第29話 奮闘の三年生(4)
目覚めると見慣れぬ天井が見えた。清潔そうな薄い毛布、少しごわりとする枕、左腕には注射を打った跡のようなガーゼが貼られている。服は水色の入院着に変わっていた。窓には白いカーテンが引かれ、部屋に入る陽光を和らげている。
ベッドの傍にある安楽椅子に、目を瞑って静かに寝ている人が一人。
「ヴァン?」
「……あ、起きた?」
「おはよう。ここは、特別救護室ね?」
「そ。マリエラが倒れてからちょうど一日後の、午後二時だよ。夜中に一度起きたけど、覚えてない?」
ふるふる首を振ると、ヴァンはにやりとした。
「ふーん。寝ぼけてたからか」
「待って、何か変なことでも言ったの」
「別に? えーと、体調に問題ないようだったら、あのあとどうなったか説明するけど。先生呼ぶのとどっちが先がいい?」
「夜中のことは教えてくれないつもりなのね。……あのあとのこと、先に聞きたい」
「おっけ。上級悪魔は俺が強制的に送り返した。まず、どうしてあんなモノが召喚されたのか、だけど――」
それはヴァンが見つけた。ホールの中に低級悪魔が潜んでいたのである。先の召喚術で紛れ込んだものと思われる、力の弱い悪魔だった。だが、仲間を喚ぶ力は高かったようで、整えられた舞台を使い、生徒たちが用意した魔法陣を組み合わせて改変し、足りない魔力は奪った魔石を使い、あの悪魔を召喚した――と思われる。
それにしたって偶然に偶然を重ねたような、奇跡のような確率である。
「そんなことが、あり得るの」
「前代未聞だけどね。早急に精査が必要で、王宮や各研究施設から魔法士たちがやって来てる。夏期休暇まであと一週間だったけど、急きょ前倒しで休みになったよ。昨日今日で生徒たちは実家に帰るか、臨海研修みたいな宿泊施設に移動してる。万が一、学園そのものが危ないことに備えてね。ソフィーさんはきみが目覚めるまで学園にいたいって言ってたけど、王宮に連れて行かれたよ。彼女の力を分析するために」
「ソフィーさんは、たぶん」
「きみの怪我を治せたところをみるに、御伽噺で聞く聖人だろうね。となると、世界が人間を裁判にかける《災厄》が迫っている……ってことになっちゃうけど、建国前の御伽噺だもんなぁ。戦で一度王宮は燃えているし、資料もあまり残ってない気がする」
「……。そういえば、殿下は? ヴァンはここにいて大丈夫なの」
フィリップの護衛であるヴァンは、今こそ彼を護らなくてはいけないのでは。
ヴァンはハァーと呆れた溜め息をついた。
「フィリップなら王宮からすぐお迎えが来て、大勢の護衛とともに帰ったよ。今ごろソフィーさんを慰めでもしてるんじゃない?」
「ヴァンは?」
「誰がマリエラを護れると思ってんの?」
「……えっ」
「先生たちだって手が回らなくてバタバタしてるなか、きみを護れる優秀な魔法使いなんて俺くらいなもんでしょ。診察して体に異常がなければ公爵領まで送り届けるよ」
「えっと、あの、……ありがとう」
きっと、無理を言ったのだ。王宮だってヴァンの手が欲しいに決まっている。
マリエラは妙にヴァンの顔が見られなくなり、視線を手元に落とした。
「……俺が、もう少し早ければ、マリエラがあんなことにはならなかった」
「十分早かったよ! だってあれ、空間転移魔法使ったでしょ」
「うん。クラーケン退治のことを反省して、空間転移魔法をピアスの魔法石に仕込んでおいた。それでも……。ソフィーさんがいなかったら、マリエラは」
確実に死んでいた。そして、ヴァンがあのタイミングで来なかったら、クラスメイトたちも死んでいた。ダニエルやロイは強いが、誰かをかばいながら戦うまでは無理だろう。
「でも生きてる! ね! 助けてくれてありがとう、ヴァン」
「……背中の傷、悪魔によるものだから結構酷く残るらしい。右肩から左腰にかけて、袈裟懸けに斬られてる。歴戦の戦士でもなかなかないレベルの傷だよ」
「もしかして心配してくれてる? 傷物になったとか、結婚相手が~とか」
「女の人は、辛いもんじゃないの」
「ヴァンはそういうの気にする質じゃないでしょ? だったら別に」
珍しいことに、ヴァンが数拍うろたえた。
「え、あ、そりゃ、俺は全然気にしない、全然。名誉の負傷だと思う」
「だったら問題ないじゃん」
「……そうだね」
どこか浮ついたような、ふわふわ浮かぶ雲のような声音だった。険しかった顔つきも和らぎ、視線を泳がせている。
どうしたのだろう、と疑問に思って気付く。
さっき、実はとんでもないことを言ったのでは?
結婚相手は、肌を見せるのはヴァンだから、ヴァンが気にしないのなら問題にならないとかそういう――
「ヒェッ!」
「どうしたの突然奇声をあげて。……やっぱどっか痛い?」
心配そうな顔つきになったヴァンが立ち上がり、マリエラの顔を覗き込む。不思議な心地にさせる灰色の瞳に自分の顔が映り、安心させるヴァンの匂いが香る。
「だだだだだ大丈夫! せ、先生を呼んできてください、診察してもらうっ」
「ほんとに無理してない?」
「してないわ、大丈夫!」
訝しげなヴァンを見送り、はぁはぁと呼吸を整えた。頭を抱えて体を小さく折りたたむ。ヴァンはマリエラの発言をどのように捉えたのだろうか。
(『そうだね』って……どういう意味!? どういう意味で言ったの!? どうして突っ込んだりからかったりしなかったわけ!? いつもみたいに!)
いつもなら――『へぇ、マリエラってやっぱ俺のこと好きなんだ。へぇ~』とか言いそうなものを、どうして肯定した!? いたたまれない。穴があったら入りたい。
(うわああぁぁぁぁぁん)
救護教諭のシャリアが来るまで、マリエラはじたばたしていた。
(そういえば――ソフィーの覚醒のイベントって)
チリリリリと頭の後ろに痛みが走り、マリエラは思い出した。
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