第34話

 人口芝で覆われた運動場が月明かりに照らされている。僕らはツルで覆われたネットフェンスに身を隠しながら、そろりそろりと入口に近づき、フェンスから少しだけ顔を出して中を覗いてみた。すると意外にも三つの人影が敷地の真ん中に堂々と立っていた。和沙はフェンスを掴んだ手をカタカタと震わせながら影の1つを食い入るように見つめていた。


「女の子と、大きい男と……あれは……夢で見た人形……」


 女はすぐに僕らに気付いたようで、その大声がこちらに向けられた。


「ひ~なた、こっちに来いよ。時間がないんだろ?」


 警戒しながらゆっくりと歩き人影の数メートルの距離まで近づくと、長髪の男が無表情で、恩田がいやらしい笑顔で僕らの方に目を向けた。そして……傍らには目がほどんど赤く染まった大きな市松人形が立っていた。あれが大川文子、今回の騒動の張本人だ。彼女の体からは僕ら能力者にしか見えない薄紫の光の靄がゆらゆらと立ち昇っていた。ヒトバケをこの目で見るのは初めてだが、三田が昔教えてくれた通りの現象が今目の前で起きているのだ。靄が亡者の宿りし仮初の宿から発されし時……それは依り代が亡者のすぐ近くにいるという証拠なのだ。和沙が目をゴシゴシ擦りながら何度も人形の姿を目で確認した。


「あれ……人形から霧みたいなのが見える……」

「かずち、見えるの!?」

「え?ええ……」


 僕は特に驚かなかった。靄の存在を感知できるのは僕らのような能力を持った者たちだけだ。だから依り代とはいえ普通の人間に靄を見えることはない。しかし夢の世界から現世にブローチを持ち帰ってしまった和沙は間違いなく僕らと同じ側の人間なのだろう。靄を認知できたとしても何の不思議もないのだ。


「待っていたぞ、倉木ミツキ」


 長髪の男が口を開いた。初めて聞くその声は見た目からのイメージ通り低く野太い立派な声質だった。ツキは僕の上着の裾をくいっと引っ張った。


「ヒナタ……あいつ」

「ああ……一昨日の奴だ。あいつ、あの時何かを探ってたんだ」


 あの大きな目で嘗め回すように体中に視線を注がれた記憶が甦り、僕は真夏の夜だというのに体をぶるっと震わせてしまった。


「お前誰だよ?」


 ミツキが鋭い目つきで男を睨む。どうやら完全に戦闘モードのようだ。


「名乗る必要はない。お前は今日ここで死ぬのだから」

「それはどうだろうな。くたばるのはお前かもしれないぜ」


 啖呵を切った僕のほうに、男の顔がゆっくりと向いた。


「お前は倉木ミツキの弟か、確かヒナタ……という名前だったな。獏を召喚したのはお前か?」


 だから僕のことをじろじろと見ていたのか。


「答える必要はないな。田中ってのは偽名なんだろ。なぜ初めて会った時は静観していた?」

「大川文子が自発的にヒトバケを起こす時でなくては意味が無いからな」


 どうやらヒトバケ現象にも色々なルールがあるらしい。ただそのおかげで和沙がこいつらに拉致され、強制的にヒトバケを起こすという事態は免れたようだ。


「和沙、ならべく人形の目を見るなよ。強制的にヒトバケが始まっちまうからな」

「うん……」


 こいつらと僕らの間には、和沙を大川文子の依り代にさせまいというたった一つの共通点がある。自発的なヒトバケまで多少なりとも時間が稼げるという訳だ。男の大きな目が無表情に僕を見続ける。三田の目つきがヤクザならこいつのは殺し屋だな。でも目を逸らしちゃだめだ。


「夢の中で和沙の手を引っ張ったのもお前か?」

「こちらも答える必要はないな」

「答える必要がない?よく言うぜ、なんの関係のない恩田まで巻き込みやがって」


 男がふんっと鼻を鳴らした。おそらく嘲ったつもりなのだろう。


「こいつ自らが望んだことだ」


 恩田は締まりのないへらへらとした表情でこちらを見ていた。男が頭一つ分以上身長差のある恩田を上から見遣ると、恩田は丸太のような男の腕に自らの両腕を巻いて、顔を猫のように摺り寄せた。

 

