第34話 奮闘の三年生(9)

 十ノ月。学園から見える城下町は白く薄く雪化粧されている。後期日程も折り返しに入り、進路のことも考えて皆一層勉学に励んでいる。


 放課後、マリエラとソフィーは東棟の四階の通路を歩いていた。殆ど使われていない部屋が並んでいる区域である。マガク部で扱おうとしている爆発系の魔法薬の資料が、旧魔法科学研究同好会で使っていた部屋にあるというのだ。

部室にあった地図を頼りに、二人は目的の扉の前まで来た。年季の入った白亜色の扉は、菱形をモチーフにした幾何学模様が一面に彫られている。


「ここですかねぇ。なんだかこの扉だけレリーフが凝ってますね」


 ソフィーは扉を押し開けて入って行き、マリエラもその後ろに続いた。そのとき、ぴりっと嫌な予感がした。

 真っ暗だった室内が、ポワポワポワ……と白く照らされていく。白い床には薄ピンクの菱形模様が連なって描かれ、壁は白。白いシーツを張っただけのベッド、木製の椅子が一つ。室内は寮の部屋よりも小さく、その中央に真っ白な宝箱が置いてある。その上面に一つ、ピンク色で菱形のマークが塗られていた。そして、使っていない部屋であるのに気温が異様に高い。


「な、なんでしょうここ」

 マリエラははっとした。マズイと思ったときには背後でバタンと扉が閉じ、ガチャリと鍵が閉まる音がする。

「やっっっっっっば!!」

「マリエラ様? あれ、扉が閉まって……開かない!?」

「しまった……最近、こういうイベントなかったから失念してた……」

「マリエラ様? あの、扉が開かないみたいですが……外鍵とかなかったですよね? 内鍵もないのに、どうしてでしょう、これ」

「それは……それはね、この部屋は『妖精の悪戯』の一つだからよ……」

(えっちなイベントを起こすためのね!)

「あの、噂ではよく聞く『妖精の悪戯』ですか。ということは、トラップ解除方法は何かしらあるってことですよね」


 確かにあることはある。この『ダイヤの部屋』はマリエラ――草加部籐子もよく覚えていた。

何故なら、ゲームも終盤に入ってくる頃なので、単純にエロいのである。


「ええ、あるわ。あるけれど、それにはトラップにかかる必要があるの。私があの箱を開けるから、鍵が開いたらソフィーさんは部屋を出て、先生に助けを呼びに行って。必ず女の先生にするのよ」

 イベントは開始しなければ進まない。

「だったら私が箱を開けます! それに、この扉だってぶち破る覚悟でいけば――でえええい!!」

 ソフィーが重力魔法を拳に纏わせ、扉を殴りつけた。ドゴオオオンと部屋全体を揺らすような衝撃が起きる。普通の扉なら文字通り木っ端微塵になっているところだが、扉は何のダメージも受けていない。憎たらしいほど綺麗な状態のままだ。


「うそ……」

「ここは、そういう時空なのよ」

 何せ、シナリオのイベントだから。ストーリーを進めないと、ヒロインは出られない。

「私はいつもかばわれてばかりです! 私が箱を開けるので、マリエラ様が助けを求めに行ってください」

 必死に言うソフィーに、マリエラは首を振った。

「それは無理だわ。ソフィーさん、あなた、殿下と添い遂げるつもりがあるのでしょう? だったらね、このトラップに引っかかっては駄目なの。あなたがコレに引っかかってしまうと、殿下もあなたも、そして私も! 不幸になるのよ!」

「そ、そんなまさか。どうしてそんなことが分かるのです?」

「この学園にはこういうろくでもない部屋がいくつかあってね、私はヴァンから事前に聞いているの。ピンクのダイヤの部屋は駄目、殿下及び殿下に深く関わる人物にはタブーだわ」

「ヴァン様から?」

「そう。殿下が幼少のころから護衛として一緒にいるヴァンから、一年生のときに情報共有されたのよ。分かるでしょ?」

「そう、なのですね……」


 ソフィーは素直なので納得し、ぐっと悔しそうに顔を歪ませた。

 勿論、ヴァンから聞いたという話は嘘である。

 この部屋の箱の中身は触手生物、ヒロインのソフィーをいやらしい目に遭わせるイベントである。そのとき好感度の高い攻略対象――だいたいはもうルートが確定している――と鉢合わせることになる。ただこのイベント、キャラによっては注意が必要だった。

