第二部

第43話

「ヒナタ、急いで!バスに乗り遅れちゃうよ!」

「ヒナタくーん、早く早く!」


 緑が溢れ過ぎている、その葉や枝から漏れる日射しが強過ぎる、目も眩むような、50年に1人出るかでないかの美少女過ぎる女の子(決して大袈裟な表現ではない、と思う……)が何故か数メートル先に2人もいる、おまけにとびきりの笑顔で僕の名前を呼び続けている……今年の夏は何もかもが過剰だ。


「あはは、ヒナタ。そのTシャツ似合っているじゃん!」


可愛らしい半袖のデニムシャツワンピースが良く似合うお姫様は、僕の姉貴である倉木ミツキだ。糞がつく暑さの中でも小学生並みに元気なミツキは、大きな入道雲の浮かぶ青空を背景に悪戯っ子のように笑っている。その光景は、幼いころの大切な思い出を僕の脳裏に浮かばせた。時々、彼女が本当に自分の姉なのか自信がなくなるほどの胸の高鳴りを感じてしまう。


「背の高いヒナタ君にピッタリでよかったね~、あははは」


 口に上品に手を当ててクスクスと笑う小牧和沙は、質の良い緑のボーダーカットソーと白のスキニーパンツを見事に着こなしていた。彼女が掛けているサングラスも、おでこを出し頭の上でまとめたお団子ヘアに良く似合っている。和沙の傍らには、大きなプランターに植えられた向日葵が彼女の顔に寄り添うように咲いていた。和沙に似合うのは可憐で慎ましい花々だけではないのだ。


「ミツキはいいよなあ、和沙に素敵な服を見繕ってもらって。だいたいなぜにお前が選んだTシャツを俺が着なきゃならんのだ」


僕、倉木ヒナタといえば、古着屋でミツキがどうしても欲しいと言ったTシャツを着ていた。ミツキはこの150円で売っていた古着のTシャツをいたく気に入ったようで、サイズも値札も見ずに買い物かごに放り投げていたな。かまぼこの絵がでかでかとプリントされた、恐ろしく間の抜けたデザイン……センスの欠片もないミツキがチョイスしたこのTシャツは、残念なことに僕にピッタリのサイズだったのだ。


「最初からヒナタのために買ってあげたのー。優しい姉に感謝しなさい」

「嘘こけ。洒落た格好のお前らと一緒に歩くと余計目立って嫌だな、これ……」


僕が恥ずかしさのあまり道の端を猫背で歩いていると、いつの間にか後ろに回った和沙が左手で僕の腰をポンポンと叩いた。


「そうかな、意外とそういうコミカルな服も似合うよヒナタ君。背筋を伸ばせ」

「そ、そう?」


 和沙にそう言われると、まんざらでもない気もしてくる。ミツキの素敵なワンピースを見繕ったのも彼女だ。そのワンピースは京都発の知る人ぞ知るブランドで定価は3万、中古でも1万5千というお高い服だったが、ところどころに極々小さな綻びや傷があるのを見つけた和沙は(相変わらず目ざとい)値切りに値切り、なんと4千円で購入してしまった。最後には店主の女性も大笑いし、帰り際に和沙に向かってこう言った。


「あんた若いのに気に入ったよ。またいつでも来な」


 そういえばつい数日前にも似たような台詞を着物を着た女の子に言われたな。確か、彼女は別れ際にこう言ったっけ。


「またすぐに助けに行きますよ、お若い方たち」


 白髪の少女、大川文子。なぜ祐樹君を神隠しに遭わせたのか、なぜ大川吾郎さんを養子にしたのか、あの大男が欲しがる彼女の力とは何なのか、そもそも彼女は一体何者なのか、すべてが謎に包まれたまま僕らは別れた。いずれ話す、確かに彼女はそう言った。いずれにしても、僕らは彼女とまた関わり合うことになるとのだろう。


「しっかし、本当に目立つなあの二人は……」


駅南口の高速バスターミナルに行くまでの間、当然ながら美少女2人には通行人から羨望の眼差しが注がれた。お釣りといっていいものか、どうやら一緒に歩く僕……いや、僕のTシャツにも視線が集まっているようだ……。うん、いま確実に母親に手を引かれた男の子が僕のシャツを見て笑っていたな。


「でもさ、恩田は大丈夫かな。むかつく奴だけど今の状態は少し可哀そう」


 ミツキは頭の後ろで両手を組み青空を見上げながら、ふと思い出したようにそう言った。あの男にいいように利用され、理性を奪い去られ、代わりの依り代として選ばれ殺されかけ、おまけに特殊な病院に入れられて、挙句の果てに恐らく長期間特安の監視下に置かれる運命となった僕のクラスメート。


