エピローグ

 なんだか昨日今日は特にバタバタしていた気がする。

 僕はマンションのエレベータに乗って、文字盤が9、10、11……と変わっていく様を一人で見上げていた。どうしてエレベータに乗る時って階数表示とか文字盤を見上げてしまうんだろう。昔心理学的な説明を聞いた気がするが、もう忘れてしまった。

 父さんとのキャッチボールの前に時間があったので郷田さんたちのところへ様子を見に行ったところ、〈アルフェラッツ〉の修理は二日後には終わるらしい。外部での損傷は右腕部だけだが、電子装備に異常が見つかったらしく、一度頭部とコックピット周りを開くとのことだ。欠損した右腕は、最悪の場合、実質的に大破した〈ペルセウス〉の無事な右腕を付けてしまうとのことで、肩関節の規格を合わせるためのアダプターを検討していると、郷田さんは言っていた。また整備班に苦労をかけることになるのは心苦しいが、こればかりは頑張ってもらうしかない。

 エレベータが一八階に到着し、通路を歩く。

 昨日の夕方や今日の朝に比べれば、足取りは大分軽い。ある程度問題が解決すると、それだけで身が軽くなった気がした。

 一番奥の部屋の前で、僕は玄関ドアの鍵を開ける。

 ドアを開けると、室内は当たり前のように暗い。リビングのドアには外の夜景のせいか、白く光っていた。昔、「ただいまを言う相手もいない」というCMがあったと聞いたことがあるが、なんだかそれを思い出して、寂寥感に襲われた。

「ただいま…」

 返す声などないとわかりつつも、僕は言った。もっとも、フィオナが居ようが居まいが、「お帰り」なんて言葉は返ってこないのだが。

 フィオナはちゃんと夕飯食べてるかな、なんて思った。ご飯は食堂行かなくちゃ、駄目だろうな。士官用の部屋って事は、バスルームとトイレ、小さいながらもキッチンも付いている。でも、前二つはともかく、キッチンだけは使われないまま日々を過ごすのだろう。あれ?そういえばフィオナはシャワー室が混むって言ってたけど、なんでわざわざ外のシャワー使うんだろう?

 なんて思いながら、僕は真っ暗なリビングへと続くドアを開けた。

 その瞬間、ぎゃぁぁぁっ!!という絶叫と、肩から胸にかけてチェーンソーの食い込んだ女性の姿が目に飛び込んできた。

 僕は一瞬怯んだが、すぐにそれがテレビ画面から映し出されたものだと気づいた。

「おかえり」

 そして、テレビからでなく、ちょっとアルト気味な少女の声が聞こえた。

「はえ?」

 僕は馬鹿みたいに間抜けな声を上げ、視線をやや右側に移す。

 ソファーの上で、黒く艶やかな、腰くらいまで伸びる髪を持つ、Tシャツにジーパン姿の少女が、クッションを抱えた体育座りの状態で、切れ長の目をテレビに向けていた。

 テレビは大量のゾンビが数人の男女に襲いかかる場面だった。テレビの下にあるプレイヤーが光っており、DVDが再生中であることがわかる。

「あの、さ」

「なんだ」

 僕に視線など向けず、画面を凝視したまま、少女は面倒臭そうに答えた。

「フィオナ、だよね?」

 すると、呆れた顔を作った少女は僕を睨むように、

「お前にはわたしが母親にでも見えるのかこのマザコンが」

 あー、うん。僕の幻覚とか、そういうのじゃない。この罵声は間違いなくフィオナだ。

 しかし、僕はいまいちこの状況に着いていけない。

「どうして、ここに?兵舎、しかも士官用の、貰ったんでしょ?」

 僕が恐る恐る尋ねると、フィオナは言外にうるさい黙れという目を見せたかと思ったら、

「あそこにはプレイヤーがない」

「……へ?」

 彼女の返答に、またも間抜けな声を上げてしまった。それから、フィオナは一時停止を押して、僕に顔を向けた。どうでもいいけど、血飛沫が上がってるシーンで停止するのは止めてほしい。せめてあと数秒進めてほしかったが、今はつっこむのを止めておく。

「最近はろくな映画がない。だからここからDVDを持っていってあっちで見ようと思ったら、DVDプレイヤーは前世紀に生産中止されたから手に入らないと言われた。だから引き払ってきた」

 なるほど。確かに、今は規制が厳しくて映画も表現が厳しくなっている。制作者の未熟さも相まって、昔の映画を見た後では、きっと物足りないだろう。

 それにしても、君は僕のコレクション強奪予定だったのか。

「というわけで、また暫く厄介になる」

 それだけ言うと、フィオナは再生ボタンを押して映画鑑賞に戻った。部屋が暗いのは、雰囲気作りだろうか。とりあえず電気を付けてみるが、特にフィオナは文句を言わなかったので、僕はそのままキッチンへと移った。

 一昨日の夜とほとんど変わらない光景が、目の前に広がっている。たったそれだけのことなのに、なんだか郷愁の念というか、すごく懐かしい気がして、なんだか涙が出てきそうだ。でも、泣いたりしているとフィオナに何を言われるかわからない。涙はNGだ。

 なんだか、あっさりと僕の望んだ形になった気がする。それが嬉しくもあるし、恐くもある。

 悩みがなくなったわけじゃない。だけど、今、僕は幸せなんじゃないかって思う。そう思えるのは、これまで厄介だと思っていた少女が、戻ってきたからだ。

 やっぱり、そうなのだろう。

 僕はフィオナのことが――――。



 僕の問題はまだまだ解決してない。世界の問題もだ。

 これからも戦争は続き、多くの人が傷つき、涙し、地に臥すことだろう。

 それでも、僕はフィオナと歩いていく。

 たとえ、この先何が待ち受けていようとも、

 少女との出会いから始まった、僕の物語を、

 彼女が僕に与えてくれた、〈アルフェラッツ〉という名の巨大な魔法の剣と共に。

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君が手にする魔法の剣 神在月ユウ @Atlas36

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