緋東結紀と異質のアリス㉘ last

 結紀はゆっくり準備を整えると結樹に行けると伝えた。


「今日まだ冷えるぞ、着とけ」


 渡されたパーカーに袖を通して会話を続ける。


「結樹も冷えるだろ」


「俺はいいんだよ、お兄ちゃんだから」


「何それ」


 意味がわからなくて首を傾げると、結樹は小さく笑った。


「なに」


「なんでも? それよりも、帰るぞ」


 頷いて結樹の隣を歩く。


 言いたいことはあるがまあいいだろう。


 すれ違う職員に挨拶をしながら、すっかり暗くなった夜の町へと出た。


 家はここから徒歩で30分程だ。


 普段なら自転車を使う所だが、結樹は歩いて帰ろうと誘いかけてきた。


「チャリどうすんのさ」


「置いといてもなんも言われねーよ」


「明日困るけど?」


「明日は送ってやるよ」


 一応結樹はバイクの免許を持っている。


 あまり乗っているのを見たことはないが、家にもバイクはある。


 仕方がないのでそれでと納得して、歩き始めた。


 それでなんだっけと前置きを置いて結樹が話し始めた。

 

「緋東家は、チェシャ猫の家系。

 だけど、お前は目覚めなかった」


「……突然なに?」


「まあ聞けって」

 

 突然先程の続きを話されても頭で繋がらないと愚痴れば、生意気なと返された。


 結樹は結紀の頭を小突いて話しを続ける。

 

「あの両親はさ、不思議の国に目覚めないならそれはそれでいいと思ってたんだよな。

 好きな道を歩いて、好きにすればいいって。

 俺も言われたよ。

 能力に目覚めても好きに生きればいいって」


「……でも、アリスケースに居るじゃん」


「まあな。

 両親が言うほど世界は甘くないんだよ。

 けど、俺はアリスケースに入ったことは後悔してない」

 

 力や遥日の話しを聞いている限り、不思議の国に自由意志はない。


 だけど、息吹のように違う職業を兼任している者もいる。


 ただし、それは王戸家の管轄の中でのみだ。


 後から聞いた話だが、咲良高等学校も王戸家の管轄らしく、不思議の国はここに入学することが決められている。


 卯宝や息吹も卒業生だと聞いた。


 不思議の国は王戸家の管轄外に出てしまえばどうなるかなんて分からない。


 結紀は一般人として生きてきたので、不思議の国の不安や痛みは分からない。


 けれども、ここしかないと不思議の国が思っていることはわかった。


 そう思わせる何かがあるのも。

 

「自由でありたいなら、能力に目覚めては行けない。

 誰が言ったんだっけな……でも、そういうことなんだよ」

 

 結樹は結紀の髪を掻き乱して笑った。


 話している言葉の割には明るい対応だ。

 

「きっと不思議の国として産まれた奴らは後悔してない。

 だけど、お前は違うだろ」


「……おれ?」


「元々不思議の国じゃなかったんだ。

 選べる未来も沢山あった。……実際どうなの?」

 

 問い掛けられてもそんなことは考えたことが無いので分からない。


 ただ、やりたいこともやるべきことも無かったあの頃よりも、アリスケースに入った今の方が充実している。


 だからきっと後悔はしていない。


 いや、後悔はしたくない。

 

「答えはいつかでいい。

 今はまだ入ったばっかで現状分かってないだろ」

 

 結局話しの途中で全て終わらせる。


 結樹は昔からそういう所があった。


 聞きたくないこと、望まない答えを曖昧にして誤魔化す。


 そんな結樹だから、結紀も距離を測りかねている。

 

「……ところで、お前の教育係って遥日だったよな」


「え、うん。そうだけど」


「あいつにとって初めての仕事だな。

 不慣れだろうが、慣れてやれよ」


「……随分詳しいんだ」

 

 弟よりも遥日のことの方が詳しいのは如何なものなと思ったが、何も言わないでおいた。


 結樹はどこか遠くを見つめながら、頭の後ろで手を組んだ。


 そして、ため息をついてから言葉を続ける。

 

「まあ、本部に居た頃からの付き合いだからな」

 

 本部。


 アリスケースには、東、西、南、北とその中心にそびえる本部がある。


 本部に行くことは昇級と同じだと力が言っていた。


 力は本部勤めを目指しているらしい。

 

「……本部から、東に?」


「色々あんだよ。

 あ、結紀。お前、平和に生きたいなら遥日を怒らせんなよ。

 あいつまじで手つけられなくなるから」

 

 言われてそう言えばと思い出す。


 力に対してその片鱗を見せていたことがあった。


 極力怒らせないように教育して貰おうと心の中で決める。


 大人しい人ほどキレると怖い。


 これは、どこの世界も同じだろう。

 

「もうすぐ春も終わるな」


「まあ、もう六月だしね」


「や〜〜早いもんだな。結紀、今日何食べたい?」

 

 何食べたいって聞いてくるけど、何時もまともなもの作ったことないと思う。


 結紀は言葉を濁して、鍋と言った。


 鍋ならまだマシだ。


 結樹の料理は料理ではない。


 実験だ。


 明日は無事で居られるだろうか、と空を見ながらどこか他人事のように呟いた。

 

 ♢

 

 結紀が治療予定であったアリスが脱走したと聞いたのは、それから二日後の話だった。

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