第20話

 その人影は、僕の知る人物だった。

 熱風に撫でられている長い髪、ヒラヒラした様子を見せない衣服は、多分サイズがピッタリのTシャツとジーパン。

 間違いない。

「フィオナ……?」

 なぜここにいるのかわからないが、その身体的特徴や落ち着き払った態度は、彼女以外思い浮かばなかった。彼女は口を動かしている。音を拾うことはできないが、その口の動きをじっくり観察すると、

「あ・へ・お……?か・ね・ろ……?あ・け・ほ……、あけろ?」

 開けろ。意味はわかった。しかし、なぜ?

「逃げろよ!」

 僕は外部スピーカーをオンにして叫んだ。彼女が何を言いたいのかわからないが、こんなところにいれば戦闘に巻き込まれる。だというのに、風にそよぐ黒髪を押さえながら、あろうことか機体に降り立った。

「な、おい!危ない!」

 僕は慌てて警告するが、そんなものを完全に無視してフィオナは機体から離れようとしない。

 そんなことをしているうちに、空中の〈ハイドラ〉は機能を取り戻したのか、こちらに視線を合わせた。しかし、すぐに襲っては来ない。こちらをずっと見ている。なんだ?何を見ている?なぜすぐに攻撃しない?

 ブン、と急にカメラからの映像がブラックアウトした。

 何事かと思っていると、コックピットハッチが開いた。胸部装甲が開き、そこからコックピットブロックが前方へスライドした。そのために一時的に映像が途切れたのだとわかった。でも、どうして開いた?緊急開閉コード?フィオナが?どうやって?

 僕の疑問など無視して、そこにはカメラ越しに見た通り、フィオナがいた。

「フィオナ、何して――」

「いいから黙って乗せろ」

 フィオナは僕の声を遮断し、後部シートへ滑り込んだ。シートが後方へスライドし、ハッチが閉鎖。再び胸部装甲に覆われる。

 ディスプレイに光が戻り、光学センサからの映像が回復する。

 画面は、紫色に輝いていた。

 〈ハイドラ〉は僕たちに向かって左腕を翳し、そこに一〇メートルにもなる魔法陣を展開していた。紫はその魔法陣が発している光であり、二重円環の中に一二芒星の魔法陣の先には、光球が据えられていた。光球は徐々に大きさを増しているようにも見える。

 魔法についてほとんど知らない僕でもわかる。あれは喰らえば粉々に吹っ飛んでしまうほどの威力を持っているものだということを。

「フィオナ、早く降りて!このままじゃ――」

「死にたくなければ黙っていろ」

 完全に僕の話を聞く気はないらしい。何やら後ろでキーボードを操作しているようだが、前部シートに座っている僕には何をしているのかわからない。

 とにかく目の前の脅威をどうにかしなければならない。

 新たに閃光が奔った。

 〈ハイドラ〉が上半身を捻り、右手を翳して紫色の、球を切り取ったような湾曲した障壁—―防御シールドを展開し、その先で爆発が起こった。

 こちらの事態に気づいたRF-6から発射された対空ミサイルサイドワインダーだった。〈ハイドラ〉はミサイルの直撃を受けても無傷だったが、その代わりに巨大な魔法陣と肥大していく光球が、光の粒子となって拡散した。どういう理由でそうなったのかはわからないが、とりあえず助かった。が、新たに生まれた一メートル弱くらいの光球二つが援護してくれたRF-6へと迫り、うち一発が主翼に直撃。海面へと滑るように不時着していった。

 パラシュートが見えた。多分パイロットは無事だろう。

 そう安堵した瞬間、〈ハイドラ〉の頭部がぐるりと回り、こちらへ向けられた。

 〈ハイドラ〉は背腰部から細くて短い棒状のものを取り出した。そして、そのパーツから紫色の光が伸びた。ライトセイバーとかビームサーベルとか、そういった類の格闘武器に見えた。

 紫の剣を構え、両脚の機能を失っているにも関わらず、敵機はこちらに向かって急降下してきた。

「まずい!」

「黙れ」

 僕が慌てると、後ろに座るフィオナがまた僕の声を遮った。

「よし、主要部分は残っているようだな。演算機も動く」

 何やら独り言を呟いている。が、僕としてはこの状況をどう脱するかを考えるので精一杯なので、言葉が耳に入ってきても、その意味を理解する余裕はない。

「魔力素生成率、既定値をクリア。魔力発電機マジックジェネレータ、起動。魔法増幅器スペルアンプ、操者とのアジャスト。……コンプリート。コンデンサー電荷、上昇」

 とうとう、敵機が到達した。まるでさっきの勢いなど無視するかのような機動を見せて急停止し、破損した両脚を砂浜につけることなく、地上数メートルのところで浮遊している。

