第28話
「ヒナタ、三田にまた嫌なこと言われた?」
「何も。俺たちで和沙を護衛しろってさ」
僕は三田の話をところどころ端折ってミツキに伝えた。この件が部長個人からの依頼であること、式神を一匹張らせること、そして僕ら2人で和沙を護衛することを。ありのままを話せばミツキはますます三田を嫌うに違いない。
「みっちゃんは面白い本でも見つかったか?」
「ヒナタはみっちゃんって言っちゃ駄目。その呼び方はかずち専用だよ」
「そうか……」
ずっとミツキの面倒を看てきたのは俺なのだが……少しだけジェラシーを感じながら繁華街を歩いていると、後ろから不意に声を掛けられた。
「おーい、ヒ・ナ・タ」
声の主はダメージジーンズにキャミソールの恰好をしたベージュブロンドの少女、恩田
「あー!ミツキもいるじゃん。今日も兄弟でデート?」
恩田はミツキを見ながら意地悪そうにニヤニヤ笑っている。恩田と泉は中学時代のある一件以来、ミツキを敵視し続けているのだ。
「恩田か。今から東京にデートか?」
「ぎゃー、盗み聞きしてたの?ヒナタは溝口とは違うと思ってたのに」
聞こえるように言ってた癖に。こいつは僕にはそれほど悪感情を抱いていないようで、担任の園田の男関係や学級委員の山口の根も葉もない噂など、どうでもいい話を威勢よく続けざまに話し続けてくる。それにしても面倒な奴に捕まっちゃったな。やたらとテンションの高い恩田の話を左から右に流しながら、僕は何故か飯山瑞樹を思い出した。恩田・泉のギャルコンビとは真逆の、物静かでちょっと影のある少女。僕はあの図書室で缶コーヒーを飲みながら、確かに心休まるひと時を彼女と過ごしたのだ。
「……それでさ!本当は明日から二人でお泊り旅行だったんだけど、彼氏がどうしても今日デートしたいっていうから。ねっ、田中さん!」
「ラブラブだな、おい」
こいつが例の彼氏か。田中と呼ばれたロングヘアの男は放課後聞こえたあの会話通り、巴瑞季とは親と子ほども年齢が離れているように見える。
「この前は一緒に息子さんに挨拶しに行ったんだよね~、その息子さんってのが私より10歳も年上の超イケメンでさ~」
ということは少なくとも40代後半から50代前半くらいか。それにしても小奇麗な恰好の恩田とは偉い違いだ。Tシャツはよれよれだし、ジーンズには穴が開いている。その穴は巴瑞季のダメージパンツのようにファッション目的でこしらえたものではなく、長い使用の末に摩耗した代物だろう。ぼろのような服と筋骨隆々の肉体からはストイックな印象すら受ける。ギターを抱えていなければ荒行に耐える西欧の修行僧のように見えただろう。
「あ、そうだ!ヒナタ、こんど田中さんのライブ見に行こうよ!ねえミツキ、ヒナタ借りていいよね」
「だめ、絶対だめ」
ミツキが僕の前に立ち、挑戦を受けて立つかのように恩田と向き合った。
「はあ?ブラコンもいい加減にしろよ」
恩田巴瑞季が目をひん剥いてミツキを威嚇した。空手二段のミツキが手を出しちゃまずい。僕は慌てて話題を変えようとした。
「いやーしかし驚いたな、恩田の彼氏がこんなに渋い人だとは。田中さん、恩田との馴れ初めを教えて頂けませんか?」
手もみをしながら溝口ばりに下手に出ているというのに、この田中という男は無言のままだ。恩田が代わりに応えてくれた。
「ある日ね、私が失恋して居酒屋で泣いていたら隣のテーブルの田中さんが声を掛けてくれたの。何か悩みでもあるのかって」
お世辞にもそういうことをする奴には見えない。そもそも未成年が酒を飲んでたら一応は注意しろ。この田中という男は何も答えない代わりに僕らをじっと見つめてきた。ミツキをちらりと見たかと思えば、今度は無表情に僕を凝視し始めた。三田のものとも違う、相手を丸裸にするぞっとするような目つきだ。それから口に手を当てて僕の体中を嘗め回すように観察してきた。一体何なんだ、バイセクシャルなのだろうか。それとも何かを探られているのだろうか?そして今度はまたミツキの方を向いた。心なしか怒っているように(怯えているようにも)見える。恩田もその様子に落ち着かないようで、田中をせっつき始めた。
