第35話

「知らないのか?依り代を変える場合、元々の依り代は死ぬ必要がある」


 男はまるで最近の税制改正を知らないのか?という風に純粋に驚いている様子だった。


「まあ、このままでも魂を喰われるのだから同じようなものだ。女、大人しく投降すればせめて苦しまずに殺してやる。ああ、あと倉木ミツキ……」


 男は何かのついでのような調子でとんでもないことを言い放った。


「この場で自害しろ」

「はあ?」


 ミツキのこめかみに血管がびきびきと浮かぶ。男は顎をクイとあげ、見下すようにミツキを見ながら話を続けた。


「万が一俺が仕留めそこなったとしても保険は掛けてある。お前はこれから一生我々の仲間に狙われ続けることになるんだ。このまま生きていても辛いだけだぞ」

「はああ?」

「貴様に最後の情けを掛けているんだ。ああ、そうそう。言っておくがお前が自決しようがしまいが小牧和沙の運命は変わらんからな」

「はあああ?」

「我々には貴様以外にも打倒すべき存在があるのでな。そのためには大川文子の力がどうしても必要なのだ」


 どうやらこの男は良くも悪くもとことん正直な性格らしい。おそらくこのような物の言い方しかできないのであろう。極めてシリアスな場で質の悪いジョークをかまされているようで、僕は笑いが堪え切れなくなってきた。


「あっはっはっは、うわっはっはっは、あっはははは……」


 ミツキと和沙は驚いた顔で、男は不思議な生き物を見るかのように、それぞれ狂ったように笑う僕を見つめた。


「少年、無駄な争いはしたくない。姉の死なぞ見たくないだろう。黙ってこの場から立ち去れ」


 男は少しばつが悪そうだった。


「立ち去れ?ミツキと和沙を見捨てて立ち去れだと?あっはっはっは、腹いてぇ……」


 僕は手を叩きながら笑い続けた。だめだ、笑いが止まらない。


「あっはっはっは、はーはっは。ミツキに自殺しろと言ったうえで、和沙を殺すだと?あっはっはっはっは……」

「何かおかしいことを言ったか?」

「言ったに決まってんだろ、このボケ!」


 ミツキと和沙が驚いた顔をして同時に僕のほうを向いた。僕だって怒る時は怒るのだ。


「いい加減にしろや、駆け引きの”か”の字も知らねーオッサンよ。何でもかんでも正直に言えばいいってもんじゃねーぞ。いい年こいて小学生かよオメーは」


 男の目が点になった。ミツキは口を半開きにしながら呆然と僕の方を見ていた。和沙に至っては服の袖で口を覆いながらクスクスと笑っていた。どうやら張り詰めた空気が僅かに緩んだようだ。


「ミツキ、こんなアホに負かされたとあっちゃ末代までの恥だ。さっさと片づけちまおうぜ。和沙、また三人で一緒に飯を食うんだろ?」

「ヒナタ、結構言うね!」

「ヒナタ君……」


 僕は勢いに任せて、まるで似合わない台詞を大声で吐いた。


「絶対に生き残るぞ!誰一人死なせるもんか!」


 僕が言い終わるや否や、恩田が男に絡ませていた両腕を離し、そのまま背中からギラリと光るナイフを取り出して、突然和沙めがけて突進してきた。


「おらあ、死ねやあ!」


 恩田がナイフを持った右手を和沙の胸めがけて突き出す。しかし和沙はナイフを持って襲い掛かった恩田の腕を掴み、手首を捻ったかと思えばそのまま地面に押し倒してしまった。そして、ジタバタと悪あがきをする恩田の体を両足で抑え込みながら、奪い取ったナイフを放り投げてしまった。


「やるなあ、合気道か!」

「ヒナタ君、呑気な事を言ってないで男に警戒して!この子は私が取り押さえているから!」

「お……おう!」


 さっきまであれだけ青い顔をしていた和沙。しかし今の彼女は僕なんかよりも遥かに頼もしく思える。僕はこの切迫した状況の中、迂闊にも彼女のその横顔に目を釘付けにしてしまった。


(い、いかんいかん……和沙に見惚れている場合じゃないっての!)


 僕が気を引き締めて男を見遣ると、男は長袖を脱ぎ捨てて黒いTシャツ姿になった。男の丸太のような左腕全体は包帯でぐるぐる巻きにされていた。


「ぐっ、うぐっ……」


 傷が塞がっていないのか、左腕を少し動かすたびに顔を苦悶の表情に歪ませた。そして男は僕の方を向いてこう言った。


「少年、忠告はしたぞ。死んでも俺を恨むなよ」

「自分の心配をしたほうがいいよ」


 薄笑いを浮かべてそう言ったミツキを男が無表情な目で見た。ミツキが勝ち誇ったような目つきで男を見返す。


「お前は今日、この寂しい場所で一人惨めに死んでいくの」


 男はミツキの啖呵に少し笑ったように見えたが、急に顔を歪めて脇腹を抑えた。


「う、うぐぅ……ぐむっ……くそっ…」


 どうやら相当傷は深いようだ。よく見ると左腕に巻かれた包帯からは血が滲んでいた。僕の視線に気付いた男が忌々し気に言った。


「ぐっ……、あの女には手こずったが、これでお前らを助けに駆け付ける奴はいなくなったな」

「三田さんを襲ったのはお前だったんだな」


 ということは嗣津無しづむをやったのもこいつか。それにしても、こいつたった一人で三田を打ち負かしたとなると僕らの勝率は一気に下がってくる。これ以上ミツキに母さんを憑かせるのも避けたい。