 紫の刀身を横に一閃され、腰部から伸びるレールガンの砲身が断ち切られた。

 〈ハイドラ〉の光の剣が、真上から振り下ろされる。機体を真っ二つに両断するようなコースに、僕は悪あがきだとわかっていながらも、右手を翳した。

 これで防げるなんて思っていない。どうせ腕ごと両断される。でももしかしたら防げるかも。そんな淡い希望を抱きながら、とうとう右手が光刃と衝突した。

 そう、衝突した。

 切られたのではなく。掌に、正確にはその数十センチ先に、緑色の光りが輝いていた。そこに、紫色が接触し、スパークを散らしていた。しかし、それがどうして起こったいるのかが理解できない。

「わたしのお陰だぞ?」

 呆然としている僕の後ろから、フィオナが言う。

 そして、僕は気づいた。機体の出力が上がっている。ジェネレータからの送電を確認。出力三三〇〇キロワット。しかし、反応炉は止まったままだ。

「これ、どういう…?」

「前に話した魔力発電機マジックジェネレータだ。丸々残っていたので使わせてもらったぞ。なんだかお前達の作ったジェネレータが止まっていたからな」

 そう言われても、思考は事態を理解できるほど追いついてはない。

「動け。早くしないともっと人が死ぬぞ」

 その一言で、僕は疑問やら何やらを頭から追い出し、目の前の敵機に集中した。

「魔力刃には触れるなよ。圧縮した魔力素が細かく振動して物体を切断するものだ」

「つまり、こいつと同じってことか!」

 フィオナの説明に答えるように、僕は一気に敵機を押し上げた。同時に相手の腕も弾き、敵機のバランスが崩れて蹌踉めいた。そして態勢を低くしたまま前進し、敵機の太股に突き刺さったままの高周波ナイフを手に取り、引き抜く。再び微細な振動を放つナイフを逆手のまま振りかぶり、裏拳のような動作で、叩きつけるようにナイフを敵胸部へ突き刺した。

 根本まで埋まるナイフ。

 機体は酔っぱらいのようにフラフラと揺れ、片足が砂浜に着地したと思った矢先に後ろに向かって倒れ、そのまま動かなくなった。

「やっ……た……?」

 倒したという実感が湧かない。まるでゾンビ映画の登場人物になった気分だ。眼下で四肢を投げ出す巨体は胸にナイフを突き立てたまま動かない。しかし、放っておくと、後ろから襲われて背中を裂かれるんじゃないかという余計な恐怖が過ぎってくる。

「そんなにのんびりしていていいのか?」

 後部シートから呆れたような怠そうな声をかけられ、僕はやっと眼下に倒れる巨体から目を逸らすことができた。

 ちょうどそのとき、友軍機をアップで映したウィンドウが開かれた。基地の滑走路の端、ちょうど海との境界線辺りだ。そこに映るのは、黄色い光を放つ、フィオナの言う魔力刃を構えた〈ハイドラ〉だった。破損しているのか、魔力刃は右手で保持していて、左腕はだらんと垂れたままになっている。

 搭載AIが友軍に反応して写したはずの画面、そこに首を傾げていると、その〈ハイドラ〉は何かを足蹴にしていた。状況から、考えるまでもない。

 手足を一本ずつもがれた〈ペルセウス〉だった。

「まずいっ」

 ここから現場まで一キロ以上ある。今から駆けつけては間に合わない。今にも〈ペルセウス〉は串刺しにされようとしているのだから。

 使える武器を探す。すると、さっき切断されたレールガンの他に、一基だけ生き残った砲身があった。腰部から迫り出した二基は斬られ、右肩から迫り出している砲身も死んでいるが、左肩からのものは無事だったのだ。しかし、背中のバックパックジェネレータは止まったままだ。

(どうすれば……)

