第17話 二年生、マリエラの受難はなくならない(2)

 そんなことをオースティンと話した三日後の朝。二年B組にヴァンがやって来た。もうすぐ一限が始まるというのにズカズカと教室に入ってきて、マリエラの手首を掴む。


「ヴァン様? どうしたの」

「ちょっと用がある。ねぇソフィーさん、一限目マリエラ嬢かりてくからよろしくね」

「待ちなさい、私はサボったりしな――」

「了解ですヴァン様!」


 ソフィーに笑顔で送り出され、マリエラはヴァンに仕方なしについて行った。こうなったヴァンを止める術はないからもある。

 渡り廊下に出て、いつかのときと同じように横抱きにされた状態で箒に乗り、南側の塔のてっぺんにある四阿に着いた。


「それで、何の用かしらヴァン様」

 前とは立場が逆である。じろりと見つめられ、マリエラは居心地が悪くなって目を逸らした。変わらずここは眺望が良い。

 若葉萌え命輝く二ノ月。森の木々も魔力に満ちた輝きを放っている。


「きみ、卒業後はドーロワールに移住するつもりってマジ?」

「オースティン様ね。そういえばあなたたち同じD組だったわね。話とかするんだ」

「制度についても既に調べてるって聞いたけど。マリエラ嬢って他国に出たい願望とかあったっけ?」

「移住するつもりはないわよ。公爵家として生まれたからには、この国に尽くそうと思っています。ただ、万が一この国にいられなくなる状況だってありえるじゃない。色々考えて準備しておくのは悪いことじゃないでしょう?」

「きみが? この国にいられなくなる状況?」


 ヴァンがマリエラとの距離を詰めてきた。手を伸ばせば触れられるところで、腕を組み、見下ろして凄まれる。怖い。


「は、い」

「……絶対に結婚したくないような相手と婚約でもさせられそうなの?」

「……はい? どうしてそうなるんです?」

「だってそれしか考えられなくない? マリエラ嬢が国外逃亡を企てるなんてさ」

「企てるだなんて。ってゆーか私に婚約の話なんて一切ないです」

「ほんと? まだ殿下のお妃候補の件、有効なの?」


 マリエラは首を振った。大人たちの噂は噂の範疇である。殿下の婚約者を目指せ、と父から言われたことはなく、他の婚約者の打診もされたことはない。両親が何を考えているのかマリエラもよく分からないが、好きにさせてくれているのだと予想はつく。


「じゃあさぁ……もし結婚を認められなかったら駆け落ちしようと思う相手が、いるわけ?」

「――ん!? 話が突飛な方向にいきますね。違いますよ、そんな人いませんよ!」

「ほんと? 昔っからガリ勉お姫様だけどさぁ、そーゆー色恋の類、まだ興味ないの」

「ないですよ。今は学業優先です。在学中は恋人も作る気はありません」

「ふーん?」


 どうして尋問されているのだろう。じりじりと少しずつ追い詰められ、後退していくうちにマリエラの腰に壁が当たった。


「じゃあ、なんで国外移住を調べてたの」

「よ、予知、みたいな……可能性の話ですけど。私がこの国にいられないような、状況も未来にはあるんです」

「そういえば昔にも言ってたねそんなこと。運命だとか、予知だとか」

 覚えていたのかと驚いた。心の声が漏れたのか、ヴァンは「当たり前じゃん」と言う。

「まぁいいけど。もしそんなことになったら、俺がなんとかするから」

「え」

「国外逃亡する前に、俺に相談しなよね」

「う、ん」


 ヴァンは呆れた溜め息をついて、当たり前のように言う。長く続いている腐れ縁。マリエラに対して普段はあまり優しくないのに、こういうとき突然優しさをみせてくる。

(そういうヴァン様が、死んでしまう未来もあるの……!)

 あまり考えないようにしていた一つの未来のこと。この人が簡単に死ぬ訳がないのに、信じられないのに、記憶として確かにある。

(わたしが……わたしが、なんとか、しないと、いけない)

 追い打ちをかけてくる焦燥感に、マリエラの目からぼろりと涙がこぼれた。


「エッ、なに泣いてんの!? そんなに不安だったんなら周りに言いなよ。ソフィーさんはマリエラ嬢のこと大好きだし、フィリップも幼馴染みって公言してるし、俺は優しいから今みたいに聞いてあげるし。きみさぁ、一人で抱え込むタイプでしょ。なのにいつも人のことばっかだよね。毎度毎度ソフィーさんのトラブルを回避するために自分が盾になってさぁ。この前も見たよ、合同の実践魔法の授業であの子かばって結局自分が泥まみれになってたじゃん。ちょっと過保護が過ぎるんじゃない」


 立て板に水である。どうしてこういうときばかりペラペラと喋るのかこの男は。ぼろぼろっと追加で涙が出ていくではないか。


「あーもー……きみがそうやって泣いてるとこなんて初めてかも。そんなに辛いなら吐き出しなよね。不器用だな」

「あっ、あなたほどではないわ」

「ふーん。じゃあ一つ約束してよ」


 ヴァンが右の小指をスッと差し出してきた。いつかのマリエラが彼に教えた指切りのおまじないである。マリエラは彼の小指に自分のものを絡めた。


「ゆーびきーりげーんまーん在学中にマリエラ嬢が彼氏作ったら変身薬のーます、指切った!」

 小指にバチンと小さい衝撃が走った。かすかに魔法の匂いがする。

「はぁ!? 彼氏? 変身薬? なんのこと? それにこれ絶対私がやったおまじないじゃないよね何かしたよね!?」

「在学中は彼氏作らないって言ったじゃん。あとこれは、マリエラ嬢が教えてくれたおまじないを改良して契約魔法にしてみただけ~。変身薬は適当につけただけだけど、そうだな、猫チャンになって俺が飼ってあげてもいいよ」

「よくないわ! ってか、なんでこんなこと? 嫌がらせ?」

「ウン。まぁそれでいいよ」

「こんな違法契約、絶対破棄してやる!」

「頑張ってみてよ。しばらくはほかに考えることが増えたね。はは」


 ほくそ笑むようなヴァンの顔を見て、マリエラの涙は引っ込んだ。

 そして授業のサボりは二回目になった。

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