第27話 奮闘の三年生(2)
新学年が始まって三ヶ月ほど経った四ノ月、事件が起きた。
マリエラはヴァンを部室に呼んでいた。魔法具が正しく機能しているかの確認のためだ。プラチナの細身のリングに、碧色の小粒の魔法石が三つ嵌め込まれている。二年生の終わりに出来上がった毒探知の指輪である。
毒薬が半径五センチのところに近づくと、魔法石がチカチカチカッと光る。全ての毒をカバーできているわけではないが、死に至らしめるような強力なものには反応するはずだ。
「うん、ちゃんとできてるわ」
「マリエラがかなり努力してくれたってのは分かるよ、現に凄いし。でもねぇこれ、魔法薬学で毒素材使うときもチカチカ光るんだよね」
「うっ……ごめん、そこまで考えてなかった……」
「まぁいいけど。チカチカするたび、あ~マリエラ頑張ってんね~、って思うことにしてるから」
「魔法式の稚拙さを遠回しに笑っていらっしゃる?」
「えー? まさかぁ」
マリエラがヴァンの右人差し指に指輪を嵌めてから、外しているところは見たことがない。なんだかんだ律儀な男である。
そうしているとき、ドン! と扉に何かがぶつかる音がした。ややしてから静かに開き、よろよろと、今にも泣き崩れそうなソフィーが入ってくる。顔が青い。
「あ……マリエラ様ぁ。ヴァン様もいらしてるんですね。他の方は?」
「いないわ。それよりどうしたの、顔が真っ青よ」
「まっ……マリエラさまああああああああ」
ソフィーはマリエラの隣の席に座り、机に突っ伏して嘆いた。マリエラはとりあえずその背をさする。
「本当にどうしたの?」
「……ぃ……フィリップ様に、好きだと、言われました」
マリエラもヴァンも息を吞んだ。マリエラは『ついにきたか』という驚きで、ヴァンは『まさか言ったのか』という驚きだろう。未来の王であろうフィリップが、学生時代の色恋に左右されて貴族階級でない子女に告白するとは。
「付き合ってほしいとか、そういうことは言われていません。自分は王子の身であるから、恋愛はできないと。でも、それでも好きという気持ちを伝えたかった、って。こんなに、誰かに心を揺さぶられて、見ているだけで辛くも幸せな気持ちになるなんて初めてで、多分この先もないだろう、って。ありがとう、とも言われました。自己満足の独りよがりで御免ね、って。他にも、たくさん……」
ソフィーは震えている。
「ソフィーさんは、なんて言ったの?」
「わ、わたし、逃げてしまったんです」
「逃げた?」
「私もフィリップ様が好きです。まさか両思いだなんて、フィリップ様が伝えてくださるなんて思ってなかった。どうすればいいか分からなくなったんです。私も好きだって伝えたところでどうすればいいんでしょう。辛いだけでは? ずっと心にしこりが残ってしまいそう。それに、両思いだって知られれば、フィリップ様の未来に影を落とすのでは」
フ――――、とマリエラは長い溜め息をついた。ヴァンは黙っている。
「ソフィーさんは、本当は自分の気持ち、伝えたい?」
「は、い」
「なら言いなさい。今からでも追いかけて伝えてきなさい」
「でも! ま、マリエラ様と違って私はただの庶民なんですよ!?」
「そうね、私の立場なら大手を振って応えることができるでしょう。でもね、殿下が好きになったのはソフィーさんなの。好きなら好きって言ってきなさい。未来のことなんてこれから考えていけばいいの。大切なのはね、後悔しないで全力で生きることよ」
「マリエラさま……」
「未来に何が起こるかなんて分からないのよ。もしソフィーさんがヴァンに並ぶくらいの魔法士になったら周りは認めるだろうし、爵位も授かるかもしれないわ。両思いになったらなったで冷めるかもしれない。これからのことは、二人で話し合えばいいの」
おそらく、ソフィーが逃げたことで、フィリップのメリバENDポイントが大量に加点されている。ソフィーがフィリップを好きなまま卒業を迎えると、確実にメリバENDにルートが確定される。自白薬を飲まされて、両思いだということを知られると、フィリップはソフィーを囲い込んで逃さない。
ゲームの世界では。
「でも、でもねマリエラ様――」
「でももなんでもいいから行ってきなさい! 私を! 助けると思って!!」
「えっ」
「行け!」
マリエラは思い切り拍手を打った。パァン! と良い音がして、ソフィーがびくっと立ち上がる。
「い、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「たぶん今、フィリップは王家専用のあの部屋にいるよ。道案内をつけてあげる」