 と思ったが、ふと、さっき敵機を押し出した時のことが脳裏を過ぎり、思い至った。

「フィオナ、砲弾を加速させる魔法とか、できない?」

「単純な加速ならすぐにできる」

「なら、左舷レールに装填されてる砲弾の加速をお願い」

 フィオナは機体の概略図を呼び出して部位を確認すると、「わかった」と告げた。

 その間に、僕は照準をつける。見れば、もう敵機は逆手に構えた魔力刃を振り上げている。時間はない。

 ターゲットロック。相手は動かず、距離もあまり開いていない。コンピュータの補助があるため、照準をつけること自体にも時間はかからなかった。

「フィオナ!」

「いけっ」

 僕は彼女の声を受け、トリガーを引いた。

 すると、緑色の光に覆われた砲弾が、従来のメテオリートと同じか、それ以上の速度で目標へと迫っていった。

 その瞬間、エネルギーバイパスにも破損があったのか、バックパックと砲身の付け根が爆発し、機体が蹌踉めいた。

 しかし、砲弾の軌道はずれていない。

 敵機はロックオンされた時点で微細な反応を見せたが、それだけだった。

 首がやや動いたか、と思った時には、すでに胸部に砲弾が命中し、あろうことか上半身ごと木っ端微塵に吹っ飛んだ。

「うわ……」

 予想以上の威力に唖然とする僕だったが、後ろからの「来るぞ」という声によって、現実に引き戻された。

 警告アラートも鳴っている。二時方向からだ。

 見上げると、恐らく隊長機と思われる、腰に外套のような装甲と頭部に角のようなパーツの付いた〈エリダヌス〉が、周囲にオレンジ色の光を放ちながら滞空していた。

 そのオレンジ色は、直径一メートルほどの大きさの魔法陣で、機体を取り囲むようにして六つ配置されている。各魔法陣の手前には、魔法陣の半分くらいの大きさの光球がセットされている。

「連装直射射撃!避けろ!」

 フィオナの叫びに、僕は反射的に機体を横っ跳びさせた。もはや重荷にしかならないエクサクトレイダー、そのバックパックとミサイルユニットは分離パージしておく。

 僕の操作と敵機が腕を振るのは同時だった。

 〈エリダヌス〉が腕を振るのに合わせて、六つのオレンジ色の光球が、軽く音速を超える速さで砂浜に突き刺さった。轟音と共に大量の砂が舞い上がり、一瞬視界が覆われた。あとほんの半秒回避が遅ければ、鉄塊へと変えられて砂に埋もれていたはずだ。

 敵機は上空一〇〇メートルの位置にいる。エクサクトレイダーがない今、こちらから攻撃できる武装はない。

 砂の壁を突き破り、一つ、また一つとオレンジ色の光球が砂浜に突き刺さる。今は手当たり次第だが、いつ命中してもおかしくはないし、敵が冷静になって砂煙が晴れてから同時に数発撃ち込んでくれば、回避はより困難になる。

「飛べ」

 またも、後部シートから助言がかけられた。

「飛ぶ?飛ぶって何だよ!?」

 もちろん、〈アルフェラッツ〉は、というか、ハルクレイダーは陸戦兵器なので空を飛ぶなんてできない。専用のシュネルレイダーを使わなければ、単体での飛行は不可能だ。

「飛行魔法をかけるから飛べ。ついでに機動も補助をかける。そっちの操作と同期させるから、死にたくなければさっさとやれ」

 態度もそうだが、後部シートは斜め上に位置しているため、名実共に上から好き勝手に命令してくれるよこいつは。でも、従っておかないと後が恐いし、今を生き延びなきゃ元も子もないので、僕はスフットペダルを踏み込み、機体を屈伸。全身のバネを使って跳び上がった。

 瞬間、物凄い加速がかかり、管制制御装置イナーシャルキャンセラーで慣性力が半分以下になっているはずなのに、思い切りシートに押しつけられた。

 気づくと、ほんの二秒足らずで敵機の眼前に迫っていた。

 なんつー加速だおい。

 文句を言っている余裕もないので、左腕ウェポンラックから高周波振動ナイフを取り出し、右手に握る。そして、上昇の勢いのまま、ナイフを突き出した。

 獲った!