「警察の上層部に手を回したのもお前らか?」


 僕がそう言うと、長髪の男はミツキを忌々し気に見ながら言った。


「倉木ミツキを殺すためだったらどんな手でも使うさ」


 Tシャツ姿の和沙が息を切らしながら駆け付けてきた。


「二人とも、平気?」

「恩田は?」

「ボコボコに殴って気絶させたよ。念のため運動場側の倉庫前で縛っておいた。両腕は私の上着で、両足はあの子のズボンでね。パンツ丸見えで申し訳ないと思うけど今は緊急事態だから」

 

 そう言って和沙がウィンクをしたと同時に男はチッと舌打ちをし、負傷していない右腕の人差し指と中指を交差させた。男の右腕に刺青のような紋様が浮かび上がる。


鬼羅きら!」


 地面に結界が浮かび上がり、奈良時代の武官朝服のような衣服を身を纏った式神が勢いよく飛び出してきた。背丈は低く、目は瞼がないようで眼球が飛び出しており、右手に飾り気のない直刀を構えている。僕自身式神を使役するため、目の前にいる式神の強大な力を一瞬で感じ取ることができた。この式神は僕ら双子が対峙してきた中でも間違いなく最強だろう、それも桁違いのレベルで。ミツキは少しだけ顔を青くしていた。


「ヒナタ……」

「ああ……この男は本物の陰陽師だ……」


 ミツキが大きく息を吐き、顔にきゅっと力を入れた。


「でもやるしかないよね!」


 ミツキの瞳が薄っすらと緑色に変色していく。そしてその色は急速にその濃さを増していき、数秒後に瞳が完全な深緑色に変色した後に彼女は一言呟いた。


「蛇、憑け」


 右腕が一気に数メートル伸び、丸太のように太くなった。右腕は緑鮮やかな鱗に覆われてゆき、右手は巨大な蛇の頭部に姿を変えていった。蛇は鋭い歯を見せ舌をちらちらさせながら、鬼羅と呼ばれた式神に狙いを定めた。男は口を押えて目を見張りながらミツキを見ていた。


「素晴らしい」


 蛇が長い体を更に伸長させ、数十メートルの体が一気に鬼羅に襲い掛かるも、鬼羅は空高くジャンプをしてその攻撃を避けた。鬼羅は高さ50メートル辺りに達したところで月明かりで照らされたその体を前転のように一回転させ、そのまま剣を下に向け、和沙めがけて一気に急降下していった。蛇が歯をむき出しにして後ろから鬼羅を追いかけるも鬼羅の降下速度に追いつけず、鬼羅は矢のようなスピードで和沙に突っ込んできた。僕はすんでのところで和沙を抱えて横に飛び避けたが、鬼羅が着地の瞬間に僕のみぞおちに蹴りを放ち、僕は和沙もろとも派手に吹っ飛んでしまった。


「シャアッ!」


 蛇が尻尾を鳴らしながら剣を地面に突き立てた鬼羅を一瞬でとぐろ巻きにし、ぎりぎりと締め上げ始めた。


「ヒナタ、かずち!」


 僕はよろよろと立ち上がり、ミツキにむかって強がりの親指を立てた。とはいえ痛み以上に呼吸困難になったかのように胸中が苦しく、立っているだけで精いっぱいだった。和沙の方を見ると、倒れていた彼女の体中に血管のような筋の紋様が徐々に広がっていくのが確認できた。まずい、ヒトバケが始まる!僕はありったけの力を振り絞って声を上げた。


「ミツキ、仕留められそうか!?」


 返事がない、ミツキの表情には余裕がなかった。鬼羅を抑え込むだけでいっぱいなのだ。蛇が口を大きく開けながら巨大な頭を激しく左右に振っている。今にも蛇のとぐろがほどかれそうだ。


「蛇、左腕にも憑け」


ミツキは苦悶の表情を浮かべながら左腕も蛇に変え始めた。立っている場所から一歩も足を動かさずに僕らの戦いを眺めていた男が、ミツキの様子を見るや余裕たっぷりの表情でこう言った。


「いいのか?蛇が消滅するぞ?」


 倒れていた和沙が喘ぎながらミツキの身を案じた。


「ヒナタ……君。みっちゃん……だ、大丈夫?……」

「大丈夫だ、俺もすぐに加勢する……ぐっ!」


 少し足を動かしただけで体中が痺れる。まずい、体が言う事を聞かない。僕は体中の激痛を堪えながらミツキの近くに一歩づつ近づいていった。その間にミツキの左腕の蛇が鬼羅の頭を丸呑みし、右の蛇も再び鬼羅を締め上げ始めた。鬼羅はジタバタと体を動かして何とかとぐろをほどこうとするも、どうやら形勢はミツキに有利なようだった。


「よ……し、そのまま……飲み込んじまえ!」


 僕が喜んだのも束の間、男が苦しそうな表情を浮かべながら負傷した左腕を前に出し、人差し指と中指を交差させた。ミツキの後ろに結界が出現し、その瞬間に蛇の動きが鈍くなった。ミツキの背後にいるその存在には見覚えがあった。


「嗣津無か!」

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