第11話

  僕らは無言のまま加賀谷西駅前の寂れたアーケード街に入った。商店街の半分近くはシャッターが降りており、土曜日の午後だというのにセミのあの切ない鳴き声が聞こえてくるばかりで、三人で歩いているのに寂しいような不思議な感じがする。透明な天井から漏れる陽光ですら、照らす場所がこんな閑散とした場所では侘しさに拍車をかける始末だ。数店舗分歩いたところで右に曲がると、かつてスナックや飲み屋だった汚らしい建物が数店舗並んだ、いかにもうらぶれた路地裏に出る。


 路地裏をそのまま数百メートル進むと一転して豊かな緑に囲まれた住宅街に入る。むせかえるような緑の香りがあたりに充満し、澄んだ用水路では大小の魚が元気に泳いでいる。どの住宅も年季が入ってはいるがよく手入れされており、その中でポツポツと建つ日本家屋や明治時代風の洋館といった邸宅は、その長い年月を刻んだ堂々とした外観から気品と風格を漂わせている。各住宅の庭も庭師により丁寧な仕事がされており、ポーチュラカやペチュニアといった有名な花から見たことのない花まで、色とりどりに咲き乱れていた。


「わあ」


その閑静で心落ち着く環境に和沙は思わず声を出し、新鮮な空気を肺一杯に吸い込んだ。


「素敵ね、生まれた時からこの街にいるけどこんなところ知らなかった」

「加賀谷が地元だったのか。じゃあ寮住まいじゃないの?」

「実家から徒歩で通学しているの。それにしても立派なおうちばかりだけど、なぜさっきのアーケード街は寂れているのかしら」

「大した店もないし、みんな繁華街かショッピングモールに行くからな」


 俺たちはまだ車を運転できないから仕方なく商店街を利用するけど、そう言いかけたが慌てて飲み込んだ。危うく住まいがこの住宅街にあるとバレるところだった。


「もうすぐだ。ほら、あそこに小さな山があるだろ。あれが水流神社だ。あの麓近くにある喫茶店だよ」


 5世紀に創建されたと伝えられている水流神社。本社が室町時代初期の建築物で歴史的価値は十分なのだが、名だたる寺社がひしめく加賀谷市では全く目立つ存在ではない。しかし鎮守の森に囲まれた境内はちょっとした高さの小山に建てられており、そこから眼前に広がる太平洋は絶景だった。

 

 ミツキはこの場所が大好きで、楽しいこと、悲しいこと、辛いこと、許せないことなど強く感情が突き動かされるたびに、僕を無理やり連れてこの神社まで登り、僕の手を握りながらいつまでも海を見ていた。静かに砂浜を波打つ日も、荒れ狂う日も、どんな表情の海を見ても心が落ち着いたものだった。そして僕らは海を見せてくれた感謝の印として参拝の度に賽銭箱にお金を投げている。懐事情もあり毎回たった10円しか投げ入れないのだが……まあこういうのは気持ちの問題だろう。


 緑豊かな住宅街がある地点で突然途切れ、そこからは鬱蒼とした森に入る。山頂付近を見上げると、埋め尽くされた木々から鳥居が少しだけ顔を覗かせている。道が舗装されていないこともあり、初めて足を踏み入れる者はこの大して広くもない森の中に入った瞬間に迷ってしまうだろう。和沙は周りを見回しながら言った。


「まるで迷いの森ね」


 しばらく歩くと苔に覆われた石積みの階段が現れた。左右の灯篭も苔だらけであり管理が追いついていないのが一目瞭然だった。境内はもう少し綺麗なのだが、なにせスロープを設置する金すらないらしいのだ。そのため地元の人間ですら300段ある急こう配の石段を参拝しようとはせず、賽銭箱には自分たちの1円以外に入っているかも怪しいものである。

 ミツキはこの寂れた感じが風情があっていいというのだが、それにしても華のある剛銅寺とは偉い違いだ。しかし和沙はずっと上の方で僅かに顔を覗かせる鳥居を見て感嘆の吐息を洩らした。


「素晴らしい眺めだね、この階段を登ると水流神社?」


 どうやら美的感覚はミツキと近いようだ。


「そう。もちろん今日は行かないけどな」


 少し残念そうな顔をしたが今日は観光案内をしに来た訳ではない。そんな和沙をミツキはまたもや不思議そうにじっと見ていた。


 階段を登らず左をしばらく進むと急に森が開け、先ほどと同じような住宅街が現れた。

 そのタイミングで和風の一軒家から夏用の背広を着た中年男性の二人組が出てきた。訪問先の住人に深々と頭を下げ、大きな門を出るところ僕らと鉢合わせになった二人は、こちらの存在に気付くや否や会話を止めてミツキと和沙をチラチラと見てきた。それはそうであろう、ミツキも和沙も滅多にお目にかかれないほどの美少女なのだ。ミツキと和沙の間に挟まれている僕も思わず和沙とミツキを順番に見た。


「何?」


 和沙が不思議そうな表情でこちらを見返す。夏の日差しに照らされた彼女を真正面から見た僕はその顔に思わず見とれてしまった。


「い、いや、何でもない」


 慌てて顔を背ける。それを見たミツキがくすくすと笑い、いたずらっ子のような顔をして顔を覗き込んでくる。


「変なヒナタ」


 今度はミツキの顔を正面から見て狼狽してしまった。ミツキを嫌と言うほど見ているはずなのに、なぜ照れてしまうのだろう。この二人に挟まれて歩くと平常心が保てないな、僕は憮然とした表情で徐々に歩くスピードを速めた。


◇◇◇

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