第25話

 司令部に赴いたところ、司令官専属秘書官である、メラニー・マイヤー少尉に案内されて、高遠司令の執務室に通された。彼女は基地内では珍しいオーストリア人であり、いわゆる『大人の女性』的な雰囲気で、確か三十路手前だがいい相手がいないことを嘆いている(芦原談)らしい。ややウェーブのかかったボブカットの髪は元々茶髪だった(芦原談)らしく、今はブロンドに染めている。

 プライベートではかなり積極的に喋る(芦原談)らしいが、今は完全に仕事モードで、表情は固くないものの、あくまで取り繕った偽物の、薄っぺらい微笑に感じられた。

 入室すると、昨日と全く同じ光景が広がっていた。ガラステーブルと大きな執務机によって距離を隔てたところに高遠司令が座り、その隣に父さん――相模副司令が立ち、片や頬杖に微笑、片や無表情に睥睨という、ここ最近よく見る印象通りの構図であった。

 唯一違うのが、部屋に入ってすぐ、僕の隣にフィオナが立っていたことだった。彼女は一瞬僕に目をやって微かに笑ったかと思ったら、すぐに視線を正面の司令達に戻した。

 僕は自然と崩れてしまいそうな顔を必死に堪えながら、しかしこの場の雰囲気に呑まれて声をかけることができなかった。そうして意識がやや落ち着いたら、彼女に違和感を覚えた。腰辺りまで伸びる、長くて綺麗な黒髪と、切れ長の目や肌理細かい肌も整った各パーツは相変わらずだが、昨日までのTシャツとジーパンという格好ではなく、僕と同じ青と白の制服だった。

 で、制服には階級章が付いていて、フィオナの服の袖章を見ると、『准尉』であることがわかった。

「さて、休みだと言った矢先、いきなり呼び出してすまないね、相模少尉」

 僕の意識はフィオナから高遠司令へと戻される。司令はあくまで微笑を崩してはおらず、どう上乗せしてもせいぜい大学生くらいにしか見えない顔で僕に告げる。

「少尉、君の処遇が決定した」

 ごくりと、僕の喉が鳴った。

「現状維持。というか、君は処罰の対象となる行為を行っていない」

 ………え?どういうこと?

 僕は司令の言っている意味がわからず、何を言って思えばいいのかわからなくなった。

「君は帰宅途中に海岸で倒れている少女を保護した。しかし、少女は身元がわからず、対応に困ったまま数日を過ごした。ところがある日、戦闘で巻き込まれそうになった彼女を保護するためにハルクレイダーのコックピットに入れたところ、彼女がイグドラシル連合の魔導師であることが発覚。彼女の力を得た君の搭乗機はこちらが想定したスペック以上の能力を見せ、見事敵の襲撃を切り抜け、ハルクキャスター四機を撃破するという偉業を成し遂げた。以上に相違ないかい?」

 相違ないかい?と言われても、僕は困る。最後の方は合ってるけど、それ以前が違う。僕は浜辺で倒れていた少女と相対して銃を抜き、イグドラシルの軍人であることをわかっていながら匿い、彼女は自らの意志で機体に乗り込み、共に戦闘したのだ。

「あの、司令…」

「相違ないだろう?」

 やや語気が強まった。暗に「認めろ」という命令ニュアンスが込められている。

 僕の煮え切らない表情を察してか、司令はデスク上にディスプレイを投影すると、その内容を見ながら僕に語った。

「君は記憶の混乱があるようだね。まず、君は昨日の取調べで彼女に対して銃を抜いたというが、その証拠がない。弾丸は一発も使用されておらず、補充もされていない。彼女の証言と食い違っている」

 え?と僕が隣の少女を見るが、フィオナは無表情のまま僕を見ようとしない。

「しかも、君がフィオナ・フェルグランドをイグドラシルの軍人であると認識する経緯が不明だ」

 その言葉に、僕はなんとなく納得しそうになり、しかし頭を振った。

「それは、彼女が魔法の原理なんかを説明してくれたりしたから…」

「こちらの調査では、魔法とは素質と知識さえあれば使用が可能なものだ。その知識に限定するなら、こちらで言う高等教育を受けた程度の学力で説明できるものだそうだ。それで軍人かどうかを識別するには些か無理がある」

 高遠司令の迅速な回答に、僕の反論が一蹴された。

「しかし、彼女は〈アルフェラッツ〉を……いえ、〈ベラトリクス〉に搭乗していたと言っていました」

 司令が穏便に話を済まそうとしてくれているのはわかる。だが、反論せずにはいられなかった。僕のみに対する不安もあったが、僕が助かることで、フィオナが余計に危険な立場になるのではないかと思ったからだ。

「その証言の証拠がない。あの機体が彼女の乗機であるという証拠がね」

 高遠司令は退く様子がない。僕はその答えに反論した。

「その証拠に、彼女は〈アルフェラッツ〉搭乗時に機体の操縦を行っていました。構造が理解できていなければできないはずです」

 〈アルフェラッツ〉のコックピットはいくらかこちらで改修してはいるが、基本的には回収した状態のままであると、以前読んだ分厚い資料に書いてあった。ここまで示せば反論はできまい、と思っていたが、高遠司令の口は止まらない。

「しかし、彼女が搭乗時に操縦行為を行っていないことはミッションレコーダにも残っている。というか、これ以上君と押し問答はしたくないんだけど?」

 司令は溜息を洩らして告げた。これは、もう喋るなとか、そういう意味だろうか。色々と言いたいこともあるが、それよりも早く司令が次の言葉を紡いだ。

「反論は後で纏めて聞くよ。それより、フィオナ・フェルグランド。君に対する処遇だが」

 視線を僕の隣に移し、司令は続ける。

「君の要望通り、MUF横須賀基地司令官として、君の投降を受け入れる。また、地球側への技術協力とハルクレイダー〈アルフェラッツ〉の専属コパイロットとなることを条件として、我が軍に歓迎する。ただし、原隊復帰はいかなる場合があっても許可しない。以上だ」

 言い終えると、フィオナはただ一言、

「感謝する」

 その一言だけを告げた。

 だが、僕にはよく状況が飲み込めない。これは一体どういうことだ?