 そう思った瞬間、コックピットに衝撃が奔った。シートベルトがなければ、前方へ投げ出されていたくらい、ベルトが胸を押しつけた。

 機体が落下を始めている。敵の突き出した脚を確認し、何があったのか理解できた。

 敵機に蹴り飛ばされたのだ。どうやらこの攻撃を予想していたようだ。もしくはかなりパイロットの腕が凄いか。どちらにせよ、このままでは地面に直撃し、さっきの射撃を受けてジ・エンド。

 しかし、僕はその結果を享受するつもりなどない。

 機体がバランスを崩して落下する中、〈アルフェラッツ〉の左手を突き出した。掌からアンカーガンを射出する。先端が四角錐の金属杭になっている、丘陵地帯で機体を引き上げるための強度を持つ高分子ワイヤーを備えたものが、まっすぐに敵機へと向かっていく。互いの距離は三〇メートルも開いていない。まず命中するはずだ。

 ガンッ、と鈍い音がしたかもしれない。

 命中音ではない。〈エリダヌス〉の右腕が、ワイヤーアンカーを弾いたのだ。かなりの至近距離であったにも関わらず。恐るべき機体性能、いや、これはパイロットの技量と言うべきか。〈エリダヌス〉はアンカーを弾くと同時に、またも高速射撃魔法を組み上げようと幾つもの魔法陣を展開し始めた。

 が、その至近距離からの攻撃をいなしたはずの機体が、バランスを崩した。ガクッと右半身が傾いた。驚いたように、〈エリダヌス〉の頭部が右腕に向いた。

 その腕に、ワイヤーが幾重にも絡まっていた。

 それは単にタイミングの問題だった。もう少し、ほんの一瞬弾くのが早ければ難なく事を成せたのだろうが、ほんの一瞬のタイミングのズレにより、アンカーの軌道が腕の横運動によって円軌道へと変わり、巻き付く形となったのだった。

(よしっ!)

 僕はワイヤーを巻き取っていく。バランスを崩した〈エリダヌス〉は、釣り糸に引かれる小魚のように、為されるがままにこちらに落下してくる。

 幸い、右手には高周波振動ナイフが蹴られた衝撃に耐えて保持されたままだ。このまま敵機に突き刺せば、それで勝負は決まる。

 だというのに、衝撃がコックピットを襲った。敵との衝突ではない。正面のディスプレイを確認するに、手首付近から先が損壊しているようだった。一瞬視界を過ぎったオレンジ色の光を見た気がする。恐らく、敵の周囲に展開されていた幾つかの魔法陣、その内の一つに生成されたオレンジ色の光球が、右手ごとナイフを吹っ飛ばしたものだろう。

 狙ってやったのか、慌てて照準などつけている暇などなかったのかはわからないが、結果的に僕は最後の武器を失ってしまったことになる。ワイヤーアンカーでは決定打にはなり得ない。ならばどうすればいい?

「そのまま殴り飛ばせ」

 これまで通り、困った僕を助けるアドバイスが届いた。だが、あまりに無謀ではなかろうか。敵はそれなりに防御力が高いだろうし、今は一撃で勝負を決さなければ、ここを乗り越えられた時点で敵の優勢になってしまうのだから。

「でも」

「やれ」

 有無を言わさぬ自信と威圧を含んだ声に、僕は従うしかないようだった。

「ええい!」

 どうにでもなれ、とボロボロの右腕を、敵機の胸部、青い装甲を貫くつもりで繰り出した。とにかく怯ませるだけでもしなければ次の瞬間にはこちらが堕とされる。

 そんな不安と焦りが渦巻く僕の心情など無視するように、あまり聞きたくない、金属がメチャクチャに拉げる音と衝撃が伝わってきた。

 ああ、右腕お陀仏。コンソールには、右肘から先が全損しているという警告が赤く表示され、搭載カメラによる光学映像でも、肘から先、装甲の半分がグチャグチャになり、内部の拉げたフレームが顔を覗かせている。VIMFも部分的に引き千切れており、それらが人体の骨や筋肉繊維を連想させ(構造上の役目はまさに同じなのだが)、手首を引き抜かれたグロいスプラッタ映画のワンシーンを思い出した。主に後ろに座っているモンスター系の映画ばかり見る少女のせいだ。

 しかし、同時にほっとして力が抜けそうになり、それでも目の前の光景に実感が持てず、体は弛緩を許さなかった。

 〈エリダヌス〉は胴体を丸々吹っ飛ばされ、慣性によって取り残されたのか、その場で頭部や両腕部、下半身が海面へボシャンバシャンと落下していった。

 「わたしのお陰だな」と、僕を無視した自慢げな声が後部シートより発せられた。

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