第10話

僕らの住む加賀谷市は関東随一の古都として全国的に有名だ。人口30万人を少し超える程度のこの中核市は、古都の名に恥じず古社や古刹がそこかしこにあり国宝クラスも珍しくない。あと数日もすればこの街は国内外の観光客でごった返すことになるし、まだ7月中旬の今ですら観光マップを手にした観光客をチラホラと見掛ける。


「水流神社だっけ?そのあたりにも観光客がいるのかしら?あまり大きな声では話せない内容だから喫茶店が混んでると困るんだけれど……」

「水流神社は観光客とは無縁だから安心してくれ」

「そうなの?」

「ああ。地元の人間しか知らない、駐車場もない神社だからな」


 僕らは通学路がちょうど終わる地点にたどりついた。ここの左手には巨大な敷地と風光明媚で知られる剛銅寺ごうどうじがある。このお寺は平安時代から言い伝えられている悲恋物語の舞台ということもあり、閑散期ですらカップルや恋愛成就のご利益目当ての女性参拝客で人が途切れることはなかった。


 剛銅寺を横切る際に、境内のベンチでアイスクリームを食べている女の子たちの光景が目に入った。あの制服は鳳凰の生徒たちだ。その群れはこちらに気付くなりそれまでの会話をぴたりと止めてひそひそと話し始めた。僕の右で歩いている同じく鳳凰の制服を着た女の子は気にする風ではなかったが、僕はそのことに少し引っ掛かり足を止めた。


「あの方々はご学友かなにか?」

「あの子たちが?まさか。群れ合うのは趣味じゃないの。それとも一人でいる女の子は寂しそうに見えるかな?」

「いや、そうじゃないけどさ」


 こいつも似たようなもんだしな、そう思い左のミツキをちらりと見た。そのミツキは、僕の隣に立つ謎の女子高生を先程とは違う、少し興味深そうな目でじっと見た。そして、ここぞとばかりにこの女の子に食って掛かった。


「見える!あなた友達一人もいないでしょ!?なんか澄ましててムッとしちゃうもん!」

「そ、そうかしら……別に気取ってるつもりはないんだけれど……」


 ミツキの気迫にたじたじの女の子は、申し訳なさそうな顔でミツキを見遣った。僕に対する態度とあまりに差がないか?


 そしてミツキに向けた僕の視線は、図らずももう一つの光景も捕らえた。鳳凰の生徒たちの中の一人がわざわざ立ち上がり、ひと際鋭い視線で和沙を睨みつけてきたのだ。どこかで見た覚えのある子だな……でも既の所で思い出せない。謎の女子高生が前を向いたまま無表情に一言呟いた。


「行きましょ」


 彼女はそう言って独りで歩き始め、今度は僕らが彼女の後ろを慌てて付いていく形となった。僕は後ろから声を掛けた。


「おーいちょっと待てよ、何怒ってんだよ?」

「別に怒ってなんかない」


 彼女はチラリとも後ろを振り返らずにそう言った。取り付く島もないな、取り敢えず別の話題を振ってみるか……てか何で俺が気を遣わなきゃならんのだ?


「そういえばまだ君の名前を教えてもらってないけど」

「あれ、まだ言ってなかった?」


 彼女は立ち止まり、きょとんした表情でこちらを振り返った。どうやら本当に言い忘れていただけのようだ。


「まだだよ。だいたい君が俺たちに用事があるんだろ?」

「そーだよ、普通は用事がある相手から名乗るものだって聞いたことないの?」


 彼女は非難がましいミツキの顔を暫くキョトンとした表情で見た後、なぜだかプッと噴き出した。馬鹿にされたと感じ顔を真っ赤にするミツキ。この女の子が心なしか僕よりミツキに警戒を解いているのは気のせいか?彼女は晴れやかな顔をミツキに向け、改めて自己紹介をした。