 その様子に気づいた司令はハハハ、と笑う。

「これから二人で頑張って、ってことだよ」

 その詳細を語るために、副司令が咳払いしてから言う。

「相模少尉の処分は不問。フィオナ・フェルグランドは特例事項に該当する司令官権限において、協力者として准尉待遇で我が軍に迎え入れる」

 その中年男性特有の低く、やや乾いた声が示す意味を、僕は考える。

 僕は、別に処罰とか、それ以前に何の問題もなかったことになる…?

 フィオナは、僕たちの仲間になる…?

 ………………………………………………………………………………………………。

 万事丸く収まった?いや、司令が収めてくれた?

「いやー、問題解決だね。よかったよかった」

 高遠司令の陽気な声に、僕はやっと事態を飲み込み、心の奥からじわじわと、歓喜の色が滲み出てくる。

「じゃ、二人とも解散!今日は帰っていいよ」

 無駄に明るい声で司令が言い、フィオナは敬礼を、僕は敬礼と「失礼します」という、内から弾けそうな溌剌とした挨拶で、扉を向き、

「相模少尉」

 低い、やや掠れた声に呼び止められた。言うまでもなく、副司令の声であった。

「本日一七四〇、第三兵舎前に来るように」

 その命令に、僕は首を傾げた。今から二時間ほど先の事になる。時刻的にも空き時間的にも、実に中途半端な時間だった。

「なぜでしょう?」

「知る必要はない。これは命令だ」

 僕の疑問は上官の名の下に一蹴された。


 とりあえず執務室を出て、マイヤー少尉に挨拶をして、廊下に出た。

 ほっと息を吐く。

 一時はどうなることかと思ったが、どうやら大事には至らず、僕もフィオナも事なきを得た、という感じだ。もしこの基地の司令が高遠准将じゃなければ、きっと悪い結果になっていただろう。司令の人柄に感謝感謝。今度菓子折でも持っていきたいくらいだ。

「よかったね、フィオナ」

 僕は隣に立つフィオナに顔を向けると、彼女は普段見せていたような余裕をのある、なんだか上から目線な微笑を向けた。

「まぁな。これからよろしく頼む。少尉殿」

 語尾が笑っていた。少尉殿、なんて他人行儀だとは思ったが、彼女特有のおふざけなので気にしない。こんなやり取りすら懐かしく感じるほど、彼女との、こういう触れ合いを望んでいたのかもしれない。

「あーあ、そういえば、あと一〇〇分後には呼び出しなんだよな」

 通路を歩きながら、僕はそれを愚痴った。フィオナも僕の隣を歩き、「それが軍人というものだろう」と窓外の、未だに蒼を残す空を眺めていた。

「僕を待ってるのもなんだから、帰ってていいよ」

 僕は歓喜を孕みながら、思いやり精神でフィオナに告げる。

「当たり前だ。お前を待っている理由などない」

 なんだかすっごく僕の思いやり精神を踏み躙った返答だった。彼女らしいといえばらしいのだが、ここはやっぱり無愛想でも「いや、待っている」とか言って欲しいと思った僕は高望みし過ぎですかね神様!?

「それに、早めに行かないとシャワー室が混むらしいからな」

「……え?」

 彼女の何気ない一言が、僕の中で引っかかった。何か、とても違和感のある、矛盾すら感じる台詞だったのは、僕の思い過ごしだろうか。

「フィオナ……?」

 僕は恐る恐る彼女に、事の真意を質そうとする。フィオナの顔を見るのが、なぜか恐かった。次に彼女が発するかも知れない言葉が恐かった。

 でも、聞かずにはいられなかった。

「第六兵舎の一番奥、特別に士官用の個室を貰えるそうだ」

 さっきまで僕の中に沸いていた歓喜が、みるみる下がっていった。

 しかし、心の中で、僕の声が僕に語りかける。

 当たり前だろ、と。そもそも、赤の他人の若い男女が同じ家で生活することがおかしいのだ、と。

「そっ、…か……」

 落胆が声に乗ったと思う。

 そもそも、僕とフィオナの関係はなんだ?夫婦でもなければ恋人でもない。それどころか、好意すら怪しい。だいたい、僕とフィオナが一緒に住まなければならなかったのはなぜだ?

 彼女の存在を、僕以外に知られてはいけなかったからだ。

 そう、たったそれだけ。その唯一の理由がなくなった今、なぜわざわざ一緒に住む必要がある?

 この措置は、至って普通であり、疑問を挟む余地などないものなのだ。

 だから僕は、

「元気で、ね」

 笑顔を作って、彼女に告げた。

「ああ、世話になったな」

 フィオナは表情を変えることなく、いつも通り、静かに告げるだけ。

「後でわたしの荷物を送ってくれ」

 次に彼女から発せられた言葉に、僕はトドメを刺された。

 僕はうん、と短く返事だけして、歩調が遅くなる。

 それを無視し、フィオナは先へ先へと歩いていった。

 まるで、それが永遠の離別のようであると思ってしまうほど、僕の中で大きな穴が空いた気がした。

 そして、ふと思ったのだ。

 僕はやはり、フィオナのことが――――。

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