第27話

 もうへとへとだ。ミツキの奴が今日に限ってこの調味料はだめとかあの食材がいいとかあれこれ言うからだ。でもようやくひと仕事終わったぞ。あとは今日最大の難関を突破するだけだ。やっぱりミツキは一緒に来てくれなかったな……。そういや和沙ってどんな料理が好きなのかな?夜の7時、様々な思いが泡のように浮かんでは消えながら、僕はあるビルの前に立っていた。加賀谷駅の雑居ビル群の一角にあるひと際小さく殊更に小汚いコンクリートビル。この二階建てのビルは幽霊でも出てきそうなぼろぼろの建物で、秘密組織の拠点としての役割はある意味果たせているとも言えるが、こんなしょぼい物件しか借りられない組織でよくヘリを動かせたなあとつくづく感心してしまう。僕は両手にぶら下げたビニール袋4つを下に置き、ドアを開けた。


 ドアが開くやいなや、キレ味抜群の上段裏回し蹴りが飛んできた。僕は状態を反らしてよけ、そのまま正拳付きを目の前の女に見舞ったが軽くいなされた。


「来たね。妖怪少年」


 三田は相変わらずグリっと大きな目で悪戯っ子のように笑っていた。初対面の人にはきっと気さくなおばさんに見えてしまうんだろうな。


「随分な挨拶ですね、忙しい中わざわざ訪ねてきたのに」

「これもコミュニケーションの一環だよ。同じ三船さんの弟子同士じゃないか。ミツキちゃんは?」

「もちろん来てません。駅前の本屋で時間を潰していますよ」

「まあそうだよな」


 三田はデスクトップPCが設置された透明な机に移動し、事務用回転椅子にどかりと座った。(その際にみしみしっという嫌な音がした)。僕は食材の入ったビニール袋を生地がところどころ破けている大きなソファの上に置いた。


「凄い量の食材だねえ」


 そう言って三田はセブンスターに火を付けて肺一杯に吸い込んだ。


「いやー、頭がブラックアウトするほど美味い。やっぱり電子タバコとは比べ物にならないね」


 三田はかつて紙タバコを1日3箱吸っていたらしいが、減煙中の今は1日2本までと決めているらしい。紙タバコはその日の特別な時にしか吸わないと豪語していたので、どうやら僕の来訪は大事な用件という訳だ。


「和沙ちゃんには会ったんだろ」

「あなたと何の関係が?」

「おいおい、今更なんだよ。あたしの名前が出るとミツキちゃんが断ると思ったからだ。それはお前も分かっているだろ?」


 僕は目も合わせずこれ見よがしにため息をついた。


「それはその通りですけど。おかげで最初の雰囲気は最悪でしたよ。喧嘩別れして俺たちが依頼を受けない羽目になったらどうするつもりだったんですか?」

「ミツキちゃんは和沙ちゃんをきっと好きになると思ってさ」

「あの子の命に関わる話でしょう。ミツキと和沙が初めて顔を合わせた時、一触即発だったんですから」


 それを聞いた三田はさも嬉しそうに笑った。


「喧嘩になった?二人ともあの性格だもんな。和沙ちゃん面白い子だろ」


 このクソ女。


「電話であんたにだけに伝えようかとも思ったけど、やっぱり和沙ちゃんが直接会うのが一番だったな。ミツキちゃん、自分から協力するって言ったんだろ?」

「言いました」

「で、どうだった?あの二人は取っ組み合いにでもなった?」

「クッキー対決になりましたよ」

「は?」

「いや、何でもないです」

「それにしても、ミツキちゃんの人嫌いもそろそろ何とかしないとね」

「あんたのことは大嫌いと言ってましたよ」


 それを聞いた三田は腹を抱えて大笑いした。苦しそうにひーひー言いながら、今度はこんなことをサラッと言った。


「実は、この事件は特安から外されたんだ」

「え?」


 三田は急に白けたような醒めた目つきになり、戸惑う僕に呆れたかのような口調で言った。



「聞こえたろ?この件に組織としての特安は関わっていない。だから他の職員経由で伝えられなかったのさ。もちろん今後も正規職員は一切使えないし、あたしも表立っては動けない」


 僕が次の言葉を探している間、三田はセッターを深く吸い込んだが、むせ込んだようで苦しそうに咳をした。そして顔を梅干しのように歪ませながらもう一度ゆっくりと吸った。歓楽街らしく、外から男の怒声が聞こえてくる。


「どういうことですか?間違いなく特殊公安で扱う事件ですよね?」

「お偉方がそう判断した。どこからか圧力が掛かったみたいだね」

「圧力?」

「噂では幹部の一人がある宗教団体の信者でね、その絡みらしいけど詳しいことは部長も掴めなかった。で、部長の忠実なしもべであるあたしに極秘で捜査するよう命が下ったって訳。もちろんこれは特安法違反だ。今回あんたたちの報酬は部長のポケットマネーからだけど、額は今まで通りだから安心してね」

