第30話

 開けっ放しの窓から吹く風がカーテンを揺らし、早朝だというのに強烈な夏の日差しが差し込んでくる。その日射しで形作られた光の模様は床の上で生き物のように形を変えていた。


「今日もあの夢を見なかったんだ……」


 亡者の夢の世界に誘い込まれて以来、私は6時に起きるのが習慣となってしまった。あの日から、私は早寝しようが夜更かししようが必ずこの時間に目が醒めるようになってしまった。

 

「でも今日もあの夢を見なかった。生き永らえたんだ」


 私は長く深いため息をついた。しかしほっとしたのも束の間、隣にいるはずの人がいない。


「みっちゃん?」


(友達が出来たら絶対にやってみたかったんだ)


みっちゃんはそう言って、ベッドがあるにもかかわらずわざわざ私と一緒に床で寝てくれた。その彼女がいない。隣で可愛らしい寝息を立てていた私の大切な人がいない。自分の心にぽっかりと空いてしまったようだ。部屋のドアは少しだけ開いている、お手洗いだろうか?


「みっちゃん、どこにいるの?」


 胸を鷲掴みにされたかのような寂しさがこみ上げてきてしまい、半開きのドアをそっと押して部屋を出た。足音を立てないよう階段を降り、1階の台所やトイレ、ダイニングルームなど探せるところを隈なく探したけれど、どこにもいない。散歩にでも出かけたのだろうか?諦めて部屋に戻ろうと階段を上がっていると、ヒナタ君の部屋でコトリと物音が聞こえた。彼はもう起きているのだろうか?私はいつの間にか彼の部屋の前のドアノブに手を掛けていた。こんなところを彼女に見られたら勘違いされるかもしれない。私はドアノブを掴んだまま恥ずかしさで固まってしまった。


「でも、みっちゃんに会いたい……」


 ヒナタ君にみっちゃんが今どこにいるのか聞かなくちゃ。彼女がいない人生なんてもう想像もできない。そう、私はたった1日でこの家に、たった2日で彼女に馴染み過ぎたのだ。そして彼女を……好きになり過ぎたのだろう。

 自分はそこまで楽観的な性格ではない。夢を見ようが見まいが私の時間はあまり残されていないのだろう。三田さんは安心させようとしてくれたが、あいにく私は勘が鋭いのだ。だから彼女の愛想の良い語り口の裏にある本意を見抜いてしまった。

 人形の首切りに失敗した場合、おそらく私は"魂を喰われ"てしまう。後始末というのは恐らくその事後処理なのだ。特安という組織の最重要事項はバケビトを野に放たないようにすることなのだろう。それはそうだ、バケビトなんて訳の分からない存在はこの社会にとって脅威以外の何物でもない。

 みっちゃんはきっと全力で私を守ろうとしてくれるだろうけど……ヒナタ君はどうだろう。彼の割り切った性格がプライオリティを履き違えることなどあり得そうにない。目的のために粛々と行動するのだろうな。私が廃人になったら……、もしそうなったら亡者と共に一思いに葬ってほしいものだ。

 でも、どうせ死ぬのなら残された僅かな時間を好きな人と一緒に過ごしたい。たった数時間で私の心を奪ってしまった人と。


「みっちゃん、どこなの?」


 だから良くないことだとは重々承知しつつも節度よりも感情が勝ってしまった私は、閉じられた子供部屋のドアをそっと開けてしまった。

 二人の顔に天窓から日差しが降り注いでいた。ヒナタ君はベッドの中で仰向けになって目を瞑っていた。そしてベッドの傍らでは、天使のような少女が両膝をつき彼にキスをしていた。その光景は片隅に眠っていた、幼い頃に美術館で見た油絵の記憶を引っ張り出した。天に向かって片手を上げるいまわの際の兵士、そして天から舞い降りて彼に口づけをする、白いローブに白い羽を生やした眩いばかりに輝く天使。私はその禁断の美しさに魅入り、ショックよりも妙なエクスタシーを感じてしまった。しかしそのすぐ後に制御不能なほどの嫉妬心が襲ってきて、震える手でそっとドアを閉めた。

 それは初めて抱く感情だった。彼女に心を奪われたといっても私は同性愛者ではないはずだ。でも彼女に対する執着心と、ヒナタ君へのこの強烈な嫉妬心はどう説明すればいいのだろう?

 数分間、私はようやく落ち着き素知らぬ顔でまたドアをノックをした。かずち?と声がしたので、そっとドアを開けた。彼女はまるで何事もなかったかのようにベッドの横にある椅子に背筋を伸ばして座っており、私の方を振り返ってニコリとした後、眠っているヒナタ君に憂いのある視線を移した。この二人はあのフランス小説の姉弟のような関係なのだろうか。だとしたらこの先どんなに仲良くなっても、他人である私はこの2人の中に深く立ち入ることはできないのかもしれない。私は胸に広がるじんわりとした痛みを堪えながら、それでもニッコリとほほ笑んだ。


「お早う、みっちゃん」


◇◇◇

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