第28話 奮闘の三年生(3)

 三年生の前期が終わる六ノ月。試験も終え、あと一週間もすれば三週間の夏期休暇である。多くの生徒は里帰りし、バカンスなどの予定を入れているので空気が浮き足立っていた。マリエラも領地の公爵邸に帰省予定である。


「ソフィーさんも、よければ遊びに来ない? 家族の方が恋しがっているだろうから、まぁ、一週間ほど」

「エッ! こ、公爵様のお家にですか……?」

「ええ。学園ではできないマナーを叩き込んであげる。コース料理とか、お茶会とか、妹もいるし。両親や兄たちも、ソフィーさんと会いたいらしいの」

「うっ……よろしくお願いいたします……緊張します」


 社交界でそつなく過ごしていたマリエラは、深く付き合う友人もいなかった。一番親交を重ねていたのは、なんだかんだヴァンだろう。そんなマリエラに仲の良い友人ができたと知った両親は、シャンパンを開けて乾杯していた。


「すぐ両親に日程を確認しますね。あ、マリエラ様、第一陣始まるみたいですよ」


 三年生で始まる召喚術の授業で今日、初めて実践するのだ。場所は多目的ホール、八角形の屋根の木造建築で、校舎として独立している。窓には全て暗幕を垂らし、光源は天井にある橙色の照明がいくつかと、燭台に灯された火のみである。

 生徒はそれぞれこの日のために魔法陣を準備した。順番になると、教師が予め用意してくれていた大魔法陣の中央に、自身のそれを書いた魔法紙を置く。そして教師がチェックしたあと、呪文を唱えて召喚するのだ。

 魔法陣に現れるのは、小さな風の妖精だったり、ハムスターのような魔法生物であったりそれぞれである。召喚に応じてくれたお礼として金平糖を渡し、送り返して終了となる。


「あっ!」


 三人目、召喚した魔法生物が大きな虎だった。術者より高位の存在がたまたま現れてしまい、気まぐれに生徒を害そうとしたところ、教師が冷静に対処して虎を送り返した。召喚した生徒のライアンは魔力をごっそり取られたのか、ふらついて床に膝をつく。

教師がライアンを支え、一旦ホールを出て行く。「わたしはライアンを保健室へ連れていく。すぐ戻るので、そのまま待機していなさい」

「大丈夫ですかね……召喚術ってこういうこともあるんですね」

「一時的な魔力欠乏症のようだったけれど、辛いでしょうね。召喚術ってこういう危険もあるから、三年になるまでやってなかったのね」


 先程までは期待に満ちていた生徒たちに、不安げな雰囲気が漂う。

 そんなとき、ホールに一筋の風が吹いた。魔法陣を囲んでいた燭台の火がふっと消え、天井に吊された照明もパキンと音を鳴らして消えた。昼間とはいえ暗幕を垂らしているのでかなり暗くなる。


「えっ、なに!?」「俺消してないぞ!」「なんか風が吹いたっ」


 ホール内は一時騒然となる。ロイが冷静に動き、火魔法で燭台の火を灯した。そこで見えたのは、魔法陣が描かれた魔法紙が三枚、ひらりひらりと舞って大魔法陣の上に落ちてゆくところだ。ころりころりと石ころも数粒転がっていく。黒や透明、紫色の不揃いな石は、おそらく魔法石だ。それが大魔法陣の上まで転がり、消し炭のように崩れていった。


 嫌な予感しかしなかった。


 ロイは大魔法陣のところへ走り出し、パニックに陥りそうだった女子を慰めていたダニエルも同じように駆けた。

 突如、三枚の魔法紙を発端に黄緑色の炎が噴出し、巨大な黒い影が立ち上がる。成人男性三倍ほどの大きさになった其れは輪郭を形作る。人間によく似たヒトガタに、長い手足、赤く光る瞳、山羊のような二本の角、耳を割るような『ギィイアアアアアア!』という咆哮。

 凄まじい威圧感と臓腑を鷲掴まれているかのような恐怖に、生徒の幾人かは腰を抜かしてへたりこんだ。


「上級悪魔……!」


 悪魔はソフィーを見つけた。時間にしてコンマ二秒。こちらに向かって手を振りかざし、衝撃波を放つ。ロイとダニエルが悪魔へ特攻し、一つ目の攻撃を弾くも足で蹴り払われ壁に激突、ここで二秒。マリエラは咄嗟に氷属性の障壁を三枚創り出したが、バリンバリンと簡単に割れていく。マリエラはソフィーをかばうように抱きしめて、悪魔に背を向けた。

 そして五秒目、背中が切り裂かれた。


「――――――ッ!」


 痛くて、熱くて、灼かれるようで声も出なかった。ずるり、とソフィーにもたれかかる。

(痛い! 痛い! 痛い! 死ぬ! ……でも! 絶対にソフィーを死なせては駄目!)