「タナカさん、私本当に感謝しているのお。この件が終わったら泉から太田君を取り返してくれるって言うんだから」

「泉から?」

「あああいつ、あああああああたしよりブスのくせしてオオタくんを奪いやがってよぉ!」


 恩田は気が触れたかのように叫び出した。これではまるでサイコホラー映画に出てくる狂人だ。強力なマインドコントロール下にあるのは間違いなさそうだ。

 

「倉木ミツキ、てめえもだ!男子の人気をかっさらいやがってよお!かかかかまととぶってんじゃねえよこのくそビッチ!」


 恩田は般若のように顔を歪ませ、オオカミのように歯をむき出しにして涎を垂らしながらミツキを指さしたが、そんな恩田をミツキは憐みの目で見つめた。男は口に手を当てながら青ざめている和沙の方を見た。


「俺たちはその女の代わりとなる依り代を用意する必要があった」

「私の……代わり?」

「ああ、それがこいつという訳だ」


 男はそう言って体を密着させる恩田に見下すような視線を投げた。僕は和沙の前で片手を広げ、男から和沙を庇う素振りを見せた。


「なぜ恩田なんだ?依り代として使える人間は他にもいたはずだ」

「ヒナタ君、どういうこと?」


 和沙が不安げな表情で僕を見た。


「三田の受け売りだけど、明治以降の研究が示した結果では、どうやら依り代に選ばれる人間はある共通した特徴がみられたらしい」

「特徴?」

「俗に言う巫女のような資質だそうだ。それはこの前に話した能力者や術師の資質とピタリと一致しているんだ」

「じゃあ恩田さんや私だけじゃなく、みっちゃんやヒナタくんも……」

「そこまで珍しいものじゃないさ。人口の数パーセントは資質があるらしいからな。だからわざわざ恩田を選ぶ理由はないはずなんだが……」


 男がミツキを睨みつけた。そこには間違いなく憎しみが込められており、喜怒哀楽がないように思われたこの男が初めて見せる感情的になった表情かおだった。


「お前の周辺では面白いほど簡単に良い資質を持つ人間を探し出せた。これがどういう意味か分かるな、倉木ミツキ?」

「私が……周りに何らかの影響を与えているってこと?」

「そうだ、お前の高校では資質を開花させ始めている人間が何人もいたぞ。憐れなことだ。なまじ術師や能力者の力を得てしまった人間を亡者どもが放っておく訳がないからな」


 ミツキが原因で周りの人間が覚醒している?落ち着け、こちらを動揺させるだけの根も葉もないデマだろう。


「まったく疫病神としかいいようがないな」


 男はミツキを鼻で笑い、今度は和沙の方を見た。


「資質はお前にはだいぶ劣るが、依り代としては十分に役に立つ。それに倉木ミツキに近しい人間だったら、依り代の他にも色々と役に立つと思ってな。こいつは情報提供者としてもよく働いてくれた」


 そう言って長髪の男が和沙をあの無表情な目で凝視した。


「小牧といったな?お前は力が眠っている状態にもかかわらず、わざわざあの大川文子から指名されたんだ。誇りに思っていい。ただ今回は恩田巴瑞季に依り代になってもらわないとこちらが困るんでな」

「どういうことだ?」

「大川文子を統制下に置くために、恩田巴瑞季には大川文子に最も近い血縁者の血を飲ませた。この強大な亡者の力を使役できれば、倉木ミツキ、貴様を亡き者にするのも夢ではないからな」

「だったら私に血を飲ませればよかったじゃない!」


 和沙が庇っていた僕の手を、怒りの表情を浮かべながらあと数歩というところまで男に近づいた。男はその様子を見ても何も感じないのか、相変わらず感情の籠らない目で和沙を見ていた。ロボットみたいな奴だ。


「魅入られた後に飲ませても意味が無いんでな」

「お前は、お前らは何者なんだ?なぜミツキを付け狙う?」


 男は僕の質問に答えなかったので、僕は気になっていたもう一つの質問をした。


「……恩田が犠牲になるってことは、和沙は助かるんだな」

「ヒナタ君、それじゃ恩田さんが犠牲になる!」

「だから?」


 和沙がショックの表情を浮かべてこちらを見た。和沙の甘ちゃんぶりにうんざりした僕は頭を思い切りかいた。


「あいつは自らの望みのために自分を売ったんだ。自己責任ってやつだよ」

「そんな、だって関係のない子じゃない!」

「じゃあお前は魂を喰われてもいいのか!」


 その話を聞いていた男がよく通る声でしゃべった。


「何を勘違いしているのか知らないが、その女には死んでもらう」

「なん……だと……?」

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