第26話

 龍斗とフィオナが執務室から出ると、相模は椅子に座る司令官へとわざとらしく溜息を漏らし、やれやれと呟いた。

「まさか、本当に丸く収まった、などと思ってはいないでしょうな」

 こちらもわざとらしく笑顔を作っている高遠は、素知らぬ顔で聞き流している。

「いいですか、司令。わたしはフィオナ・フェルグランドの協力に関してはその価値ありとは思いましたが、何の処分も無しに両名を据え置くというのは、やはり感心しません。というより、危険ですな」

「彼女が、かい?」

「いえ、『上』がです」

 呆れ顔を作りつつ、相模は続ける。

「MUFの人間でなく敵側の、しかも魔導師の証言を採用し、発砲していないだなんだと適当に理由をつけたりと、やり方が少々荒いようです。昨日の相模少尉の証言のレコードについても、『調子が悪い』と言っておいて、録音装置には一切の不備はなかった。これではまるで、調と言いたげでした」

 そうやって問い詰める副司令に、椅子に座って笑顔を崩さない司令官は

「副司令、推測でものを言うのは控えた方がいい」

 明後日の方向を向いて言った。

「それに、上層部ブリュッセルの世間知らずなバカ共に色々言われたら、僕の舌先三寸でどうにかするよ」

 再び、相模の口から溜息が洩れた。

「あまり不穏当な発言は控えた方が宜しいかと。それと、舌先三寸はこの場合不適切だと思います」

 いちいち突っ込むね、と高遠は笑う。相模からすれば、なぜこうして笑っていられるのかが理解できない。それこそ、責任問題で職を失うどころか、人生さえ棒に振りかねない行為をしているというのに。優秀な人物だと思うし、先日の敵襲に関しては、見事な先読みと決断力を見せていた。

 しかし、普段はニコニコ笑う、顔立ちが若すぎる無計画な男にしか見えない。

「僕はただ、天秤にかけただけだよ」

 高遠は自分の腹心が抱いている感情を読んでいるかのように、言った。

「僕の首が飛ぶのと、ハルクキャスターに有効な武器を造り出す可能性を。結果は後者に傾いた」

 高遠はぐっと背もたれに体を預けた。

「そして考えた。どうすればそのパイロットを有効に使えるか、とね」

 その目は、相模も見たことのないものだった。

 氷のように、冷たく鋭い、人の温もりという単語が最も似合わない目だった。

 合理的な判断を下しつつ、部下にはそれを勘付かせない。

 相模はなぜか、高遠に恐怖に近い感情を抱いてしまった。



 僕が安物のアナログ時計で現在時刻を確認すると、五時三二分になったところだった。

 空はまだまだ明るく、見上げれば大型輸送機が着陸ランディングに入っていた。

 視線を九〇度ずらすと、米軍基地時代の居住区をほとんど均して作り上げた研究開発区が荘厳と呼べるほどに並んでいる。ここの凄いところは、ほとんどの最新兵器を基地内で独自開発・生産しているところにある。

 ハルクレイダーを造るに至っては、ロールスロイスやホイットニーなど六社に外注したのは材料やらプラズマジェットエンジン本体くらいで、ほとんどがこの基地内で生産された物だという。飛行ユニットであるシュネルレイダー開発の際は、数値流体力学C F Dと合わせて巨大風洞での実験ができたことが、開発チームとしては納得できる結果へと繋がったとか。

 そんな八階建てから巨大な体育館みたいな研究棟群が目に入り、振り返れば彼方に事務棟や司令部棟が見え、その手前にある第六兵舎へと視線が向く。

 僕は今第三兵舎の前にいる。元居住区に造られたもので、一列に、まるで団地のように並んでいる三階建てのアパートみたいな印象だ。中は大雑把に区切られ、二段ベッドがずらりと並んでいる。第一から第五兵舎までは兵卒のための建物であり、第六・七兵舎は女性用兵舎となっている。もう少し先に行けば、もっと造りのいい住居があるのだが、そっちは士官用である。しかし、僕もそうだが、緊急警戒時や当直などの理由で基地内に待機していなければならない時以外は外に自宅を持つ人も多い。僕の住んでいるマンションにも結構いるし。

