第22話

「疲れたみたいだね」


 三田さんは机に突っ伏した私を見て笑った。


「すっごく疲れました……」


 今となってはあの陰鬱な学校生活ですら懐かしい。何で私がその依り代とやらに選ばれたのだろう。霊力やら超能力から一番遠い人間だと思っていたのに。

 ただ、あの夢のブローチを現実世界に持って帰った時から嫌な予感はしていたのだ。制服のポケットからブローチを見つけた時は驚いたなんてものではなかった。そもそもなんであのブローチがやたらと気になったのだろう。大川さんが何か知っているかもしれない。


「大川さん、猫のブローチを拾うシーンって覚えていますか?」

「ブローチ?夢の話ですよね。いつ頃のことですか?」

「前庭にいた時です。映像は全部見たんですよね?」

「手紙に「すべての内容を把握している訳ではない」と書いた通り、すべてを確認できた訳ではありません。ブラウン管テレビのノイズが走るように、映像も音も確認できない箇所が多々ありました。まるで何かに邪魔をされているかのようにね」

「どのシーンなら確認できたんですか?」

「小牧さんが起床した時から公園辺りまでは鮮明な映像でした。だからご実家の住所が分かりお手紙を差し出せたのです。ただバスに乗ったあたりからはほとんどキャッチできませんでした。小牧さんがのけぞって犬走に隠れたシーンからは嘘のように映像が鮮明になったのですが」


 なるほど、それなら前庭のシーンを確認していないのも無理はない。ん?起床した時から?ということは……


「ということは着替えやシャワーのシーンも見たんですか!?」


 ふつふつと怒りが沸き上がってきた。大川さんは顔面蒼白になってしどろもどろに弁明した。


「あの、不可抗力というやつで……けっして邪な気持ちで見てたわけでは……」


 三田さんは笑いながら私を宥めた。


「和沙ちゃん、大事の前の小事ってやつよ」


 そうだ、こんなことを気にしている場合ではないのだ。私はブローチが入ったジップロックをカバンから取り出し机の上に置いた。


「廃屋の前庭で手掛かりを探していた時に見つけたものです。あの家は大川さんの家ですよね?このブローチに見覚えは?」


 大川さんの顔色が変わり、ジップロックから取り出したブローチを手に持ったまま目を見開いて凝視した。


「夢の中でポケットに入れておいたものです。理由は分かりませんが現実世界でもポケットに入っていました」


 三田さんの口に加えられていた電子タバコがポロリと膝の上に落ちた。口はあんぐりと開けたままだ。


「驚いたね……夢から持ってきちゃったよ、この子」

「このブローチは、母が祐樹のために手作りしたものです。和沙さん、あなたは一体……」


 一体何者なのだと言われてもこっちが聞きたい。三田さんは興奮気味に立ち上がり、私の肩を掴んで強くゆすった。


「こりゃ凄いよ!これで人形の居場所が見つかるかもしれない!」


 そして彼女はちょうど真後ろにある棚の隅に置いてあった一眼レフを取り出し、ブローチを撮影した。


「これでよし、と。本当はアンティーク物の2眼レフで撮れって言われているけど、銀塩式の使い方なんて忘れちまったしな」

「これで何が分かるんですか?」

「まあ、世の中にはいろいろな能力者がいるってことよ」


 私はもう現実離れした話にも驚かなくなっており、そういう訳の分からない霊能力者やら超能力者がいるのだろうなと妙に納得してしまった。


「能力者といえば、あんたも会ってもらいたい二人がいるの」

「私が?」

「祐樹くんと人形の居場所を見つけるのに必要な連中だよ。その場所まで二人にあんたのお供をしてもらう」

「あの、なぜ私が人形のいる場所にまで行かなくてはならないのですか?」


 三田さんは電子タバコのカプセルを交換し、スイッチを長押しした。


「あんたは遅かれ早かれ大川文子に魂を喰われちまう。だからこっちから攻めにいくのさ。そのためには依り代が直接出張る必要があるんだ」

「私が直接?」

「ああ、和沙ちゃん。ヒトバケが起きる前に、人形の首を切り落とすんだ。もちろん夢の中の人形ではなくて、現実世界のやつをね」


 胃の中と頭の中がぐるぐると回っていた。さっき飲んだコーヒーを戻しそうだ。


「なぜ私が?」

「人形の思いを断ち切るためさ。それは依り代しかできないことなんだ。大丈夫、あんたならできるよ。万が一失敗してもその二人が後始末をしてくれるから」


 話は最悪の方向に向かっているようだ。遺書ってどうやって書くのかな?


