第41話

「ヒナタ、頑張ったね」


 ミツキの手が僕の頭をポンと叩いた。


「母さん……」


 男が不思議そうな顔をして僕の方を見た。


「母さんだと?」


 母さん、いや、ヒナの体中から炎のような揺ら揺らと揺れる光が徐々に巨大化していく。ヒナは少しだけ口元を横に引いた。


「真打ち登場ってやつよ、覚悟なさい」


 男を睨みつけるヒナの瞳の紅が更に鮮やかさを帯び、光が強まっていく。その力を前にした男は、恐怖と羨望の念が交じり合った表情でヒナを見た。


「何……という……化け物か……」

 

 ヒナから放出される熱波に当てられたのか、倒れていた和沙が手を顔に当てながらもぞもぞと上半身を動かした。


「うう……」


 和沙の意識が戻ったようだ。上半身を起こした彼女は割座となり呆然とこちらを見ている。僕は文子をおぶりながら和沙の側に行き、彼女の隣で腰を下ろした。和沙は訳が分からないといった表情を僕に向けた。


「ヒナタくん、みっちゃんはなんで目が真っ赤なの?この着物を着た女の子は?ナイフで胸を刺されたのになぜ私は生きているの?」


 混乱しているのか、頭の中の考えも上手くまとめられないようだ。呂律も少しおぼつかない。


「和沙、巻き添えを喰らわないようここを離れるぞ。詳しいことは後で話す、立てそうか?」

「う、うん……」


 和沙は立ち上がろうとしたものの、よろめいて尻もちをついてしまった。


「大丈夫か?」

「体に、うまく力が入らないよ……」


 文子がよろよろとしながら和沙の目の前に立った。


「私が結界を張るから大丈夫です。まだそれくらいの力は残っています」


 和沙は少女の白髪を怪訝そうな表情で見ていた。


「この子、髪の毛が真っ白。もしかして……?」

「ご名答。この子は大川文子、お前を魅入った亡者本人さ」

「……うそでしょ?」


 和沙の顔が一気に険しくなった。それはそうであろう。夢の中に誘い込み、自分を依り代に選んだ張本人が目の前にいるのだ。


「その節は大変お世話になりました。いえ、大変ご迷惑をお掛けしました……ですね」


 文子が和沙にペコリと頭を下げた。


「は、はあ……こちらこそ」


 和沙も思わず頭を下げた。2人の動作は今の緊迫した状況に全然馴染んでおらず、僕はつい吹き出してしまった。


「和沙、この子がお前を助けてくれたんだ。ふみちゃん、ミツキの魂を食べてもなんともなかったか?」

「ふみっぺよりはふみちゃんのほうがまだマシですね……ええ、最初は劇物かと思いましたがすぐに私の体が馴染んでくれました。ミツキさんと私の相性は悪くないようですね」

「ちょっとちょっと何の話?あなたみっちゃんの魂を喰らい尽くしたの?」


 和沙もやはり魂という単語に敏感になっているようで、食って掛かるように少女に詰め寄った。


「和沙、この子は敵じゃないよ。とにかく今は巻き添えを喰らわないことだけに集中しろ」


 文子が呼吸を荒くしながら僕らに背を向け、両手から薄い光の壁を作り出した。


「これで……大丈夫……。あとは……あの亡者にすべてを託しましょう」


 文子が息を切らしながら目を向けた先にあったのは、体中が炎に包まれている少女の姿だった。男は自分の危機的な状況も忘れて炎に包まれた少女に魅入っているようだった。


「これが……これがミツキに眠っていた本来の力だというのか……」


 荒れ狂う炎と風で地響きが鳴り空が叫ぶ。これが特殊公安の最高機密、世界を滅ぼすとまで言われるミツキ本来の力だ。そして、その力を引き出し制御できるのは僕らの母でありミツキの亡者でもある倉木ヒナしかいない。ヒナは一歩ずつ男に近付いて行った。男が両手に構える直刀は小刻みに震えている。


「あたしの姿を見て生き残ったやつはいないよ、残念だけどあんたはこれで御終いだ」

「うっ、うああああああ!」


 男が絶叫しながらヒナめがけて突っ込んでいき、その頭部めがけて直刀を大きく振り下ろした。しかし、男の全身全霊の一刀も虚しく、直刀の刃はヒナの右手に造作もなく掴まれて、そのままスプーン曲げのように捻じ曲げられた。


「それじゃ、さようなら」


  男の地面に円型の文様が浮かぶ。男はその場を離れようとしたがもう遅い。男を包む円柱の光が空に向かって遥かに伸びていく。その瞬間、工場全体が昼間のように明るくなった。そのまばゆい光が消えるまでには数分はかかっただろう、そして男がいた場所では人の姿は跡形もなく消えていた。


「凄い……」


 文子が目を見開きながら口に手を当てている。どうやら驚く時には口に手を当てる癖があるようだ。光に包まれミツキの像だけが薄っすらと浮かび上がるその光景は、神話の1ページのようですらあった。和沙は口を半開きにしながら呆然とその輪郭を見つめていた。


「あれが……みっちゃん?」


◇◇◇


 数分後にようやく光が収まった後、ヒナは未だ炎を体中に揺らめかせながらゆっくりと僕らの方へ歩いてきた。ヒナはその燃え上がるような赤い目を少し細めながら僕の方に向けた。


「母さん」

「ヒナタ、さっきの男仕留めそこなったみたい。あの式神が身を挺して守ったんだね」

「本当かよ、初めて母さんから生き延びた奴ってことになるな」


 どうやら光で視界が遮られていた時にまんまと逃げられたようだ。ただ三田による負傷を抱えていたうえにヒナからの直撃を受けたのだ。あの男も暫くは襲ってこれないだろう。

 ヒナは今度、その赤く染まった瞳を和沙に向けた。


「和沙ちゃん」

「は、はい」


 和沙はヒナを前に身を縮こまらせて下を向いてしまった。無理もない、あれだけ圧倒的な力を目の当たりにしたのだ。


「ミツキの友達になってくれてありがとね」


 母さんはそう言って悪戯っ子のようにニカっと笑った。基本仏頂面のミツキが絶対にしない表情だ。


「い、いえ。私の方こそ……」


 そしてヒナは最後に白銀の少女に目を向けた。その表情は心なしか強張っているようにも見える。


「あと、大川文子さん……だっけ?」

「なんでしょうか?」


 文子は年の功か、それとも修羅場を潜ってきたからかは分からないが、和沙とは対照的にヒナを目の前にしても落ち着き払っていられるようだ。ヒナの体から放出されていた炎はこの時にはもう完全に消え去っていた。


「今回の騒動は元はと言えばあんたが原因だ。ヒトバケを起こしてまで甦った理由はお孫さんのためだけじゃないよね。聞かせて貰えるかな?」


◇◇◇

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