 僕はしばらく第六兵舎を眺め、ある少女のことを思う。って、これじゃまるで恋する乙女みたいじゃないか。もしくは重度のストーカーか。

 そんな自己嫌悪に陥っていると、誰かが近づいてきた。

 四角いフレームの眼鏡をかけた、いかにも堅物そうな顔をした長身の中年男性だった。

「すまんな、待たせたか」

 その男性――相模副司令が、手に何かを持って僕との距離を詰めた。

「いえ。お気になさらず」

 もうこういうやり取りには慣れていた。『父と子』ではなく『上官と部下』という接し方に。僕はテンプレート通りに敬礼するが、なぜか答礼には堅苦しさがない。

「用というのはこれだ」

 副司令は手に持っているものを僕に渡した。

「グローブ……ですか?」

 それは、手袋とかじゃなくて、茶色い、野球に使うグローブだった。やけに新しく、皮が堅い。多分新品だ。

 それに対し、副司令の元にもグローブが握られているが、それは妙に古くさく、だからといって使い込まれたわけでもない。

 僕が戸惑っていると、

「いくぞ、

 いつの間にか一〇メートルちょっとくらいの距離を取っていた副司令が、グローブを填めてボールを投げるモーションに入っていた。

 僕は咄嗟にグローブをつける。ちょっと堅くて使いにくいが、それを思って早々に、軟球が放物線を描いて飛んできた。咄嗟にキャッチし、グローブの中に収まったボールを見ながら首を傾げた。