ヴァンが宙に絵を描くと、黒い鱗粉を散らす黒蝶が現れた。ヒラヒラと舞い、扉の前へ飛んでいく。いつぞや、ロイに案内してもらって辿り着いたあの部屋まで連れていってくれるらしい。
ぱたぱたと蝶を追いかけてゆく足音が遠ざかり、マリエラは息を吐いた。どうかうまくいってくれ。
「ずいぶん熱弁するじゃん」
「あなたは黙っていたわね」
「思い出してたんだよね。十歳くらいだっけ? 君が婚約者候補辞退して、王子の運命に自分はいないって言ってたやつ。その君がソフィーさんの背を押した。ってことは、ソフィーさんがフィリップの運命?」
「そうかもしれないと思います。ヴァン様は、どう思われますか」
「んー? そうだね、もしソフィーが王妃になったとして、それはそれで外戚の心配がないのは良い面もあるね。後ろ盾がいないぶん、どうやっていくかは問題で――マ、俺くらいの魔法士になったら全面降伏だよ」
ソフィーはそれと似た、類い希なる魔法使いになるはずだ。
「〝心を揺さぶられて、見ているだけで辛くも幸せな気持ち〟ねぇ……フィリップは相変わらず人が良い。俺は見ているだけで幸せにはならないね。初めから諦めてるなんて、焦燥感だけが募る。俺は……絶対に俺のものする。他の誰かのもんになるなんて、ぜってーヤダ」
ヴァンは右人差し指の指輪を睨みつけながら言う。じりじりした瞳の熱で、魔法石がチカリと反応しそうだった。
彼がそんな熱量を持っていたとは。驚くと同時に、胸に乾いた風が吹き込んだような心地がした。
まるでヴァンにはそういう相手がいるようだ。
「……ヴァンらしい、ね」
ぽつりと言うと、ヴァンがこちらを向く。
「他人事だと思ってんでしょ。マリエラはどうなの? 自分に好きなやつがいたとして、いつもみたく他人優先にして諦めんの?」
別にいつも他人優先にしているわけじゃ、と言いかけた口をつぐんだ。ひりひりするような眼差しを向けられて、たじろぐ。
「わた、わたしは」
「うん」
エンディングを迎えた先の未来、マリエラが平穏に生きていられる向こうを想像して、唇がわなないた。
「わたしだって、そりゃ、好きな人と」
ガチャリと扉が開き、暢気な様子で入ってきたオースティンがビクッと動きを止める。
「あー……オレ、すっごいお邪魔しちゃいました?」
「あ……」
ばちんと夢から現実に引き戻されたようで、マリエラは放心した。
チッ! とヴァンの舌打ちが響く。
「ほんと、めっちゃ邪魔。あと少しだったのに、オマエのせい」
「待って? あと少しって何が?」
「ヴァン殿こっわ! 今日は部活日じゃないから自由にやれると思ったのになー」
「オースティン様も自由に何をやろうとしているの?」
商会の薬だろうか。エンディング分岐に関わらず、怪しい薬を作って販売しているのだろうか。やぶ蛇になるかもしれないから突っ込まない方が良い。
「ハァー。マリエラも元の調子に戻っちゃったしさぁ。とはいえ、オースティンと二人きりにさせるのは危ないから、もうちょっとここにいようかな。結構居心地いいし。ねぇ、お茶とか出してよ」
ヴァンはだらしくなく机にもたれかかり、目を閉じた。
「オレ、女王様に不埒なことなんてしないけど。こんなに怖いお目付役もいるしさぁ」
「不埒じゃなくて、薬の実験台にするんじゃないかって心配なのでは? それとそろそろ女王様呼びやめてくださる?」
「薬の実験台……あー……」
「そこは否定しないの!? はぁ……ヴァンはコーヒーでいいかしら」
ウィ、と頷いたヴァンのためにコーヒーを淹れてやる。
ヴァンとオースティンは案外仲が良さそうだった。
夜、ソフィーはたくさん泣いたのであろう赤い目をして帰ってきた。
「ちゃんと、伝えました」
「そう。頑張ったわね」
「これからのことも話しました。王室から認められるよう、お互い模索しつつ頑張ること。認められるまでは、適度な距離を保つこと。もし頑張った末に認められなかったら……ちゃんと、諦めて、それぞれ別の道をいくこと」
「……そう」
マリエラはソフィーを抱きしめた。肩口に埋まったソフィーの頭を撫でてやる。
「マリエラ様……私、がんばる」
「そうね、頑張りましょう。貴族令嬢の礼儀作法なら私が叩き込んであげるから」
「えっ?」
「食事のマナーとかも含め、私が受けた教育をあなたに教え込んであげる。時間がないからスパルタでいくわよ」
よろしくお願いしますと頭を下げたソフィーに、マリエラはにんまり笑った。
これまで誰のルートに進むか分からなかったため、マナーなどには口出ししなかったが、未来の王妃にもなると話は違う。きっと、マリエラが王妃教育もどきを受けたのはこのためだったのだ。手塩にかけて育ててみせる。
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