第12話

「ここだ」


 その店のオーニングテントには「喫茶店マルセイユ」と書かれている。店は煉瓦と木が組み合わさった年季の入った建物で、いかにも昔ながらの喫茶店という感じだ。看板も何も出ていないがもちろん営業はしている。ミツキはこの店で食事するのが大好きで、彼女の数少ない楽しみの一つでもあった。


「ここなら何を話しても平気だ」


 和沙も物珍しいのか、店の外観を不思議そうに見回していた。


「こじんまりしているね」


 どうやらそれがこの店に対する第一印象らしい。話を聞くと、和沙は地元客しかこないような喫茶店には入ったことがないとのことだ。


「いらっしゃい。ミツキちゃん、ヒナタくん」


 ドアベルの音に反応したカウンターの男が新聞から目を上げ、ニコニコしながら三人を出迎えた。この店の初老の男性は店のマスターだ。他にいるのはカウンター席であくびをしながら小説を読んでいる、90歳は超えているであろう男性客一人だけだっだ。

 

 僕らはちょうど窓際の四人掛けの席に座った。アイビーが吊るされた窓から陽光の粒子が差し込み、机の上に不思議な光の模様を作っている。喫茶店のママが注文を取りに来た。


「友達も一緒なんて珍しいわね。ご注文は?」

「俺はアイスコーヒーとミックスサンド」

「ホットコーヒーでかいのとカレー大盛りで!」


 和沙はメニューを見て少し考え込んでいたが、そのうちにメニューをなぞる指を止めてはっきりとした口調で注文した。


「コロンビアをお願いします」


 どうやら食事は摂らないようだ。ママは伝票に注文を書き込みながら和沙に優しく語りかけた。


「聞こえても誰にも口外しないから安心してね。カウンターのお爺さんも耳がほとんど聞こえないから大丈夫よ」


 なるほど、何もかも承知しているという訳か。和沙はそのような表情を浮かべ、ママに軽く頭を下げた。


「ありがとうございます。ご迷惑はお掛けしませんから」


 毎回ではないものの、この店で特安とくあんと呼ばれる警察組織から、稀に特安経由の依頼者から直接仕事の依頼を受ける。依頼は僕らの能力に関係する話のため、関係者と言っていいマスター夫婦の店では安心して話をすることができる。夫婦は賃貸不動産から多額の収入を得ているため商売っ気というものがまるでなく、この店にはいつもほとんど客がいない。


 ミツキが不思議そうに和沙をじっと見つめている。和沙もそれに気付いたようで、何か御用という風にミツキを見返した。ミツキは少し警戒しながら和沙に訊ねた。その姿は見知らぬ人間に歩み寄るかどうかを決めかねている猫のようだ。


「お腹……減らないの?」

「食事をしに来たわけじゃないから。それに満腹になると集中力が鈍くなるでしょ」

「ふうん」


 空腹のほうが集中力が切れるのではないか。おそらくそう言いたかったのだろうが、また笑われると思ったのだろう。ミツキはそれ以上は何も言わなかった。しかしこの店で料理を食べずにコーヒーだけで済ませるのは、ビートルズのファンがロンドン旅行の最中にわざわざアビーロードを旅程から外すようなものだ、そう考えている僕は和沙に食事を勧めた。


「何か食べなよ、ここの飯はうまいんだ」


 彼女に和沙は少し考え込んでから軽く頷いた。そしてメニューを再度確認してサラダバゲットを追加注文した。

 先に飲み物が運ばれてきた。アイスコーヒーに濃度の高い牛乳(コーヒーフレッシュは店の方針で置いていない)とシロップを入れて一口飲み、僕は少しだけ落ち着いた。さて、始めるか。