「あの、副司令――」

「勤務時間は終わっているぞ、龍斗」

 少しずつ距離を取りながら、副司令はやや乾いた声で、僕の名前を呼んだ。

 八年ぶりに、「龍斗」と、父さんの口から聞いた。

 感動とか、そういう類の感情は湧かない。どちらかというと、困惑、だろうか。

「そうです――っか!」

 僕は振りかぶって軟球を投げる。放物線ではなく、ほとんどストレートで。

 胸の前でそのボールをキャッチした副司令――父さんは、何か驚いた様子だった。

「こんな球、投げられるようになったんだな」

 何か一人で感慨深く呟いていた。

「いつまでも子供だと思わないでよ。もう一八なんだから」

 うんうん唸っている父親に、僕はありきたりな台詞を吐く。

「だが、まだ一八だ」

 と、いきなり剛速球が飛んできた。父さんの投げた球だとは思えなかったのだが、しかし間違いなくそれは父さんの投げたものだった。

 多分一二〇キロ以上は越えてたと思う。流石に一四〇とかまでは行ってないとは思うけど。

 僕はかなりビビッた。手がヒリヒリする。いくら距離が近いと言っても、とても素人の、しかも五〇歳近い中年のレベルではない。

「一体、どういうつもり?いきなり、キャッチボールなんて」

 なんかそんな僕の心中を語るのが嫌だったので、話題を変えた。そもそも、僕が疑問に思っていたことだ。

「ちょっと、懐かしくなってな」

 ボールをキャッチした瞬間に、父さんは返球する。かなり上手い。

「そりゃ、母さんが死んでからは叔父さんのところにずっといたからね」

 さっきより緩くなったボールをキャッチし、父さんと同じようにすぐに返球する。

「それ以降、父さんとは会ってないし」

 それがいけなかったのか喋りながらのスローが駄目だったのか、ボールは父さんの頭上を越え――

「九年近く前になるな」

 るかと思われたボールは、飛び上がった父さんの手に吸い込まれるようにキャッチされ、

「もう二月ふたつきでお前も一九か」

 僕のまだいくらか硬いグローブの中に、ボールが飛び込んできた。

 僕は父さんにやや呆れを大袈裟に見せながら、

「僕の誕生日は一一月だけど」

 そう告げると、父さんはなんだか急にバツが悪そうに、あからさまな表情の変化は見せずに黙った。

「もう五〇になるんだし、ボケた?」

 ボールを投げながら、追い打ちのように言い放つ。しかし、

「まだ四八だ」

 なんか言い返された。

 あんまり長くこういう話題を続けるのはお互いに得策ではないようだ。長い間別々に暮らしていたせいで、感覚的な部分はともかく細かい知識的な部分に欠落がある。

「ずっと一緒に暮らしてたのか」

 それは父さんも同意見らしく、話題が急転換された。

 文法的に抜け落ちてる部分があるが、それを補いながら、返されたボールをキャッチしながら、

「フィオナのこと?」

 ちょっとサイドスロー気味に投げた。すでに父さんとの距離は二〇メートルになっていたが、さっき輸送機が降りて以降は航空機の発着もなく、互いの声はよく聞こえた。

「若い男女が同じ部屋で暮らすなど、感心せんな」

 なんだかかなり真面目な顔で言われてしまった。

「好きなのか」

 僕は危うく父さんが投げたボールに顔面を強打するところだった。それくらい、今の発言に驚いてしまったのだ。

 っていうかなんだ、この修学旅行の夜みたいな会話は。青春ってやつなのか?

「まるで、父親みたいなこと聞くね」

 急に思ったことを、ボールと共に放った。上辺だけで済ませようとしていた心が動く。

 驚いたように、たじろぐように、父さんは危うくボールを取り落としそうになり、腕を伸ばした。

「……父親だから、な」

 苦しげに、その気持ちを載せて、ボールが投げられた。

 それをキャッチし、小学校に通っていた頃のことを順次思い出しながら、僕はボールを投げ返した。

「授業参観、来てほしかったよ」

「…………」

「運動会、僕が走るの見ててほしかった」

「…………、」

 一球投げる毎に、僕は思いの一つ一つを告げた。ここで言わなければ、一生言う機会がなくなってしまうと思ったから。

「卒業式も、来てくれなかった」

「…………っ」

 一球受ける度に、父さんの表情が少しずつ曇っていくのがわかる。それに、

「自分の家族のことを書けって言われた時、書けなかったよ」

「…………っ」

 苦しいのは、父さんだけじゃなくて、僕も同じだった。僕はあの時の感情をぶつけようと、父さんを困らせようと思っていたのに、僕の言葉が僕自身を傷つけていく。

 それでも、口は止まらない。

「誕生日、祝ってほしかった…」

「…………っ!」

 父さんはグローブから取り出したボールを持ち、ボールが弾けるんじゃないかってくらい、強く握り締めた。まるで意を決したように見えた。

「言いたいことなら、わたしにもある」

「え…?」

 震える声で、父さんは言う。

「MUFに、軍になど入ってほしくなかった。普通に会社に勤めて、家庭を持って、人並みの幸せを築いてほしかった」

 父さんの投げるボールは、勢いが衰えていた。まるで、心境をそのまま表すかのように、山なりのボールが、湿気た音を立てて、僕のグローブに収まった。

「わたしのように、子供に寂しい思いをさせない、そんな男になってほしかった」

 その言葉に、今度は僕がボールを握り潰してしまいそうなほど、力が籠もった。

「わかってて、なんで僕のこと捨てたんだよ!」

 思い切り、力の限りボールを投げた。バシィン!という音が、父さんのグローブから発せられた。

「捨ててなどいない!そう思ったこともだ!」

 同じように強いボールが返され、掌が痺れるほどの衝撃と快音が、咆吼と共に届いた。

「叔父さんと叔母さんに押しつけただろ!」

「お前のためだと思ったからだ!」

 力の限りのボールを投げ合いながら、言葉による戦闘が行われた。

「なんでだよ!」

「あまり家にいられない!そうなれば寂しい思いをさせてしまうだろう!」

 言葉のキャッチボール。それを体現していた。ただし、言葉の、というより、感情のキャッチボールとなっていた。

「母さんが死んで、僕には父さんしかいなかったのに!」

「だから自棄になって軍に入ったのか!」

「違う!寂しい思いをする人たちを守りたかったからだ!」

「なら、今のお前はどうだ!お前の心は耐えられるのか!」

 僕の動きが、一瞬鈍くなった。

「……なにを!」

「これから、お前はたくさん殺すことになるんだぞ!」

「……くっ」

 僕の動きが、更に緩慢になる。

 コックピットから運び出された、上下に分かれた死体が脳裏を過ぎる。

「もしそれが割り切れないようならば、お前は壊れてしまう」

 さっきまでの速球によるやり取りは、すでに沈静化していた。

「お前が壊れるのも、ましてや死ぬ所など、わたしは見たくない」

 まるで結婚式で娘を送り出す父親のように、何かを堪え、忍んでいる声だった。それをわかってしまうからこそ、僕は心中のもやもやしたものをどう処理すればいいのかわからなくなる。