 ダニエル、オースティン、ロイの三人は、それぞれシナリオは違っても最終的にはラブポイントが上がる、ご褒美イベントだ。一人、フィリップだけが違う。彼がメリバルートに陥りやすいと言われている所以はここにある。


 フィリップの場合、ソフィーが触手に囚われてからすぐやって来る。助けようにも助けられず、目の前で展開されていくソフィーと触手の睦み合いに、新たな扉を目覚めさせてしまう。描写がかなりエロいゆえ人気もあるが、このイベントを進めてしまうと、大量のメリバポイントが加算される。それまで積み上げてきたメリバポイントがゼロであればギリギリセーフだが、フィリップの場合ほぼあり得ないので、このイベントを踏めばメリバEND直行である。

 もし遭遇したのが自分でなかったらという恐れ、泣きながら喘ぐソフィーに興奮してしまった仄暗い熱情、本来はマリエラがこの部屋に来ているはずだったのにという責任転嫁……。そもそもこの部屋に迷い込んだ理由が、マリエラが委員会の仕事に呼ばれ、代わりに日直の仕事をソフィーがすることになったからである。


(フィリップの触手イベントだけは回避しなければ……!)

 マリエラだって嫌だ。心底嫌だ。しかしこの触手、エロイベントのためなので命を脅かすものではあるまい。メリバENDを迎えるよりもマシである。マリエラのためにも、ソフィーのためにも。


「分かってくれた? いちにのさん、で箱を開けるから、ソフィーさんはすぐに部屋を出て扉を閉めて、助けを呼んで。外からは開くはずだから」

 できればソフィーには、箱の中身を見られたくない。

「分かりました」

 ソフィーは神妙に頷いた。

「それじゃあいくわ――いちにのさん!」


 縦横一メートル四方の宝箱の蓋を両手で持ち上げた。中は真っ黒い闇になっており、そこから肌色で肉厚の触手が一本這い出てきた。それがマリエラの右足首に絡みつくと、ガチャリと解錠の音がした。


「ソフィーさん早く!」

「はっ、はい!」

 ソフィーが部屋を飛び出して駆けてゆく。一瞬ほっと気を抜いたのも束の間、箱の闇の中から次から次へと触手が出てきた。マリエラをどう料理しようか、まるで迷っているかのようにウニョウニョ蠢いている。


「う、あ―――――ッ、実際見るとグロいぃぃぃ!」

 前世の草加部籐子は触手モノも嗜んでいたが、実際はグロかった。

(籐子さん……ッ! 本物はおぞましいよぉぉお!)

「ヒィッ!」

 両腕を触手に捕られた。マリエラは被害者が攻撃しても無駄なことを知っている。むしろそうしてしまった方が相手の侵食速度が上がってしまうはずだ。


「ね、ねぇねぇ触手さん? もっと可愛い姿になることってできないの?」

 マリエラが箱の中に向かって言うと、触手の動きが止まった。

「あのね、今のこの姿もいいかもしれないけど、私ちょっと怖いのね?」

 少しでも時間を稼ぎたい一心であった。

 数秒固まった触手は退却を始めた。マリエラの右足を拘束している一本だけはそのままで、他の全てが箱の中に戻る。

 そして新たに出てきた触手は、細く、つるりとして、透き通るような鮮やかなオレンジ色だった。マリエラの眼前まできて、どう? と言いたげに、身をくねらせた。


「さっきより、全然いい!」

 まさか意思疎通ができるとは! マリエラは危機も忘れて少し感動した。見た目は熱帯の海にいるイソギンチャクになったのだ。

「あのね……私にイタズラをする以外に、還ってもらう方法ってない?」

 それはない、と触手は左右にぶんぶん振った。箱の中から多数の触手が這い出てきて、マリエラの四肢に絡みついていく。

「ですよねぇ」


 よく見ると、透き通った触手の中には魔力の粒子が顕在しており、それがホログラムのように小さくキラキラ輝いている。それだけ見ると綺麗なのだが、やはり十本を越える触手に襲われるとなると怖い。

「あのー、できれば優しくお願いします」

 そしてスムーズにカーディガンを脱がされ、ジャンパースカートも落ちた。

(助けが来るならそろそろ来て――! でなければもう来ないでいい!)


 ネクタイが解け、シャツのボタンが外されていく。片方の袖を脱がされたところで部屋の扉が開いた。

「ッ、ヴァン!」

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