第24話

 MUF横須賀基地司令官である高遠慎哉准将は、自らが行った事情聴取の結果を鑑みて、かなり満足げな顔をしていた。

 あのフィオナ・フェルグランドという少女の証言はなかなか興味深く、有用なものであり、彼女が乗っていたという〈アルフェラッツ〉……もとい、〈ベラトリクス〉がどれだけ可能性を持った機体なのかも理解できた。魔法という概念も、彼女のお陰で、多くの疑問が残ったままではあるが、大筋は理解できた。副司令である相模は納得していなかったが、高遠には興味深い話であったし、なかなか面白い話を聞けたと思う。

「さて、と」

 高遠はこれからの算段を始めた。

 まずはフィオナ・フェルグランドの処遇であるが、本来なら捕虜として拘束し、手続きを経て本部であるベルギーへ移送される。非公式ながら、人体実験が行われるというのが通説だ。戦争では負けている国の倫理が崩れていくが、まさにそれだろう。 MUFはNATOの流れを汲んだ組織であり、通常言われる国連安全保障理事会による多国籍軍とは異なる。すでに一個の組織として基盤が醸成されており、独自の研究機関と生産ラインを各基地に有する、世界の最高峰の装備が集まる場所だ。

 そんな、優秀なスタッフと装備を持つ巨大な組織も、捕虜に対する扱いは酷くなっている。悪化する戦局に形振なりふり構っていられなくなったのだろう。今はまだオーストラリアを奪われてはいるが積極的にイグドラシルからの侵攻はない。周辺への小規模な作戦行動だけだ。しかし、それが火の点いた導火線のように、上層部は思っているらしい。

 そんなところに彼女を連行すれば、どうなるかくらいわかるし、それは本意ではない。

 ならば、彼女の有用性を示せばいい。身元を偽れば問題ないようにも思えるが、秘密はどこから漏れるかわからないし、万全の策を講じるのに越したことはあるまい。

 ここで大事なのは、彼女の信頼性である。彼女が協力的かどうか、ではなく、彼女を取り巻く環境が、である。いきなり敵兵を仲間に引き入れたりすれば、内部での反発やら不信感に繋がる。

「まぁ、古今東西、よくある話だけどね。敵兵が協力者、なんてのは」

 呟きながら、感情ではなく、事実としての彼女の重要性も考える。

 第一に、現状で〈アルフェラッツ〉の性能を一〇〇パーセント引き出すには彼女の搭乗が必要になること。それに、専属パイロットの精神衛生にも……、と考えて、この項は抹消する。第二に、敵機動兵器ハルクキャスターに有効な兵器の製造に、彼女の意見が充分参考になり得ること。主にこの二点に集約される。

 普通ならここまで親身に考えることもないだろう。

 しかし、高遠は考えた。

 彼女の『目的』とこの『戦争』について聞いた上で、判断した結果だった。

 副司令である相模も、当初は反対していたが、結果的にそれを承認した。なぜなら、これは決して『大岡裁判』的展開ではなく、フィオナ・フェルグランドとの交渉の末に辿り着いた、互いの『有用性』を見た上での判断だったからだ。

 根拠のない『信頼関係』よりも、互いを『利用し合う』方が、両者にとって安心できる関係であるからだった。

 高遠慎哉は決して感情に流されない、合理的判断を下す男である。

 そのことを、副司令官である相模は改めて認識することとなった。


 朝、僕は目を覚ました。何か違和感があったが、僕は顔を洗い、朝食の支度に取りかかった。

 昨日は何も準備していなかったので、今からお米を磨いで炊飯器のスイッチを入れる。その間に沸かしておいたお湯をポッドに移して、次に味噌汁の準備。以前素麺を食べた時に刻みすぎたネギがあったので、千切った豆腐と共に今日の具に決定。魚は何も買ってないので、ベーコンエッグにでもしておく。長いベーコンをカリカリになるまで焼く。

 時刻を確認すれば、午前五時五〇分。かなり疲れて寝たはずなのに、習慣というのは恐いものだ。起床時間はいつもとあまり変わらない。むしろ気持ち早いくらいだ。

 テレビの電源を入れ、ニュースを見る。昨日のハルクキャスターによる攻撃が報じられた。街に大きな被害はなく、市民生活に支障はないとのことだ。

 僕はしばらくして炊けたご飯を二つのお茶碗に盛り、味噌汁、ベーコンエッグをテーブルへ持っていく。

 独りでいることが珍しい。いつもはすでにフィオナは起きていて、ソファーに埋もれながらテレビを見ている。それが、今日はない。

 僕は寝室のドアを開け、

「フィオナ、朝ご飯できたよ」

 誰もないベッドへ声をかけた。

「フィオナ…?」

 首を傾げつつ、僕はフィオナを探して洗面所やトイレに向かったが、その姿を見つけることはできなかった。

 当たり前なのに。

 何をやっているんだろう?僕は何を考えているんだ?

「フィオナ……、早く来なよ……」

 とうとう、僕は俯いた。唇を噛んでしまい、ちょっと痛い。

「朝ご飯、冷めちゃうよ…………?」

 膝をつき、両手で顔を覆った。頭蓋骨に指が食い込むんじゃないかってくらい強く。視覚から全ての光を奪うように。

 なんでだろう。彼女が来てから、僕の生活はめちゃくちゃになったはずなのに。僕の日常が崩れ、厄介なことになったなって、思っていたはずなのに。笑顔を向けてくれた回数より、嘲笑された方が多いのに。映画を見てたって、目を覆うような場面で笑いを堪えるような子なのに。食事には文句ばかり言うし、映画鑑賞で徹夜して寝不足になったりするし、僕のこと弄り倒して遊ぶし、話を聞いてほしい時に限ってその姿はなくて…………。

 でも、なんでこんなに悲しいんだろう?こんなに、この部屋って広かったっけ?

 滴が頬を伝い、フローリングに落ちた。

 泣いたのなんて、小学校で苛められた時以来だ。母さんがいないと言われ、囃し立てられた、あの時以来だ。

「フィオナ…………」

 今はもうここにはいない少女の名前を口にするが、それは寂しさを助長させるだけ。

 情けないことに、暫く涙は止まらなかった。



 それは昼過ぎだっただろうか。司令部から召喚命令が入ったのだ。

『本日一五〇〇、第五二機甲小隊所属 相模龍斗少尉は司令部に出頭せよ』

 これは、処分が決定した、ということでいいのだろうか。急な呼び出しだが、そういうこともあるだろうとは思っていたし、処分を受けるなら受けるでいいと思っている。

 自棄になっている。それは自分でも理解しているつもりだ。理解はしていても、命令を聞くしかない立場にあるし、それに対してあれこれ考えて抵抗しようなどとも思わない。

 適当に昼食を済ませ、最低限の身支度を整え、リビングを出る。

 ふと、振り返る。

 いつもは、ソファーに座ってクッションを抱える少女がテレビ画面に食い入っているはずだった。そんな幻視さえ見え、「さっさと行ってこい」という、こちらを振り返らずにかけられる声さえ幻聴として聞こえた。

 未練がましいと思うなら笑えばいい。女々しいというならば嘲ればいい。

「行ってきます…」

 返事がないのは百も承知で、僕は自宅を出た。

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