第33話
タクシーで工場跡地に向かっている最中、溝口から急に連絡がかかってきた。
「よお、ヒナタ。夜中に悪いな、今話せるか?」
僕は溝口の声を聞いた僕は、張り詰めてガチガチになっていた心が少しだけ緩んだ。アホの溝口でも少しは役に立つこともあるのだ。
「どうしたんだよ?失恋話なら聞かないぞ」
「馬鹿、それどころじゃねーよ!恩田が放課後に彼氏と東京に行くってでかい声で話していただろ」
「確かにでかい声だったな。それがどうした?」
「親御さんが恩田と連絡取れなくなったらしくてな。それで恩田のおふくろが泉にも連絡したけどまったく心当たりはないって言われたらしくて」
「ふーん、楽しい時間を邪魔されたくないから出ないんだろ」
「なに呑気なこと言ってんだよ。それでだな、他のクラスの女子がさっき恩田を見かけたらしくてさ。長髪の男と酔っぱらった恩田が深夜に街はずれの金属工場跡に歩いて向かっていくのを見たって!」
「長髪の男と?」
心臓がバクバクしてきた。長髪の男?一昨日の夜に出会った、あの背の高い男の探るような視線を思い出さない訳にはいかなかった。一体何が起きている?落ち着けヒナタ。僕は普段通りの口調で話そうと努め、それはどうやら上手くいったようだ。
「あの廃墟は崩落の危険があるから立ち入り禁止だろ。何しに行ったんだろうな、エロ動画でも撮影すんのかな。ムフフ」
「ばーか、お前の頭の中はそれしかないのか」
「冗談だよ、まさか工場の中には入らないだろ。近くの空き地で青姦でもしてんじゃねーの?」
「ばーか」
胸にじんわりと暖かいものが広がった。僕は能天気な面をして話しているであろう溝口に無性に会いたくなった。
「恩田について情報があれば教えてくれよな。山口が情報提供しろってうるさくってな。あいつ夏休みまで学級委員のつもりでいやがる」
「分かった分かった、取り込み中だからもう切るぞ」
平静を装って笑いながら電話を終えた僕は、その後に襲ってきた動揺に耐えきれずにガタガタと震えだしてしまった。今日ほど自分の鈍感さを呪ったことはない。あの時の僕を舐め回すような男の視線がまた生々しく脳裏に蘇ってきた。
「ヒナタ君……」
情けない僕の姿を見た和沙に動揺が伝染したらしく、口を手で押さえながらはっきりと恐怖の表情を浮かべていた。
「かずち、大丈夫」
ミツキは和沙の体を強引に自分の方へ引き寄せて強く抱きしめた。和沙は押さえ付けていただろう感情が溢れ出し、ミツキの胸の中で体を震わせながら泣き始めた。ミラー越しにその様子を見ていたタクシーの運転手が、怪訝そうな顔を浮かべていた。
「到着しましたよ」
数十分後、目的地に着いて料金を払った僕らは、タクシーから降りた後に運転手に呼び止められた。この70はゆうに超えてるであろう親切な老人は、しわくちゃの笑顔で煎餅や甘菓子がたくさん入ったビニールを持たせてくれた。
「君ら、廃墟で何をするつもりか知らないけど早まった真似しちゃあだめだよ。俺だってこの年になっても生きてて良かったって思えることがあるんだから」
僕ら3人は深々とお辞儀をして、タクシーが去るのを見送った。
◇◇◇
僕らは今、東京ドーム5個分の面積を誇る広大な沼田金属工場跡地の門の前にいる。かつては大手電機メーカーを中心とした企業グループの一員だった沼田金属。工場が加賀谷に少なくない雇用を産み出していたこの企業は十数年前、慢性的な赤字を理由に米国ファンド連合に雀の涙ほどの額で売却されたのだ。取扱製品の削減や組織のスリム化など、ファンドのテコ入れにも関わらず経営を立て直せなかった同社はその後坂道を転がり落ちるように業績が悪化し、生産はいくつかの国内工場を残してすべて海外移転された。この跡地には同社の関係者がたまに見回りに来ているらしいが、廃墟は未だ取り壊されもせず放置されたままとなっている。
「相変わらずだだっぴろい……」
ミツキは目の前の広大な敷地を呆れた表情で見た。
「この広大な敷地から人形の居場所を探すんだよね……」
和沙が不安げな表情で訊ねてきた。
「ヒナタ君、あと1時間もないようだけど……」
僕は腕時計を見た。時刻は午後8時15分を指していた。
「理由は分からないが、敵さんは和沙が依り代になることを阻止したいみたいだ。向こうから必ず接触してくるさ」
夢の世界で腕を引っ張った能力者。嗣津無を葬り、三田を襲撃した能力者。この3者が同一人物なのかすらも分からないが、1つだけはっきりしていることがある。こいつらは和沙が依り代となるのを阻止しようとしているのだ。恩田と一緒にいた男はこの能力者と関係があるのだろうか?
