第47話

 悍ましい男……その言葉を聞いた瞬間、忌まわしい記憶が体中を戦慄かせ、腕中にプツプツと鳥肌が立った。


「可哀そうに……生身の人間であれ亡者であれ、瑞樹ちゃんを穢さないと気が済まないのね」


 彼女は私の心情を慮ったのか、今度は聖母のような憐みの表情をこちらに向けながら淡々とそう語った。


「でもね、あんなに憐れな存在は初めてよ。瑞樹ちゃんの魂に蔦のように妄念を絡みつかせて、まるで母親から離れようとしない乳呑み児のようだもの」


 気持ち悪い。今まで見聞きした中で一番吐き気のする亡者だ。しかし気付かれないよう潜伏していたとはいえ、亡者が発する波長は嫌でもツカレビトの精神に影響を与えるはずだ。それなのに、飯山瑞樹よく今まで正気を保てたものだ。ようやく気持ちが落ち着いてきた私は長く深いため息をついて気を取り直した。


「そんなに強いんですか、そいつ?」

「ええ。さっきも言った通り、あの亡者さえいれば倉木ミツキを葬り去れるかもしれない……彼女の背後にいる牝狐共ごとね。でもあの子はまだ使いこなせないでしょうね。それに……」

「それに、瑞樹ちゃんがどんな酷い目に遭おうともその亡者は助けなかった、ですよね。私たちの味方になるかどうかも分からない訳ですか。あなたを乗っ取ろうともしたわけですし」

「ええ、この儀式で瑞樹ちゃんが手に入れるのは鞍と手綱だけ。あの暴れ馬を乗りこなせるのは彼女次第よ。諸刃の剣に頼るほど私も呑気ではないわ。だから私の式神の1つを彼女にあげるの」

「式神も使役できるんですか!?」


 私は思わず声を上げてしまった。両刀使いということは文香さんと同じタイプか、こりゃ凄い。しかし、亡者を満足に統制下におけるかも分からない状態で式神を使役することなどできるのだろうか。文香さんはそんな私の考えを見透かしたかのようにこう言った。


「あげるというよりシェアね。彼女が手に入れるのは私の左手に宿る式神。主人たる私が許可しなければ発動しない仕組みとなっているわ。彼女は自分自身を守るために私の左手が必要になるの」


 なるほど。要するに、彼女は身の安全のために常に文香さんの側にいなくてはならないという訳か。確かに勘づかれないよう慎重に動いているとはいえ、私たちの側に引き込まれた飯山瑞樹がこの先特安に目を付けられないとも限らない。もっと厄介な連中にだって……。ただ、裏を返せばそれは彼女を信用していないと言っているようなものではないか。


「あの、言い辛いんですけど……あそこまで文香さんを慕う彼女に首輪をつけるような真似はちょっと酷というか」


 私は勇気を出して、喉に小骨のように刺さった想いを文香さんにぶつけてみた。案の定、文香さんは眉間に皺をよせて抗議した(この表情も気を許した人間にしか見せない表情だ)。


「そんな言い方しないで頂戴。あの子は娘みたいなものよ。瑞樹ちゃんはまだ思春期の女の子だし、何より不安定な状態だもの。今は私の手元に置いておくのが一番なの」

「娘……ですか」


 娘なら美幸ちゃんがいるじゃないですか、そう言いかけて慌てて口を閉じた。流石に出しゃばり過ぎだ。母娘仲が険悪なのは血筋なのだろうか。それにしても、会ってまだ1週間そこいらだというのに随分な気に入りようだ。文香さんは境内の古墳跡にぼんやりと視線を向けながらぼそりと呟いた。


「実の娘や、引き取った子供すら利用しようとする。そんな人間にだけはなりたくないわ」


 その時、空間に立ち込める靄のような雰囲気が一気に晴れた。私たちは一斉に本堂に目を向けた。儀式が無事に終わっているといいのだけれど。


「気配が消えたわね……行きましょう。念のため英恵ちゃんの式神をスタンバイさせて頂戴」


◇◇◇

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