないの)


 遠慮がちに触手が服の中に侵入してくる。悔しくて恥ずかしくて、どうしてこうなってしまったのか考えていると、ぽろっと涙が零れた。泣くつもりはなかったのでマリエラ自身びっくりである。「あれ」


「えっ」


 ヴァンが素っ頓狂な声をあげ、右手をしゅっと横に払った。ザクリと音がして、マリエラを拘束していた触手が切断され、床にボタボタボタっと落ちた。触手の残りが箱の中に戻っていく。マリエラはその場にへたり込んだ。

「……助けましたよ、お姫様」

 ヴァンはしゃがみ込んでマリエラと視線を合わせた。仏頂面で、気まずそうな顔だ。

「ヴァンなんて嫌い」

「……」

「嫌い」

「……ごめんって。虐めすぎた」

 言い返してやろうとして――ぼろりと、また涙が溢れた。ヴァンは目の前にいるのに、あのまま辱められるかと思った。

 泣き顔を見られたくなくて、俯いたまま両掌で目を押さえる。


「しっ……信頼、してたのに」

「仕方ないじゃん、好きなんだから」

「……。はい?」

 突然の台詞に顔を上げる。ヴァンは真顔だ。

「好きだよ。分かるでしょ」

「え、いや、あの」

「逆に聞くけど。マリエラはさぁ、俺が隣にいない人生、考えられる?」

 マリエラは黙った。

 だって、そんなの。心臓が止まりそうだ。

「俺は、考えられない」

「う、ん」


 今度は別の意味で涙が滲む。未だ仏頂面のヴァンに、パチンと額をデコピンされた。

 ヴァンは立ち上がり、触手が入っていた木箱を蹴って横に転がした。底面に魔法陣が描かれている。

「そういえば、〝妖精に契約で縛り付けられた〟ってなあに?」

「この部屋は『妖精の悪戯』の一つだろ。んで、人間をこういう目に遭わすために、そういう生物を契約で縛り付けてんの」

「解放してあげることってできない?」

「タチの悪い妖精たちにはウンザリだよねぇ」


 ヴァンは木箱の魔法陣に掌を当て、何やらボソボソと呟いた。ゴォッと赤い炎が燃え、魔法陣が焼き消されていく。「終わり」

 箱の蓋がひとりでに開き、中から何かが出てくる。橙色をした星形の生物――体長二十センチほどのヒトデである。

「これが元の本体だね」

 ヒトデはひょこひょことマリエラの元へ歩き、ぺこりとお辞儀をした。手の先から、コロリンと石を落とし、白い光に包まれて消えた。残された石は橙色をして透明で、宝石に似た輝きをしている。硬貨くらいの大きさだが、手に取ってみると案外ずっしり重い。石の中央には幾何学模様が彫られていた。


「これ、召喚石だよ。めっちゃ気に入られてるじゃんマリエラ。魔力もあまり消費せず、さっきのヒトデみたいなのを喚べるよ」

「これが召喚石なんだ」

「このろくでもない部屋も、触手がいなくなったから消失するか、ただの部屋として残るのか、分かんないな。ちょっと印でも残しとくか」

 ヴァンが床と扉に魔法陣を焼き付ける細工をし、二人で部屋を出た。



 こうして、『ダイヤの部屋』イベントは終わったのである。

「ねぇ、ヴァン」

 マリエラの二歩先を行くヴァンが、「なに」と振り返る。

「私もヴァンのこと、好きだよ」

「知ってる」

 ヴァンはようやく笑った。




 翌日の朝。珍しいことに、ヴァンがマリエラたちのクラスに来た。女の子たちにキャアキャア言われているのを見るに、彼の人気はまだまだ健在のようだ。

「マリエラ、ちょっといい?」

 ヴァンに呼ばれてついていった先は、近くの空き教室である。冬の朝特有の、透き通った陽光が窓から差し込んでいる。その光を背に浴びながら、ヴァンは一番前の長机に座った。マリエラはその正面に立つ。


「えーと、どうしたの?」

「いや、確認しておこうと思って。でも大丈夫そう」

 何が? とマリエラは首を捻った。しかしこの男、平然としている。マリエラはそれが少しモヤっとした。マリエラは平静を装っているが、本当はそれどころではない。

(まさかヴァンに好きとか言われるなんて。私は、あれを思い出して全然寝付けなかったのに)


「前みたいに、……いじめたから、怒って避けられたりしないかなって」

「そりゃ、前とは全然状況が違うし。それに」

「それに?」

「ヴァンの本心が聞けて良かったなって、思って……」

「あ、そー……」


 ヴァンは頬をポリポリとかいた。机から下りて、マリエラの両頬に手をかける。薄目でゆっくりと屈み込んでくるヴァンに、マリエラは瞼を閉じた。

 触れたかどうか分からないくらいの優しいキスをして、そっと離れる。

 瞼を開けると、ヴァンはほっとしたように緩く笑んだ。


「……良かった。ちゃんと意味分かってて」

「幼児か何かだと思ってらっしゃる?」


 似たようなもんだったでしょ、とヴァンに抱き込まれた。ひっついたヴァンの体から、ドクドクと早鐘を打つ鼓動を感じる。

 このポーカーフェイスめ、と思いつつ、マリエラはヴァンを抱きしめ返した。

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