「もしかして、私のことを助けようとしているのかしら?」
「和沙を助けるだけなら三田さんを襲う必要はないはずだ」
和沙は気弱になっているのだろうが、気を引き締めてもらわないと困る。その思いが口調に出てしまい、つい冷たい言い方になってしまった。ちょうどその時僕のスマートフォンに知らない番号から電話が着信があった。電話の主は、やたらとスローテンポな女の声だった。
「ひーなーた、いま門の前でしょ」
恩田の声と気づくまでに数秒のタイムラグがあった。喋り方一つでここまで印象が様変わりしてしまうものなのか。
「恩田か?なぜ俺の電話番号を知っている?」
「前に村井から聞いたんだよ。あいつ、ちょっと優しくしてやると何でもべらべら教えてくれてさあ」
喋り方に抑揚がない。酔っぱらっているのとも違う、正気を保たない人間独特の喋り方だった。
「恩田、今どこに居る?」
「ひ~なた。私ね、中学の時からあんたのことがちょっと良いと思ってたんだよね。それなのにいつもミツキが付きまといやがってよお……ちょうどいい、ミツキも」
僕は電話を切った。相手のペースに乗せられては駄目だ。
「誰?」
「敵さ」
そのすぐ直後に、知らないアドレスからメールが来た。そのメッセージを見た僕は思わず身震いしてしまった。
「切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな切るな」
そのメッセージ内容はおおよそ恩田という人物からは想像もできない内容だった。そして先程の番号からまた着信があった。
「恩田か?望み通り出てやったぞ」
「ヒ~~~~ナタ」
電話越しでも相手が嫌なニヤツキをしているのが分かる声だった。
「門を超えてそのまま直進すると目立つ青い看板があるのお。そこを右に曲がると運動場があるから、そこに来なよ」
そして今度は恩田から唐突に電話を切った。僕は本来鍵が掛かっているはずの門が施錠されていないことを確認した。
「さあ、蹴りを付けに行こう」
◇◇◇
静まり返った工場群を歩いている最中に左右を見渡すと、倉庫前に楕円形や栗のような形をした巨大な金属の塊がそのまま放置されていたのが確認できた。月明かりで思ったより周囲は見渡せるようだ。ただ、足元に何が落ちているかまではよく確認できなかった。
「足元に気を付けろよ。ちょっとした綿みたいな金属でもぱっくり皮膚が裂けるからな」
「ヒナタ君、あそこ」
和沙が指さす方向に、青い看板があった。看板には「家族のため、仲間のため、今日も一日ご安全に」と書かれてあった。右を向くと、巨大なネットが柱に貼られた広大なスペースらしきものが確認できた。
「あそこか」
ミツキと和沙は手を繋ぎあい、しっかりとした足取りで運動場に向かっていった。いよいよ決戦だ。
◇◇◇
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