「じゃあ下手したら俺たちも警察に目を付けられるってことですか?」

「ヘマはしないよ。万が一のことがあればあたしが全責任を取る。どう?引き受けてくれる?」


 僕は大きなため息をついた。特安法違反……。職務権限の逸脱は懲戒処分とはならず、何年食らうかは分からないがそのまま刑務所行きとなるらしい。出所後は一生監視下に置かれると言うおまけまで付いてくる。どう考えても三田が背負える責任を遥かに超えている。でも……。


「ミツキは絶対に退かないだろうし、どちらにせよ後戻りできないんでしょう?」


 三田はご名答と言わんばかりににんまりと笑った。何もかもこいつの手の内なのだ。


「それにしてもよく大川さんを警察署に連れていきましたね。万が一他の職員に見つかったら危なかったんじゃないですか?」

「彼も体重が半分以上減ったからね、誰も気づきゃしないよ。勘のいい和沙ちゃんは気付いたけど」

「そんないい加減な……」

「そもそも他の特安職員が加賀谷署に立ち寄るのを見たことがないからな。それでも大博打だったけど、和沙ちゃんを納得させるには警察署に連れて行くしかなかった」


 三田も本件についてそれなりにリスクをしょっているようだ。


「ヒナタ、腕を引っ張られた話は聞いたか?」

「ええ」

「考えたくはないが別の能力者だろうな」

「和沙をめぐって厄介な連中が衝突しあっていると?」

「”人形をめぐって”かもしれないけどな」

「何者ですか?」

「見当もつかないが、亡者の夢に介入できるとなると相当な手練れだ。すぐに式神を使って警戒させろ。鼻の利く奴がいるだろ?」

「あいつは従属していません」

「でも何度か契約は交わしたろ?あたしが行っても姿すら見せないだろうよ」

「供え物は?」


 三田は白い無地の巾着を僕に手渡した。


「だいぶ昔のだけど」


 中身を見ると、拳一つ分の髪の毛が入っている。三田の髪の毛だったら大抵の式神は喜んで食うだろう。


「能力者の特徴が分からない以上、和沙ちゃんの周辺を見張らせろ。そいつの探知範囲は?」

「半径4kmといったところです」

「十分だ。お前らもこの案件が終わるまでは和沙ちゃんを護衛しろ。式神がその能力者を感知したら迷わず消せ。ミツキちゃんなら何とかしてくれるだろ」

「捕えなくていいんですか?そいつの能力を利用すれば亡者と対峙することなく和沙を救えるかもしれない」

「よせよ、亡者の夢の中に介入できる能力者だぞ?下手な戦い方をすればお前らも死ぬ可能性がある。ミツキちゃんの損失は特安としても痛手だからな。和沙ちゃんがどうなるかなんてお前は考えなくていい」


 僕らの間に数秒間の沈黙が流れた。三田は見透かしたかのような目をこちらに向けた。


「あんたたちの役目は人助けじゃない」

「分かっています」

「あたしだって和沙ちゃんには助かってほしいし、大川さんが息子を取り戻せればいいとは思う。ただそれは結果論だ。我々の任務はそうじゃないよな?職務執行法第三条を言ってみろ」

「"特殊公安職員および職務に関わる者は、対象の駆除を最優先としなくてはならない"ですよね」

「ミツキちゃんはそこを履き違えているからな。まあ任務遂行が結果として世の中のため人のためになるのさ」

「和沙には言ってないんでしょう。首切りに失敗した場合、確実に魂を食らい尽くされると」

「だからあたしは首切りに失敗しても”後始末をする”としか言ってない」


 本当に嫌な奴だ。ミツキがあれほど毛嫌いするのもよく分かる。でも今回だけは絶対に退けないんだ。


「今回は部長個人からの依頼だ。特安法は適用されないんでしょう?契約書を交わした訳でもないし、俺たちの好きにやらせてもらいます」


 三田は感情の一切籠らない、ゴミを見るような据わった目で僕を睨んだ。ヤクザだってこんな目つきはできやしない。これに比べれば僕が和沙に見せた脅しなんてただのおままごとだ。怖い、足が震えてきた。


「なぜ?」

「ミツキの、初めての友達だからです」


 体中が震えながらも、僕は彼女の目を見ながらなんとか最後までその台詞を言い切った。三田は嫌な舌打ちをした。


「お前程度の能力者なんてごろごろいるからな。もう少し物分かりがいい奴だと思ったが。まあミツキちゃんが生き残ればうちらとしては問題ない。あの娘はそう簡単にやられないだろ」


 そういって2本目の紙タバコに火を付けた。


「好きにしな、お前が死んだら線香くらいはあげてやるよ。ミツキちゃんが葬式に呼んでくれればの話だけどな」


◇◇◇

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