緋東結紀と異質のアリス⑨

 遥日に呼ばれるがままに校門を潜る。


 毎日通い慣れているはずの場所だが、何故だか気まずいような雰囲気を肌で感じた。


 その原因は制服を着ていないからなのか分からないが、どうにも居心地の悪さを感じて遥日に隠れるように歩く。


 突き刺すような視線を感じながら警備室の前を通る。


 制服も着ていないまま通り過ぎて行くが特に何も言われずに通行を許されてしまった。


 それどころか先程まで冷たい視線を送っていた警備員は何故か遥日に向けて敬礼をしていた。


 あまりにも異様な光景に結紀は思わず口を開く。



「ねえ、あれ……」



 同じく現状を見ている力にどうなっているのか問いかけようとして声をかけたが、力は警備室を一瞬見ただけで何も言わなかった。


 そして、力は結紀に振り向いて何もかももう分かってますという顔をする。


 そんな顔をされても結紀には何も分からない。


 つまり自分で考えろということなのだろうか。


 この状況から考えると先刻居なくなっていた遥日が何かをしたとしか思えないが、一体何をすればこんなにも従順になるのか分からない。


 考えられるのは不思議の国の能力を使ったことだけだが、そう言えば先程力が脅すか、跪づかせるかと呟いていたことを思い出す。



 脅すか、跪づかせる。



 これが遥日の不思議の国の能力ならば先程の光景にも納得が行く。


 例えば相手を従わせる能力だと仮定するのならば、ありえないことでもないだろう。



 ただし自分は絶対に受けたくない。


 好きなように操られるのは嫌だ。



 警備室を過ぎたところにある長い階段を登り、新校舎の方へと向かう。


 生徒玄関から少し離れた所にある教員玄関の前に近づいた時、遥日がこちらを見た。



「……あ、待って」



 結紀の目の前で急に立ち止まって、結紀達に手で動かないようにと指示を出す。


 遥日は足音を鳴らさないように教員玄関に近付くと、入口にある柱の影に身を隠した。


 そして、教員玄関から校舎の中をのぞき込む。

 ゆっくりと耳に手を当てた遥日は一言呟いて頷いた。


 隣を見れば力も同じように頷いていて、何かを警戒しているようだった。


 力は遥日と反対の柱に身を隠してしまったので、仕方なく遥日の傍に行く。



「結樹さんから、この先に今アリスがいるって連絡」


「アリスが……?」


「どうやら誰かを探してるみたいだね」



 柱の影に隠れて中を覗き込みながら遥日がそう言う。


 アリスがいるということはつまり、見つかる可能性が高いということだろう。


 自然と早くなった心音を聞きながら、結紀は遥日の傍でしゃがみこみ、二人が動くのを待つ。


 誰も何も発さないまま、ただ時間が過ぎるのを待った。



「行ったみたいだね」



 遥日の言葉でやっと力が抜ける。


 アリスに認識されたら終わりというのはこんなにも疲れるものなのだと改めて思う。



「……中に入る前に聞いて。


 アリスが校舎の中を彷徨っているみたいだから、絶対に見つからないように細心の注意を払って」


「異質のアリスだからって油断したら終わりだかんな?」



 遥日と力にそう言われて結紀は頷く。



 教室まで行って写真を貰うだけの簡単な作業だと思っていたが、アリスが現れたことで難易度が跳ね上がってしまった。


 アリス世界では何が起こるか分からない、気を緩めたら終わりだ。



「……さて、行こうか」



 遥日の合図に頷いて玄関から中へと入る。


 周りを歩いている生徒は結紀達に気がついていないようで、何も無かったかのように会話をしている。


 たまにこちらを振り返る生徒も居たが、ただの来客だと思ったのか何も言わずに通り過ぎて行った。


 力が静かに歩いている様子から無闇に音を立てない方がいいのだと察してゆっくり歩く。


 先行して歩いている遥日の後を追いながら、置いていかれないように必死に歩く。


 時折耳に手を当てている姿から、結樹に指示を貰っているのだろう。


 指示を貰っていなかったら結紀がどのクラスなのかなどわかるはずがない。


 結樹ならば、曲がりなりにも結紀の兄だ。知っているはずだ。


 誰も何も話さないまま二年の教室練まで来ると、一番手前にあった教室へと入る。


 そこにはクラス写真を楽しそうに眺めている男子生徒がいた。


 結紀はその存在が何かをすぐに察して、話しかける。


 すると待っていたかのように、ごく自然にクラス写真を渡された。


 そして、男子生徒は役目を終えたかのように教室から出て行った。


 話したいことはたくさんあるが、アリスに気が付かれないようにするのが先決だと思い、クラス写真を二人に見せて外へと出ようとする。


 教室から出ようとした瞬間、遥日に口を塞がれた。


 力と遥日がドアの影にしゃがんだのを見て結紀も座る。


 気がつけば教室の中には結紀達以外誰もいなくなっていた。



「アリスが来てる」



 遥日は小声でそう言うと、力と顔を見合せた。


 結紀から手を離した遥日はジャケットの左胸の内側に手を差し入れる。


 遥日が少しだけ身体を立ち上がらせた。



 あれって、拳銃?