「それは失礼、私の名前は小牧和沙こまきかずさ。高校一年生だから、君たちとは同学年だね」

「小牧和沙さんね、短い間だとは思うけどよろしくな」

「和沙でいいよ、倉木君」

「俺たちもヒナタとミツキでいい」

「わかった。お互いフランクな方が話しやすいもんね」

「そういうこと。しっかし鳳凰の子はやっぱり違うよな」


 それを聞いた和沙は眉間に皺をよせて突っかかるように尋ねてきた。


「え?何が?」

「いや、その……え?何怒ってんの?」

「だからその鳳凰の子は違うってどういう意味?」


 どうやら僕は出会って1時間も経たないうちに和沙の地雷を踏んでしまったようだ。


「いやーなんつーか、君の立ち振る舞いははわざとらしくないというか、気品が感じられるというか、素敵だなあと……」


 和沙を見ての正直な印象だったのだが、無神経なことを言ってしまったのだろう。ばつの悪さを感じた僕はごにょごにょと歯切れの悪い言葉を並べた。氷のような無言の視線が突き刺さり続ける。


「気に障ったならごめん」


 なぜ急に押し掛けてきた珍客に気を遣わきゃならんのか……理不尽を覚えつつも事なかれ主義を信条とする僕は取り敢えず頭を下げた。和沙は僕の目も見ずにつまらなさそうに言った。


「鳳凰の子たちなんて実家がお金持ちなだけのつまらない人間ばかりだけどね。もちろん私も含めて」

「まさに苦労知らずのお嬢様って感じ!」


 謎の女子高生はミツキの失礼な一言に子供っぽく顔をしかめてしまい、僕らの会話はそこで途切れてしまった。しかし、彼女の騒動に関わったことで、今後心労が途切れない羽目になるとはこの時は思いもよらなかったのである……。


◇◇◇


 県内には鳳凰大学という開校以来100年以上の歴史がある名門私立女子大がある。学費の馬鹿高さと偏差値の高さ、敷居の高さで全国的に有名な中高大一貫教育の機関であり、国内の資産家や旧家の令嬢だけでなく皇族の子女まで代々ご入学されることで有名だ。


 自慢してもいいはずなのに、どうやら和沙は自分の高校の話題について一切話したがらないようだ。他に話題も思いつかないため会話をすることもなく黙々と歩く中で、ようやく剛銅寺で見かけたあの少女が誰なのかを思い出した。つい2ヶ月前、溝口たちに有名人を見に行こうと誘われ(というより無理やり連れていかれ)、僕らは火門の近くの電柱に隠れて彼女を待ち伏せをしたのだ。


 通称「火門」、その鮮やかな朱色で覆わた外観から創立以来代々この名で呼ばれている鳳凰の正門は、もともとは加賀谷藩主の御守殿門正門で、その威風堂々とした構えで見る者を圧倒する。鳳凰は中学校から大学まで同じ敷地内にあり、その広大な敷地の中に入る方法はたった一つ、この唯一の門である火門をくぐることだけだ。それ以外は高い塀と厳重なセキュリティで完全に守られているため、在校生や学校関係者以外が自由に敷居を跨ぐことは許されない。


 その日、複数名の若くて屈強な警備員が目を光らせる中でその少女は火門から現れた。鳳凰の制服に身を包んだ栗毛の少女がボディガードを従えてミュルザンヌに颯爽と乗り込むその姿は、まさに外国映画の作り物めいたワンシーンそのものだった。

 彼女の名前はオドレン美幸、確か鳳凰中等部の3年生だったはずだ。かつて世界的に有名だったフランス人俳優の忘れ形見らしいが、何といってもティーン向けのモデル活動で女子から絶大な人気を得ていることで有名だ。おまけに生まれてすぐに死亡した父親の莫大な財産を継ぎ、名前は伏せられているが日本人の母親も成功した実業家のため、美貌、金、血筋、すべてを持ち合わせた彼女は同世代からはカリスマとして崇められている。ファッション誌の表紙も何度も飾っており、彼女を目にしない日はないと言っていい程だ。そんな有名人と和沙は何か因縁でもあるのだろうか。


◇◇◇

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