第42話

「……」


 文子は上目遣いにヒナを見遣るも何も答えようとはしなかった。癇の強いヒナはその態度に少し苛立ったようで、頭を掻きながらため息をついた。


「敵さんが喉から手が出るほど欲しがっているあんたの能力って何なの?大川吾郎さんは何者なの?何一つ答えられないってわけ?」

「その時が来たらいずれお話します。どうやらあなたたちとは長いお付き合いになるでしょうから……」

「わかったよ、年寄りは頑固だもんな。」


 息を大きく吐いたヒナの、その燃え上がるような赤目が徐々に鎮火し始めていた。


「あーあ、意識がどんどん遠のいてきた。私の肉体からだが見つかるのはいつになることやら。早く見つけてくれないと、あんたに年齢を追い越されちゃうよ」


 ヒナはそう言って非難がましい視線を僕に向けた。


「別にそんなことどうでもいいだろうが。年齢が逆転しても、母さんは母さんさ」


 僕がそう言い終わる前にヒナはミツキから消えていた。憔悴しきったミツキが力ない視線を僕に向けた。


「ヒ……ナ……タ?」


 ミツキは僕の名を呼ぶと同時に、その体をグラリとよろめかせた。


「みっちゃん!」


 先程までぐったりとしていたのに、どこからそんな力が湧き出たのだろう。和沙は同時に動いた僕より先に飛び出して、倒れかかったミツキの体を両手で支えた。


「か………ず…………ち」


 弱々しく微笑むミツキ。今回彼女の体を支える役目は和沙に先を越されてしまったようだ。


「よかった、死んじゃったかと思ったよ!」


 和沙はミツキを支えていたその両手を今度はミツキの頭と背中に回した。和沙の強すぎる抱擁にミツキは思わず声を上げた。


「かずち、苦しいよ!」

「ご、ごめん!」


 和沙が咄嗟に手を離すと今度はミツキが和沙の背中に両手を回し、そのまま二人はゆっくりと地面に寝転んだ。そして二人は地面に転がりながらお互いに抱き合って大笑いをした。


「あらあら、若いっていいわねぇ」


 文子は着物の袖を口に当てながらクスクスと笑った。童女の姿に似つかわしくない台詞だったが、僕は敢えて突っ込まなかった。ミツキは穴だらけの芝生に寝転がりながら僕の方を向いた。


「ヒナタ。お母さん、元気だった?」

「ああ。ミツキは意識がなかったのか?」

「うん、今回はぜーんぶ乗っ取られていた」


 ヒナはどうやら限界までミツキの力を引き出していたようだ。ここ1週間で3回憑かせ、しかも3回目はフルパワーか……。少なくとも数か月は絶対に憑かせないようにしないとな。それは暫く母さんに会えないことを意味するので、少し寂しい気もするが……。

 