「大川文子の魂も祐樹くんの本体も、あの世のような実体のない世界にいるはずだ。でも依り代が近くに来たら人形が強制的にヒトバケを起こすはずだから、その時が首を切り落とす好機さ」

「じゃあ一刻も早くその二人に会いにいきましょう。大川さんも三田さんも、今日は日曜日だから問題ないですよね?」

「いいや、あんた一人で行ってもらう」


 今度は何を言い出すのだ、この女。


「私が一人で?何でですか?」

「あたしがそのうちの一人にとことん憎まれているようでね、へそを曲げられたら困るから。大川さんは他に付き合ってほしいことがある」


 頭の中のぐるぐるが更に速度を上げた。特安の他の職員は同伴してくれないのか、などと思いつく余裕すらなかった。


「今から言うことは絶対に守って。まず、あたしの名前は絶対に出しちゃだめ。あたしが出てくる部分は適当にぼやかしてね。「ツカレビト」を知っていると言えば、そいつらは否が応でもあんたの話を聞くからさ」

「ツカレビト?」


 そういえば大川さんの話にも出て来たな。ツカレビト、メシダシ、どちらも不吉な言葉に聞こえてしまう。


「まあツカレビトは今回の話には関係ないから。ただその単語を知っているよねって言えばいい」

「はあ……」


 ここまできたらツカレビトの意味を教えてくれてもいいのではないか。まあ教えられない事情があるのだろうな。私は軽くため息をついた、もうどうでもいいや。


「癖のある二人だから強気の姿勢を崩しちゃだめだよ。まあ……あんたは演技をしなくても大丈夫か」

「どういう意味ですか?」


 そう言うと三田さんが楽しそうに笑った。真面目なんだがふざけているのかいまいちつかめない。


「二人の名前は?変なおじさんたちじゃないですよね」


 三田さんは返事をする代わりにスマートフォンの写真を見せた。一枚目は学ランを着た中性的な感じのする男の子だった。ちょっと好みかもしれない。


「こいつは倉木ヒナタ、北高の生徒だ。それでもう一人はこいつの双子の姉だ。こいつがとんでもない難物でね」


 三田さんが写真をスライドさせると、今度は北高のブレザーを着た一人の少女が映し出された。私は思わず口を押えた。この世のものとは思えないほど綺麗な少女だったからだ。この浮世離れした美しさは今の現実離れした話に相応しかった。


「うっわー!綺麗な子ですねえ」


 そんな陳腐なセリフしか思い付かなかった。


「大丈夫、あんたも同じくらい綺麗だよ。堂々と行きな」


 私は柄にもなく顔を真っ赤にしてしまった。


「明日は一学期最後の日だから、12時半ごろには北高の通学路を通るはずだ。あんたも学校が終わったら急いで通学路に待ち構えるように」

「ええ?今日はだめなんですか?」

「焦る気持ちは分かるけど、この二人には土曜日にでかい仕事を請けてもらったんだ。今日くらい休ませてやらないとな」


 魂を喰らわれるのが今日だったらどうするのだ。喉元まで出かかった言葉を必死に抑え、あることを思い出した。そういえばもう夢は見なくなったんだっけ。


「あの、まだ言っていないことが」

「なんだい?」


 私は人形に触れようとした後、何者かによって強制的に夢の世界から解放されことを伝えた。


「最後に手を引っ張られた?」


 三田さんは大げさに首を傾げた。大川さんも顎に手を当てながら不思議そうに言った。


「おかしいな、僕はそんな光景は見なかった。夢が唐突に終わったものだと思いましたが。ただ不幸中の幸いですよ、あのまま人形に触れていたら魂を喰われていたかもしれませんから」

「大川さん、映像が途中から鮮明になったって言ったよね。夢の中で何かが干渉しあっているってことか?」

「見当もつきませんね」


 もはや私の頭の中はこんがらがり、何が何やら整理がつかなかった。


「なぜ私を助けてくれたんでしょうか?」

「さあねえ、分からないことをあれこれ考えても仕方ない。特安の事件なんぞ意味不明なものばかりだ。あたしたちは出来ることをするだけさ」

「でもあれ以来夢を見てはいません。依り代から解放されたのではないでしょうか」

「残念だけどそれは絶対にない。大川さんは人形が発する力をいまだに感じ取っているんだ。そして、亡者は一度目を付けた依り代を絶対に逃さない」


 最後の希望すら打ち砕かれた。腹を括るしかないようだ。


「ああ、そうそう。ある喫茶店に双子が連れていってくれるなら、そこでクッキーを注文してみな。クッキーの見方が変わっちまうぜ」


◇◇◇

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