「田中さん、行こ行こ!ヒナタ、また新学期に会おうね!ミツキも優しい弟がいてよかったね~」
そして恩田は田中の腕に手を回しながら去っていった。
「ほらみろ、嫌味を言われたじゃないか。お前が彼氏を作らないからだぞ」
「嫌味?ヒナタを褒めてたけど」
「もういい……野暮用を済ませてくるから先に帰ってくれ。食材は持てそう?」
「持てるけど、一人で大丈夫?」
「あいつは他の人間がいると警戒するからな」
◇◇◇
疲れた、疲れた、疲れた。三田に絶対に勤務外手当を請求してやる。僕は心の中で三田を呪いながら街はずれの荒れ果てた
「さて、はじめるか」
真っ暗闇の中、僕は掌ほどもないお香立てを神社の裏手にある小さな社の前に置き、その中で白檀に火をつけ、お香がいい塩梅になったところで巾着の髪の毛を放り投げた。髪の毛の燃える嫌な匂いが鼻いっぱいに広がる。
「姿を見せろ」
僕が一言小さく呟くと、しばらくして本堂でずり……ずり……と人が這いずり回るような物音がした。その後、虫の羽音のような弱々しい音が少しづつ大きくなった。
「あ……た……」
その抑揚のない声は間違いなく人のものだった。どうやら召し出せたようだ。
「あ……ラ……びぃあばば……」
落ち葉をかさかさと震わせる生暖かい風が本堂に向かって吹いていることを確認した僕は、外よりも濃い暗闇で満たされた本堂に足を踏み入れた。
「あラ……ばいおらあぁぃあばば……」
僅かに月の光が差す本堂の中では、黒いスーツに身を包み顔が包帯でぐるぐる巻きになった男が生まれたての子牛のようによろよろと立ち上がろうとしていた。包帯で巻かれた顔からは、視線の先の者が吸い込まれそうな真っ黒な目、口紅を厚く塗りたくったような真っ赤な唇、犬のように突き出た鼻が見えた。
「名前を明かせ」
僕は口の中を見られないよう右手の手の平で口を隠しながら言った。すると、薄暗い堂内で濃い霧が部屋中に立ち込め始め、陽炎のように空間がゆらゆらと揺れ始めた。
「名前を明かせ」
外のカラスが騒ぎ出し、僕の動悸が激しくなる。絶対に取り込まれるな。男の真っ白な顔に少しずつ赤味が増していった。僕はできるだけ威厳に満ちた声で言おうと努めた。
「答えてくれ、名前は?」
「シ……ズ…………ム」
「イナタニナタヒナタイナタ……」
どうやら僕の名前を憶えていたようだ。外からはカラスの不気味な鳴き声が益々けたたましくなり、僕の頬に冷たい汗が流れた。気を付けろ、こいつは元々厄介な奴だからな。
「久しぶりだな」
眼球すべてが真っ黒な目をぎょろぎょろと動かし、僕の顔を隈なく観察し始めた。僕の顔を包む石のような感触の手が徐々に肉に変化するのが感じ取られた。
「嗣津無、もう一度俺と契れ」
嗣津無は返事をする代わりに頭を上下に何度も振った。何とかうまく召し出せたようだ。僕はクッキー対決の時に和沙が口を拭ったハンカチを嗣津無のヒクヒク震える鼻に当てた。
「このハンカチに俺以外の匂いが染みついているだろ。この人間の周囲を見張れ、怪しい奴がいたら捕獲しろ」
嗣津無は突き出た鼻をひくつかせながら短く頷いたあと、本堂の外にゆっくりと歩いて行き、本堂から出た後は階段を下りていくように一歩一歩体を地面に沈みこませていった。そして嗣津無は鳥居のあたりで完全に姿を消した。あとはこいつからの報告を待つだけだ。それにしても、こんなに一日が長く感じたのは初めてだ。僕は体を伸ばしてポキポキと首を鳴らした。
◇◇◇
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