「母さんな、俺たちに年を越されたくないって言っていたぞ」


 僕が悪戯っ子のような笑顔をミツキに向けると、仰向けの彼女は夜空を見上げながらくすくすと笑った。


「お母さんらしい」


 大の字の恰好で星空を見つめていた和沙が何気なしに聞いてきた。


「ねえみっちゃん、ツカレビトって何なの?」


 ミツキは瞬く星空でその瞳をキラキラさせながら答えた。


「亡者に憑りつかれた人のこと。一度憑りつかれたら最後、その人の自我は失われて亡者の怨念を果たすだけの操り人形になってしまうの。普通の人ならね……」

「みっちゃんは違うの?」

「うん、私は亡者を乗りこなすことができるの。それはとても貴重な力なんだって母さんが言ってた。式神を使役できる術師よりもずっと珍しいんだって」

「式神って、ヒナタくんのワンちゃんのこと?」

「そう、ヒナタも不思議な力を持っているの。それは誰にも知られてはいけない私たちの秘密……」

「そうなんだ……お母さんも亡者なんだよね」


 流石にお亡くなりになったの?とは聞けなかったのだろう。ミツキは笑いながら答えた。


「母さんは生きているよ」

「生きている?」


 和沙は空を向いていた顔をミツキの方へ向けた。


「祐樹くんのように体が別の世界に閉じ込められているの。でも魂は私の中にいるんだよ」


 ミツキは、もう少し分かりやすく話せればと考えているに違いない。でも和沙はミツキの舌足らずな説明でもすべてを理解したようにニッコリと笑った。


「そっか、いつも一緒なんだ」


 ミツキは嫌なを思い出したのか、顔をしかめて僕の方を見た。


「ああ、そうだ。ヒナタ、さっきの男は?」

「残念ながら逃げられたようだな」

「私、もうあいつに会いたくない。気持ち悪かった」

「どうやらそうもいかないようだぜ。ミツキにだいぶご執心だったようだからな」


 ミツキは滅多に見せない嫌悪の表情を見せ、ウエーっと声に出した。それを見た和沙が大笑いした。


「初めて会ったは時そういう顔する子だとは夢にもは思わなかったよ」

「よく言われる、変なやつだって」


 年端もいかない少女の声が二人の会話を中断させた。


「お嬢様方、お戯れのところ申し訳ないですが」


 二人が同時に文子の方を向いた。このコンビは本当に息がぴったりだ。文子は両手を前に組み、もじもじしながら和沙に頭を下げた。


「和沙ちゃん、巻き込んでしまってごめんなさいね……言い訳をするつもりはないのですが、あなたの持つ力がいずれ別の亡者に狙われるのは火を見るよりも明らかでした」

「いえ、いいんです。この騒動のおかげでこんな素敵な出会いがあったんだもの」


 和沙はそう言ってミツキを見た。ミツキの目にはうっすらと涙が溜まり始めた。


「そう言えば祐樹君は?」


 僕は今回の騒動の発端となった少年のことを急に思い出した。


「ここです」


 文子の前に結界が出現し、横たわる少年の体が現れた。薄っすらとした透明色に徐々に色が帯びていき、数秒後には少年の体が完全に実体化した。和沙は目の前の不思議な現象に改めて驚いたようだった。


「これが術師の力……なんだか夢みたい……」


 文子はくすくすと笑いながら和沙に言った。


「あなたはツカレビトと術師、どちらでしょうね?」


  和沙は目を閉じて眠っている少年をまじまじと見た。


「祐樹君、写真と全然変わってないんですね」

「時の止まった世界にいましたからね。先程の女性の肉体も似たような世界にあるのですよ……そうでしょう?」


 文子が僕の方を向いてそう言ったので、僕は答える代わりに小さく頷いた。文子は着物を両手でパンパンと払い始めた。


「さて、私は別行動をとらせていただきます」

「別行動って、一人でどうするんだ」

「息子の家にお世話になります。きっと祐ちゃんを見たらびっくりするでしょうね」

「そう言えばこの事件の発端は元はと言えばこの男の子だったよな。でもこの子のことも、大川吾郎さんのことも何も教えてくれないんだろ?」


 僕の質問に文子は困ったような笑顔を浮かべた。


「ええ、申し訳ないのですが」


 そう言って始めて出会った時のように気持ちよさそうに体を伸ばした。


「やれやれ、また8歳からやり直さなくてはならないなんて。人生なんて一度きりで十分です」

「祐樹くんと同じ歳なんですね」


 和沙の一言に少女は初めて年相応の笑顔を見せた。


「そうなんです、うふふふ」


◇◇◇


 2日後、大川吾郎からスマートフォンの写真付きのメッセージが届いた。4人が映っているのは和沙が夢の中で大川文子に出会ったあの廃家だった。メッセージには、また4人でこの場所に暮らしている、近々この家をリフォームするつもりだと書いてあった。写真では大川吾郎の左に居る奥さんが朗らかに笑っている。大川吾郎は地面に膝をついて男の子を抱きしめていた。笑うとなかなかチャーミングな顔をしている。祐樹君はお母さんそっくりだ、きっとハンサムに育つだろうな。僕のスマートフォンを覗き込む和沙が将来が楽しみねとニヤニヤしながら言った。そしてミツキと和沙の視線はもう一人の新しい家族に注がれた。白髪の少女は8歳に似つかわしくない控えめな笑顔をしていた。