 守るように、包み込むようにソフィーに抱きついた。


「まり、マリエラ、さま……?」

 マリエラを支えきれなくなったソフィーの体が、小刻みに震えながら崩れていく。

 そして――大気を割るような凄まじい雷鳴が轟いた。霞んでゆく視界が一瞬、閃光で包まれる。


『ギイィアオオオオォォォ……!』

「お前の世界に、帰れ」


 静謐な声だった。それでいて、一帯を燃やし尽くすような怒りに満ちている。

 ヴァンだ。


「帰れ!」


 禍々しい気配が消えていくのが分かる。ヴァンが悪魔を追い返したのだ。

 マリエラは、へたりこんだソフィーの太腿に頭をのせ、うつぶせに転がっていた。痛くて熱かった体がどんどん寒くなっていく。目はもうよく見えない。


「マリエラさま……? マリエラさま!? うそ、嘘嘘嘘嘘ッ!!」

 ソフィーの声はよく聞こえた。可愛らしい、大切な友人。

「いや、いやだ! どうして私をかばったりなんか! いや、いや、こんなの嫌! マリエラ様あああ!」

「そ、そふぃー、さ……」

「マリエラさま……?」

 公爵家に生まれたマリエラに責務があるように、ソフィーにも責務がある。マリエラと違い、それはある日突然告げられる。


「……あ、あなたには、おおきなやくめが、ある。きっとだいじょうぶ。あなたなら、できるわ。じぶんを、しんじて」

「マリエラさま? ねぇ、マリエラさま」

「だいすきよ、ソフィー。がんばって――」


 どうやらここまでらしい。全ての感覚がなくなっていく。

(まさか卒業を待たずに死ぬなんてね……。がんばって、ソフィー。それにヴァンと、皆……《災厄》をなんとかして……)


「やだっ! マリエラ様! いかないで、目を開けて!」


(学園生活、楽しかったなぁ。最初はバッドEND回避が目的で頑張ってきたけど、楽しかった。もっと、もっと――……。こんなところで、しにたく、ないのに)


「やだやだやだ! マリエラ様マリエラ様マリエラ様! こんなの絶対認めない!」

 ソフィーが絶叫した。


 ――あたたかい、白い光が弾けた。羽毛に包まれたような心地だ。幼児になって、母親の腕にくるまれているような、穏やかなまどろみのなかにいる。

 薄ら瞼をあげた。木目の床と、クラスメイトの足下が見える。息を吸い込む。酷い痛みが、ない。


「……あれ?」

 マリエラは首をひねり、上を見上げた。涙でぐしょぐしょになっているソフィーと目が合う。

「私、生きてるわね」

「うっ、わああぁぁぁぁぁあああ!」

 ぼたぼたぼたっとソフィーの涙がマリエラの上に落ちてきて頬を濡らした。上から覆い被さるように抱きしめられ、ひっくひっくと嗚咽を聞く。


(……なんで生きてるんだろ。もう痛くもないし)

「傷が、塞がっている」

 ヴァンの呆然とした声が降ってくる。マリエラが身じろぎすると、ソフィーも半身を起こし、視界が開けた。

「マリエラ」

 ヴァンが床に膝を突いてこちらを覗き込んできた。そっと、頬に手を添えられる。指先は震えている。


「生きてる?」

「うん……生きてるみたい」

 両脇に手を差し込まれ、ゆっくり体が引き上げられた。床にぺたんと座り、正面にいるヴァンと目を合わす。

「どこかおかしいところは?」

 腕を軽く持ち上げてみても痛みも何もなかった。真剣な表情をしているヴァンの顔もよく見える。


「不思議なことに、ない」

 マリエラがそう頷くと、ヴァンの顔がくしゃりと歪んだ。立て膝のままこちらに近づいてきた彼の、白いシャツに視界が覆われる。


「バッ……カ!」

 ヴァンの声も、マリエラを抱きしめる腕も、色々なものを堪えるようにぶるぶる震えていた。押し付けられた胸板から、どくんどくんと強く心臓の音が聞こえる。


「うん」

「……莫迦」

「……うん」


 苦しいくらいきつく抱きしめられながら、マリエラも涙が溢れた。

 泣いているヴァンを抱きしめ返そうと腕をのばして――ぐらりと脳が揺れた。


「ヴァ、ヴァン、あのね」

「……なに」

「多分これ、貧血――」

 そこでマリエラの記憶は途絶えた。

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