「確かに、恐かったよ。僕が撃墜した機体のパイロットを見た時、すごく恐かった。気持ち悪かった。でも――」

 僕は少しだけ震える手を奮い、

「僕が殺したのに、気持ち悪いなんて思った自分自身が許せない」

 ボールを投げたが、父さんの手前でワンバウンドした。

「わかってるつもりだった。あれを堕とせば、中に乗っている人は死ぬんだって、わかってたはずだった」

 父さんは無言でボールを放り、しかし僕はグローブの端で弾いてしまった。

「意識しないようにしてたんだよ。人を殺してる実感から、逃れようとしてたんだ」

 転がったボールに追いつき、そこから山なりにボールを放る。しかし、またワンバウンドしてしまった。

「いいじゃないか、別に」

 僕が元の場所に戻る途中で、乾いた声が言った。

「人間、そんな万能の存在じゃない。お前はそれに悩んだ。それだけで、他の兵士よりは人間味がある」

 ゆっくりとした山なりのボールが投げられた。それをスポッ、とグローブに収め、僕は聞き返す。どういうこと、と。

「軍人のジレンマみたいなものだ。初めは殺すことに抵抗を覚える。手が震え、恐怖さえ覚える。しかし、次第に慣れる。人を殺すことに、非日常を感じなくなるんだ」

 聞いたことはある。しかし、その『慣れる』という現象が恐いのだ。

「中には快楽すら感じる奴もいるが、大部分は違う。そいつらは、どうして戦えると思う?」

 その問に、僕はふと昨日の、郷田さんとの会話を思い出す。

 武器を持つ者の責任と、それを使って守りたいもの。

「守りたいって、思うから…?」

「そうだ」

 未だに僕のボールはワンバウンドしているが、父さんはだからといって距離を縮めるつもりはないらしい。まるで、僕に這い上がれと言わんばかりに、僕の答を待っているようだった。

「他の者が聞いたら理想論だとか笑われるかもしれんがな。他人にどう思われようが、そういった思いを抱いていることを誇りに思えば、まだ『人間』として戦っていける」

「人間として……?」

 投げられたボールを受けて、聞き返す。

「そうだ。命令を聞くのは軍隊の鉄則だが、それに疑問すら感じず、『俺は悪くない』と命令のせいにするようでは、もう人の道を捨てているのと同じだ。その命令の意味を汲み、自分の信念に従って行動しろ。それができなければ、いっそ自動機械に任せた方がいい」

 父さんの言葉の意味を考える。規範的な軍人だと思っていた父さんからそんな言葉が出るとは思わなかったが、言っていることは理解できる。

 考えるのが人間であり、躊躇い、悩むのも人間だ。盲目的に世界を生きようとすれば、苦しみは少ないのかもしれない。でも、僕は人間だ。考えることを放棄したら、僕はただ死体を作るだけの消耗パーツに成り下がる。

「父さん」

 僕はちょっと格好をつけてワインドアップから構え、ボールを投げた。

「なんだ」

 父さんからの、迅速な返球。本当に上手いな、この人。

「なんか、あんまり上手く言えないけどさ」

 ボールをキャッチし、親指と中指を使ってボールを回転させながら弄ぶ。

 別に、これでもう戦うことが恐くない、とは思えない。少しだけ気が楽になった、程度の変化だ。

 でも、言葉にすると、わかっていた、わかっているつもりだったものに、形が生まれたような気がした。守りたいものはたくさんある。この基地にも、この街にも。たくさん、挙げればキリがないほどに。

「また今度、できない、かな。キャッチボール」

 今度こそ、という気概で放ったボールは、まっすぐに、バシィン、という心地よい音と共に、父さんの古いグローブへ吸い込まれた。

 父さんは、また黙った。お願いだから、こういう場面で黙るの止めてほしい。僕としてはかなり恥ずかしかったんだから。

 しばらくして、父さんの口がゆっくりと、戸惑いながらも開いた。

「今度、また時間を作る」

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