「ふみっぺ……」


 ミツキは彼女が可愛い妹であるかのようにその綽名を口にした。


「でもなあ……」


 僕は少し気がかりだった。大川さんは8歳のまま帰ってきた息子と少女に戻った母について奥さんにどう説明したんだろう。まあ文子と吾郎という摩訶不思議な存在と一緒に暮らしてきた人だから、この状況もすんなり理解してくれたのだろう。祐樹君の戸籍はやはり10歳に更新されたらしいが、行方不明の間に学校に在籍しなかったということでまた小学3年生から始めることになったらしい。かつての同級生たちは行方不明当時の姿のまま成長していない彼を見てそれは驚くに違いない。


「またすぐに助けに行きますよ、お若い方たち」


 別れ際、彼女は確かにそういった。


「まあ一件落着ってところか」


 僕が頭の後ろに両手を回しながらしみじみそう思っていると、僕の遥か前方から二人の少女の大声が聞こえてきた。


「ヒナタ、こっちこっち!」

「ヒ・ナ・タく~ん、置いてっちゃうよー!」


 夏の日差しに照らされた少女たちは大笑いしながら僕に向かって手を振っている。考え事をしている間にいつの間にか置いていかれたようだ。僕は人混みを掻き分けながら慌てて二人の元へ駆け出した。


「二人とも待ってくれ!」


 僕たちは今、観光客でごった返す加賀谷市の繁華街にいる。森川部長からから貰った報酬が予想以上のものだったのだので奮発しようかとも思ったが、ケチが体中に染みついているせいか結局古着屋巡りをすることになった。和沙は古着屋が初めてだったらしく凄く楽しそうだ。そういやミツキも初めてだっけ。いつもマスターの娘さんのお古ばっかりだったもんな。服屋が怖いと言っていたミツキは店の前で怯えた子犬のように立ちすくんでしまったが、そんな彼女の手を和沙が優しく握った。


「みっちゃん、一緒に入ろ」


 和沙はエスコートをするかのようにミツキの手を引きながら店内に入っていった。


◇◇◇


 いったん店内に入るや、ミツキと和沙は変な柄のTシャツやド派手なレーススカートなどを手に取りながら大はしゃぎしていた。ああ、ミツキもちゃんと女の子をしているじゃないか。僕はその微笑ましい光景を感慨深げに見ていた。


「三田も元気そうでよかったね」


 海外のバンドTシャツを興味深そうに物色していたミツキが何気なしに言った。朝、僕らは三人で三田の入院する病院に見舞いに行ったのだ。


「そうだな、2週間程度で退院できるって言ってたしな」


 面会の際にミツキの顔を見た時の三田の嬉しそうな表情を僕は忘れることができない。三田は本当にミツキのことを気に入っているんだなあ。忘れられないといえば、ぷいっと顔を背けながらヒマワリの花束を三田に渡したミツキの子供っぽい横顔も。和沙はギプス包帯で手足がぐるぐる巻きの三田に相変わらずバカ丁寧にお辞儀をしていたな。こいつはもう少し高校生らしく振舞ったほうがいいというか……。僕はその時勇気を出して面会に同行してくれたミツキの頭を撫でてやりたい気分だった。ん……、なんだこの感じ。背中がぞわぞわしてきた。この感じどこかで……?


「ヒナタ君、どうしたの?そわそわして」


 和沙が挙動不審になっている僕に気付いたようだ。


「いや、何でもない。誰かに見られているような気がして」


 背中に感じるこの視線を、中学時代から時折味わったこの嫌な感じを僕は知っている。ねばねばした、まとわりつくような視線を向けられているような不気味な感触を。僕が後ろを振り返ると、店内のドアがちょうど閉まる光景が目に入った。そしてドアのすりガラス越しに映った一つの影が、雑踏の中に紛れていった。


◇◇◇

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