「和沙」


 物珍しそうに店内を見回していた和沙がこちらを向いて、僕を見た途端に顔をこわばらせた。


「誰に俺たちのことを聞いた?」


 僕は真直ぐに和沙を見た。この毒蛇のような、相手を丸裸にする目つきはある女の見様見真似だが効果は絶大だ。事実、先ほどまで余裕を見せていた目の前の少女も蛇に睨まれた蛙のように体を固まらせた。今や背中に冷たい汗を流しているのは和沙のほうだろう。和沙は平静を装いながら負けじと僕の目を真直ぐに見る。


「ごめんなさい、答えられないの。紹介してくれた人の名前を言わないよう強く言われているから」


 短い沈黙。


「なら話は終わりだ。今から関係者を呼ぶ」


 僕は冷たく言い放ったが、和沙はあくまで落ち着き払うふりを崩さない。気まずい空気が流れる。するとミツキが誰の顔を見るでもなくぼそりと呟いた。


「ヒナタ、大丈夫」


 和沙と僕は同時にミツキの顔を見た。


「この子、悪意はないから」


 意外なところから助け船が出たので和沙は驚いた顔をした。


「あの、ミツキさん……どうも、ありがとう」


 ミツキはぷいっとそっぽを向き、顎に手をあてながら窓の外の風景を見るふりをした。


 僕も顔には出さないものの内心は和沙同様に驚いている。ミツキが他人に助け舟を出した?こんなこと今までで初めてかもしれない。それもあれだけ警戒していた相手にだ。ただミツキの直感はどんな論理的な判断よりも信用ができる。

 さて、どうしたものか。僕は右手の人差し指と中指で顎をトントンと叩いた。特安に回せなかった事件を職員の誰かが個人的に請けて、それを僕らに押し付けたということだろうか?考えづらいケースだが、それなら確かに名前は伏せて当然だ。ただ、紹介者が特安に関係ない人物の場合はまずいことになる。そもそもその人物が僕らの秘密を知っているという時点でアウトだ。ミツキの勘ばかりにも頼っていられない。


「どんな情報なら明かせるんだ?」

「名前以外はいいんじゃないかな、名前を明かすなとしか言われていないから」


 和沙は悪びれもせずにそう言い、張り詰めていた緊張の糸がぷつんと途切れてしまった。彼女は結構アバウトな性格なのかもしれない。


「その人は男?女?何の仕事?」

「女性で警察関係者」


 特安の職員で間違いない。誰だろう、三船さんはおっさんだから除外するとして、あの高慢ちきな姉ちゃんか?三田か与野さんの可能性もある。もしかしてあの幽霊みたいなやつか?


 僕が腕組しながら考えていると、ミツキと和沙が真剣な眼差しでじっと見てくる。僕の顔は先程のように赤くなってしまった。くそっ、考えがまとまらない。年中盛りっぱなしの溝口じゃあるまいし。するとミツキがまた窓の景色を見るふりして小さく呟いた。


「カレーを食べる前に聞いてあげる、暇つぶしに」


 その様子を和沙が不思議そうにじっと覗き込む。それに気付いたミツキはほとんど後ろを振り返るような格好になり、和沙は思わず噴き出した。

 僕はすっかり気が抜けてしまった。まあ後のことはどうにでもなる。仕方ない、話だけは聞いてやるか。


「分かった、聞くよ」


 和沙はほっとした表情を浮かべた。


「その人が登場する所はぼやかして話さなければいけないから、その箇所は分かり辛くなるかもしれないけど……大丈夫かな?」

「話せる範囲でいい。ミツキの気が変わらないうちに済ませた方がいいぜ」

「あと、話を聞いてもらえるだけで嬉しいけど、もし……もしよかったら力になってほしいの」

「最初からそのつもりだったんじゃないか?」


 和沙は申し訳なさそうな顔をした。


「うん、ごめんなさい」

「素直に最初からそう言えば俺たちだって……」


 僕はそう言いかけてあわてて言葉を引っ込めた。油断が過ぎるぞ、気を引き締めろヒナタ。

「じゃあ、話をしてくれ」


◇◇◇

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