第23話

 クッキー対決に負けたミツキは未だ立ち直れていないのか、和沙の話にも上の空で天井のシャンデリアをボーっと眺めていた。


「ミツキ、和沙の話をちゃんと聞いていたか?」

「聞いてた」

「じゃあ要約してみろ」

「夢をキャッチできる大川さんから手紙をもらった。そして公園でヒトバケの話を聞いている最中に、クソッタレの三田が後ろから現れた」


 クソッタレは余計だ。まあ確かにクソッタレの糞女なのだが。和沙も後々知ることになるだろう。


「その後加賀谷署に行って、あの物置小屋で不味いコーヒーを飲んだ」

「ミツキ、要約だぞ」

「大川さんのお母さんが祐樹くん失踪の犯人だと告げられた。和沙を魅入ろうとしているのもそのお母さん。かずちが夢から持ち帰ったブローチを糞馬鹿の三田が写真に撮って……」

「ちょっと待て、"かずち"って誰だ」


 ミツキは不貞腐れた顔を背けながら和沙を指さした。和沙は一瞬驚きと照れが混ざった表情で伏し目がちになったが、その後軽く握った右手を口に当てながらクスクスと笑い始めた。


「あだ名を付けられるなんて何年ぶりだろう。私もみっちゃんでいいかな」


 ミツキは真っ赤にした顔をさらに背け、頭をほんの微かに下に動かした。それを見た和沙は少しだけ身を乗り出して、怯えた小動物に語り掛けるように優しい声で囁いた。


「み~~っちゃん」


 ミツキは背けた顔を正面に向けようとしてまた背ける動作を何度か繰り返した後、ついに体を正面を向け、膝に両手を置きながら、捨てられた子犬のように上目遣いで和沙を見た。和沙に目をやると、彼女もまったく同じ姿勢で、つまり膝に手を置きながら上目遣いでミツキを見ていた。これじゃまるで付き合いたての中学生カップルじゃないか。


「ミツキ、続き続き」


 僕はそう急かすも、心の中に湧き上がる感情を抑えるのに必死だった。これはもしや、もしかするとだ。


「ええと、ヒトデナシの三田がブローチの写真を撮って、そのあとかずちが人形の居場所を見つけるために、私たちに接触するように言われた、これでいい?」

「あの……ちょっと聞いてもいいかな」


 和沙が恐る恐る聞いてきた。


「あの写真は誰に送られるの?やっぱり大川さんみたいな不思議な力を持った人?その人の力でブローチの持ち主の場所を特定するのかな」


 僕はゆっくりと頷いた。ここまで巻き込まれているなら能力者について教えたほうがいいだろう。


「そいつは「絵描き」と呼ばれている能力者で、遺品や残留品から所有者の居場所に関わる断片的なイメージを読み取り、それを絵にしてこっちによこすんだ。まあサイコメトリーに近い能力だな。こいつの凄いところは、実物だけでなく写真からもイメージを読み取れるところだ。ただ対象物に所有者の思い入れがどれだけあるかによってイメージの精度が大きく左右される。だから絵から確実に居場所が見つかるとは限らない」

「あなた達や三田さんも、そういった魔法が使えるの?」

「特安の職員や俺たちみたいな外注組は全員の何かしらの能力を持っているよ。もちろん三田さんもね」


 とはいいつつも、僕らは三田の能力についてはほとんど何も知らない。それは他の特安職員についても同じで、僕らと同じ外注の能力者とは数人を除いて顔を合わせたことすらない。不覚にも、三田には僕と契約関係にある式神の一匹を知られてしまったのだが……。


「じゃあやっぱりあなた達は霊能力者みたいなものなの?」

「"霊能力者"じゃなくて"能力者"な」


 霊の一文字が付くだけでなんと胡散臭くなることか。


「とにかく俺たちは写真の情報をもとに祐樹君を探して、和沙が人形の首を切り落とすサポートをすればいいんだな?」

「私に人形の首を切り落とすなんてできるかしら」


 和沙は俯きながら自信なさげにそう言った。なんだか可哀そうになってきた。でも嘘を言っても仕方ないもんな。僕はすっかり冷めたコーヒーを少しだけすすった。


「こればっかりは依り代しかできないからな」

「でもあなた達が後始末をしてくれるだろうって言っていた。だから、人形が見つかったらあなた達だけで倒しちゃうことはできないの?」

「悪いけど、それは無理だ」


 僕は断固とした口調でそう言った。和沙は唇をキュッとさせた。


「”思いを断ち切れない”から?」

「そう。亡者にも色々いるが、ヒトバケの亡者は思いを断ち切るか成就させない限り一生この世界にさ迷い続ける。執念という言葉の通り、一度目を付けられた依り代を何度も魅入ろうとする。だから執念の対象でない俺たちが本当の意味で始末することはできないんだ」

「そっか……やっぱり私がやらないと駄目なんだ」

「その大川さんって人も言ってただろ。亡者は理不尽で、厄介で、おぞましい、訳の分からない存在なんだ」

「そんなことない!」


 隣の席のミツキが急に立ち上がり、僕を上から見下ろした。


「亡者はおぞましい存在なんかじゃない!ヒナタは今までずっとこの仕事をしてきたのに、まだ分からないの?」


 ミツキは取り乱したように喋り続けた。


「ヒナタは一昨日の男の子のことも、三田が駆除した可哀そうなおばさんのこともおぞましいというの?お母さんのことも?」


 ミツキはぼろぼろと泣きながら、今にも僕に食って掛かる勢いで僕に捲し立てた。


「ミツキ、落ち着け」


 ミツキは息を切らしながら和沙の方を向いた。


「かずち、あたしたちが協力するから文子さんを成仏させてあげよう。私たちで助けてあげよう」

「みっちゃん……」


 一気にしゃべり倒したかと思えば、ミツキは燃料が切れたかのようにそのまま座り込み押し黙ってしまった。そして思い詰めたような表情を浮かべながら俯き、声を殺して泣き始めた。和沙にもその痛々しさが伝染したようで、目にうっすらと涙を浮かべている。和沙はしばらくの間ミツキと同じく沈黙していたが、ゆっくりと立ち上がり、声を殺して泣き続けるミツキの後ろに立ち両手で包み込んだ。ミツキは強く握った両手を膝から離さないため、涙も鼻水も遠慮なく制服のスカートに滴り落ちている。