 結紀の位置から丁度鈍色に光る何かが見えて、咄嗟に浮かんだのがそれだった。



「武装許可取ってきたんですか?」


「……どう思う?」


「取ってないと思います」



 力が遥日にそう問いかけるが、直ぐに答えが出たようで苦い顔をして力が顔を背ける。


 武装許可とは何だと問いかけたかったが、廊下から聞こえてくる小さな足音に気がついて、自分で口を塞ぐ。


 今余計な詮索は不要だ。


 遥日は銀に光る銃を構えて息を吐いた。


 妙に手馴れた手つきで銃を触る遥日に、使い慣れているのかと不審に思う。



「いざとなったら撃ち殺す」


「……最終手段ですから」



 力が遥日を嗜めるようにそう言った。


 コツコツと鳴る足音がどんどんと大きくなっていく。


 もしアリスに見つかったらどうなるのか不安が募り心臓の音が大きくなる。


 コツ、と入口の所で足音が止まった。


 そして、誰かいるの? と優しい声がする。


 強く握り締めていたメモ帳がひらりと一ページめくれて、



 返事をしたら最後



 と書かれていた。


 そんなことは言われなくても気付いている。



 全員の呼吸が止まる。



 次の瞬間には教室の外からざわめく生徒の声が聞こえていた。



「誰か、見つかった」



 力が小さく呟いた。



「シミュレーションじゃないんですか」


「シミュレーションだよ。


 結樹さんがプログラミングした高精度の。


 だから、実際のアリス世界でも起こることが起こる」



 つまり、シミュレーション世界でも実際の治療で起こりうることは全て起こるということだろう。


 誰か見つかったということは、誰かがこの世界に迷い込んでアリスに消されたということ。



 つまり、その見つかった人物は……。




「アリスシンドロームの脅威を肌で感じた?」



 遥日がこちらの考えを全て察したようにそう言った。



 罹患しただけでは分からない恐怖。



 この恐怖の中、結紀の両親は助けようと懸命にもがいてくれたのかと感謝の気持ちで溢れる。


 それと同時に自分がなってしまったことの恐ろしさを知った。



「とりあえず、外に出よう。話しの続きはそれから」



 遥日に導かれるがまま結紀達は外へと出る。


 警備員の前を通って校門へと戻ってきて息を吐いた。



「今のは、アリスが誰かを見つけた時になる無の空間むのくうかん


 あの状態になったら、


「無の空間……」



 思い出すと確かに、この世界に迷い込んだもの以外は全て消えていた。



「アリスに消される時、アリスに見つかった時はあの空間が出現するから、僕達はそれで判断している。


 もしも、誰かが見つかったのなら直ぐに隠れるしかない」


「助けないんですか?」



 純粋な気持ちで問いかけると遥日は困ったように笑って言葉を続けた。



「僕達は万能ではない。


 もしもあの状態でアリスに見つかれば、僕達も消されてしまう」


「だからそうなる前にアリスを治療すんだよ」



 それしかないからと言う二人の言葉に、医療は万能では無いという言葉を母がよく言っていたことを思い出す。


 きっとあれは、母が治療者だったから思う言葉だったのだろう。


 今ならばよく分かる。



「あ、武装許可ってなんですか」



 結紀がそう問いかけると力が自慢そうに答える。



「さっきみたいな時に抵抗する手段を、予め持ってきておくこと!


 余程のことがない限りは許可が降りないけど、この人はそもそも許可取んないから」



 チクチク突き刺すようにそう言う力に、申し訳なさそうに顔を逸らす遥日が居た。



「アリスにとって特別な場所には、巡回者のアリスが居ることがあるんだ。


 例えばさっきみたいに」


「危険ゾーンってことですか?」


「危険ゾーン、そうだね。アリスがいる場所には、アリス世界の核になっている本人がいることが多い」



 遥日の言葉から考えるとさっきのアリスは本物のアリスでは無いらしい。


 こんな所でフラフラしているアリスが本物だったら、治療ももっと簡単だろうからそういうことなのだろう。



「じゃあその辺をしらみ潰しに探せば……」


「消される確率が上がるだけだね。


 アリスが居る空間でそんなことをすれば直ぐに認識されてしまう」


「なら、地道にやるしかないんですね」


「そういうことだね」



 リスクを下げるためには地道にやるしかない。


 それは当たり前のことだろう。



「じゃあそろそろ、その写真渡しに行こっか」


「はい」



 メモ帳に挟んでおいた写真を取り出すと、証明しろと書かれていた場所の下に矢印でクラス写真と書かれていた。


 どうやらこのメモには結紀が選んだ行動も書かれるらしい。


 クラス写真を持って、先程の女が居た所へと戻るために歩き始めた。

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