「私の魂を食べた子だよね……」


 和沙は心配そうに俯いてそう言った。恩田に罪悪感を感じているようにも見える。まあ心配する気持ちは分からないでもない。恩田が今どんな状態なのか、そもそも娑婆に戻ってこられるのか、本部長の森川は当然何も教えてくれなかった。別にいい奴ではなかったが、恩田もこの件に関しては被害者の立場なのだ。


「和沙は何も悪くないだろ。あの事件に巻き込まれて生きているだけでも儲けもんだよ」

「うん……」


 僕らの目の前に、だだっ広いターミナルエリアとは不釣り合いなまでにこじんまりとしたベンチエリアが見えてきた。ベンチのすぐ右手にあるアイスクリームの自販機が目に入るや、ミツキは目を輝かせながら僕に右手を差し出した。


「うわー、アイスクリーム!ヒナタ、4つ買うから600円ちょうだい!」

「食い過ぎて腹、壊すなよ」


僕は貴重な千円札をミツキの右手に握らせると、彼女は大好物めがけて小学生のように走り出していった。


「あらあら、みっちゃんお弁当食べれるかなあ。ヒナタ君が朝から一生懸命作ってくれたおむすびだもんね」

「あいつの胃袋は底なしだからな……」


 アイスを持ちながらスキップして僕らの元へ馳せ参じたミツキは、ストロベリーと抹茶を器用に持った右手を僕らに差し出した。


「はい、かずちの好きな抹茶」

「覚えていてくれたんだ」


 嬉しそうにアイスクリームをペロリと舐める和沙を、僕は横目でちらちらと覗き見した。仄かに赤く染まった頬に薄っすらと流れる一筋の汗や、ピンク色の健康的な唇、耳に掛かるちょっと癖毛な黒髪から目を離せなくなった僕は……。


「ヒナタ、何かずちのこと見てんの!」


 頬を膨らませて薄っすらと目に涙を溜めたミツキが、僕の鼻先にストロベリーを押し付けた。僕は慌ててミツキからそのアイスクリームをひったくった。


「み、見てない!和沙が誤解するだろうが!」

「嘘!見てた!」

「見てないって!だいたい、俺が少しでも変な気を起こしたら和沙の親父に殺されるっての!」

 

 僕は鼻先にちょこんとついたアイスクリームをハンカチで拭いながら、頭によぎった昨日の出来事を頭から振り払おうとした。ゴリラ並みの握力で僕の肩を粉砕しようとしたジャン・レノによく似たあの男の、思わず身震いするような恐ろしい笑顔……。


「ばっかだねえ。みっちゃんはヒナタ君と夫婦みたいなものじゃない」

「そうでしょ!」


 なぜか嬉しそうに目を輝かせるミツキ。そのミツキを満足げな表情で見返す和沙。おいやめろ。


「俺たちは双子の兄弟だぞ……」

「愛にそんなのは関係ないでしょ」


 和沙はまるで何を問題にしているか理解できないといった風に、急に真顔になって僕の方を振り向いた。


「他人に聞かれたら誤解されるだろうが……」


 うだるようなと暑さと恥ずかしいTシャツに集まる視線も相まって、まだ一日が始まったばかりだというのにどっと疲れが降ってきた僕は、思わずため息をついてしまった。そんな様子を露も気にする素振りを見せないミツキは、鼻歌を歌いながら左手に器用に持ったレーズンバターとバニラをとても美味しそうに食べていた。


「とにかく!アイスクリームを食べ終わったらトイレに行くこと。一番安いバスだから、トイレはついてないからな」

「はーい」


 2人は笑いながらアイスクリームを持った手で同時に手を上げた。まったく……。


「でもさ、蛇より強いバケビトなんて本当にいるかなあ」


 ミツキは舌先でチロチロとアイスを舐めながらそう聞いてきた。そう、僕らは観光旅行をしにわざわざ高速バスに乗って東北I県Y市に向かう訳ではない。Y市はある民俗学者が著した伝承物語で昔から全国的に有名な町で、文明開化以来多くの民俗学者や小説家、画家などを惹きつけてきた民話の里として知られている。旅の表向きの理由は、民話の里と呼ばれるY市で蛇の代わりとなるミツキのバケビトに会い、統制下に置くことだ。そして……あの地域は手頃な式神がうじゃうじゃいるから、僕もついでに餓鬼の代わりとなる式神をゲットしようと密かに目論んでいた。


「特安からの情報だ。強力なバケビトなのは間違いないだろう。それに……和沙にとっても大切な訪問だからな」

「うん……」


 和沙は神妙な顔で頷いた。特安から与えられたもう一つの任務、それはある人物に出会い、和沙が能力者として特安の任務に的確な資質を持つかどうかを見極めてもらうことだった。


◇◇◇

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