「かずち……すごく悲しい……」

「そう……悲しいんだ」


 和沙はそう言ってミツキの体に回した両手で肩や二の腕をゆっくりと優しく撫でながら、静かに泣き出した。ミツキは座ったまま体の向きを和沙に向けて、彼女の胸に顔を埋めた。

 ミツキが僕以外の人間にここまで自分をさらけ出すなんて。いや、和沙の行為は作為的なものが一切ない。心をノーガードにしてありのままの感情をそのまま受け止めているなんて芸当、僕じゃ到底無理だ。

 その様子を静かに見守っていたママが涙ぐみながらお冷を注ぎに来た。マスターは相変わらずマグカップを磨きながらボソッと一言呟いた。


「少女同士の戯れはいいもんだ…」


 確かに傍から見れば百合展開に見えなくもない。


 十数分後、真っ赤に泣きはらしたミツキの顔は驚くほど晴れやかな表情になった。一度情緒不安定になったミツキは数日間引きずるのが当たり前なのに。


「みっちゃん、落ち着いた?」

「うん……」


 同じく泣きはらした顔の和沙が心の底から嬉しそうに優しく微笑んだ。


「よかったあ」


 ミツキは上目遣いで恥ずかしそうに和沙を見た。和沙も照れくさそうに笑った。


「和沙、もう3時だけど大丈夫なのか?」

「ああ、いけない。もうこんな時間?今日はお姉さんの婚約者が挨拶に来るっていうから帰らないと」

「そうか。俺たちはさっき言った絵を受け取るまで動けない。絵の完成までに数日掛かるかもしれないが、その間は耐えられそう?」

「正直すごく不安になると思う」


 和沙は心細そうにそう呟いた。するとミツキが身を乗り出して言った。


「あの、あのさ、あの、明日……」


 ミツキは言葉を何度もつっかえ顔を何度も逸らしながらそれでも最後まで言い切った。


「明日は暇?」


 和沙はきょとんとした表情でミツキを見た。


「うん、明日から夏休みだからずっと暇だけど」

「よかったらうちのご飯を食べに……来なよ……パジャマも持ってきてさ……」

「えっ、でもいいの?ヒナタ君はご迷惑じゃないかしら?」

「全然。女の子なら大歓迎だよ」


 その台詞に二人は勘違いをしたようだ。ミツキは拗ねた顔で、和沙は困ったような顔で僕を見た。


「変な意味に取るなよな。他の男とミツキが一つ屋根の下だと心配だからそう言ったんだ。でも家族旅行とかは行かないの?」

「夏休みはずっと勉強でもしていようと思っていたの。だからずーっと暇、ふふふ」

「じゃ、じゃあさ、じゃあさ、うちに泊まりなよ。いいでしょヒナタ」


 僕は言葉で返す代わりに親指を威勢よく上に立てた。ミツキの顔がみるみる輝いた。和沙もこれまでになく明るい表情だ。


「嬉しい!私、友達の家に行ったのって小学校以来なんだ。食費や掛かった経費は出すから」

「いらないよ、もうミツキの友達だろ。大したものは出せないけど好きなだけいていいんだぜ、なあミツキ」

「うん!」


 ミツキは大げさ過ぎるくらいに頷き、額を机に派手にぶつけた。その衝撃でなみなみと継がれたお冷の水滴がミツキの頭に掛かった。ミツキのアホ。


「あらあら」


 和沙が急いでハンカチを出し、優しくミツキの頭を拭いた。それは昔ドキュメンタリーで見たライオン同士の優雅な毛繕いを連想させた。


「でもご両親は大丈夫なの?さっきお母さんがどうのって話していたけど」

「おふくろは……事情があって同居していない。だからずっとミツキと二人暮らしなんだ。後見人はいるんだけれど、たまに電話で話すくらい」

「ふうん……」


 和沙はそれ以上立ち入ろうとはしなかった。その距離感が僕には心地よい。


「明日は何時に来るの?うちはテレビないけど大丈夫?何が食べたい?ヒナタは料理が得意なんだよ!」

「おい、ミツキ。がっつき過ぎだろ」


 しかしそんなミツキを眺める和沙は本当に楽しそうだ。


「明日の3時ごろはどうかな。あと私何でも食べられるし、知ってのとおり大食いだからね」

「私も明日はクッキーの借りを返すから」

「おい、俺が手間暇かけて作る手料理だぞ」


 そして和沙とミツキはくすくすと笑い合った。こういうのっていいな。僕は浅い付き合いばかりでそんな友達一人もいない。いや、うっとおしく絡んでくるニキビ面がいたな。

 僕は二人のやりとりを努めて落ち着いた表情で見守っていたものの、先程から溢れ出る気持ちを今すぐにでも解消したかった。あたりかまわず大声で歌いたい気分だった。思いがけずだが、ついに、やっと、ミツキに友達ができたんだ。


◇◇◇

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