第30話 奮闘の三年生(5)

 診察を受けたマリエラの体に問題はなかった。採血結果も異常なし、帰郷許可もおりた。マリエラの制服は破れてしまったので、学園のものを借りる。


「ルーヴィック君ね、あなたが倒れてからずーっとここで待っていたのよ」

「ずっとですか?」

「ええ。王宮からは伝令がきていたようだけど突っ返していたわ。さすが特等級はやることが違うわね。まぁ殿下も口添えされていたようだけど」


 やっぱり無理してるんじゃないか。

「マリエラが目覚めるまで傍にいる、って。大事にされてるわね」

「そう、ですね」

 シャリアは表情を緩ませ、慈愛と悲しみの混じる瞳で微笑んだ。小さく溜め息をつく。

「あなたが救護室に運ばれてきたときはね、それはもう酷い顔をしていたのよ、彼。生徒のあんな顔、二度と見たくないものね」

 多分あのとき、ヴァンは泣いていた。あのヴァンが泣いていた。


「シュベルト公爵領は遠いでしょう? 病み上がりのあなたのために、ルーヴィック君が大型空間転移魔法陣の使用許可をもぎ取っていたわ。お大事にね、マリエラさん。――今回のこと、いち教員として謝罪します。また改めて、使者が伺うと思うわ」

「そんな、だって先生たちにだって防ぎようがなかった」

「何か異変が起きているのかもしれない。けれど、学園に悪魔が入り込んだのは学園の落ち度。本来なら防衛魔法で弾かれているはず。……そのことも含め、夏期休暇中に精査が行われるわ。新学期、皆が安心して登校できるようにね」


 これは《災厄》が現れる予兆の一つなのだと、マリエラは理解している。だがそれを確信して分かっているのはマリエラだけなのである。

 これは、ソフィーの秘めたる力が覚醒するイベントだった。しかし本来なら、ソフィーの最も好感度の高い攻略対象がほどほどに深い傷を負う程度のものである。上級悪魔が勝手に召喚されることなどない。しかもあの悪魔は真っ先にソフィーを見つけ、害そうとしていた。そしてそれをマリエラがかばった。


(シナリオの大筋は変わっていないけれど物語は変わっている。それは私がイレギュラーな存在になりつつあるから? 何か他に、違うことがあるのか……)


「先生。私、新学期が始まってアカデミーに来ることを楽しみにしていますから」

「ありがとね、マリエラさん。……ああ、そろそろ騎士様が到着するんじゃないかしら」

 ちょうど扉がノックされ、ヴァンが入ってきた。マリエラに異常がないことが分かるとほっと胸を撫で下ろす。


「じゃ、荷物まとめたら出る?」

「あっ、うん。急ぐね」

「そんなに急がなくても、大型魔法陣使うからすぐだよ。それでは先生、ありがとうございました」

「お世話になりました」


 ごく自然に、ヴァンに手を差し伸べられてマリエラはベッドを下りた。ふふ、と微笑みながら手をふるシャリアに一礼し、特別救護室を出てからも手は繋いだままだ。病み上がりの体調を心配してくれているのだろうか。出会ったころは同じくらいの背丈だったのに、今やヴァンは見上げるくらいに高い。マリエラも女のなかでは高いほうだが、ヴァンも高いのである。何度も支えてもらった手のひらも、大きい。

 きゅ、と握るとヴァンがちらりと振り返った。そのまま無言で寮の方へ向かう。

 予定より早く夏期休暇を迎えた校舎は、がらんとして静かだった。




 帰省の荷物をまとめ、寮の外で待つヴァンの元へ向かう。校舎の中央棟の最上階、厳重に何重もの鍵が施錠されている扉の向こうに大型空間転移魔法陣がある。同じものが王国領土内には数カ所あり、そのどれかと繋がれる仕組みだ。使う魔力も莫大で、王族が秘密裏に移動するときや火急の用件があるときなどに使われる。「いち生徒が一人で使うときがくるなんてなぁ」と言ったのは、鍵を開けてくれた副校長である。

 直径三メートルの魔法陣は、複数の円と古代語でびっちり描き込まれたものだった。二人はその中央に立ち、ヴァンが右手を横に払う。魔法陣が白く発光し、上昇気流が生まれて白い粒子が舞い上がっていく。


「それでは行ってきます」

「気をつけてな」


 副校長が手を振ったその瞬間、景色が真っ白く消えた。一瞬の浮遊感のあと、足裏に確かな着地。濃紺のタペストリーが多数かけられた、白いレンガ作りの小部屋にいた。

「どこだろう」

「シュベルト公爵領の基地のはずだけど」


 しばらくして、複数の駆け足が聞こえてきた。バン! と扉が開けられ、白い実験着にゴーグルを首からぶら下げた人たちが入ってくる。

「う、わー! マジで二人だけで来てる!」「通達では特等級サマが来るってあったけど、え、こんな若いの!?」「アカデミーの制服懐かしーなぁ」


 二十代から三十代の男性たちがわいわい盛り上がっている。どうしたのものかと思っていると、後から来た女性が彼らを叱ってくれた。

「ごめんなさいね。ここはシュベルト領魔法科学研究所です。大型魔法陣が使われることの通達はきていたから、これを一人で作動させるなんて何者だろうって盛り上がっていたの。すぐに発つのでしょう? 馬車や魔法具も用意しています」

「ありがとうございます。俺は特等級魔法使いのヴァン・ルーヴィック」

「私はマリエラ・シュベルトです。感謝致します」

 女性の背後で「まさか公爵令嬢!?」という悲鳴が上がった。



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