07.吸血鬼

 ジョシュアが吸血鬼として生活するようになって少し経った頃だった。その街の酒場で、ふたりが話をしていた時に突然、吸血鬼ミライアは静かに言った。


「お前は私のような吸血鬼はどれほど存在していると思う?」


 つぶやくような、ささやくような声だ。気付けた者はほとんどいないはず。けれども、吸血鬼であるジョシュアには確かに聞こえた。

 突然告げられたその問いに、ジョシュアは戸惑う。


「……人間だった時、絶滅したのではないかと聞いたことがある。事実、アンタに会うまでは俺もそうだと思っていた」


 ジョシュアもまた静かに言った。ガヤガヤと騒がしい周囲では、時折怒鳴り合うような声が聞こえる。荒々しい声に混じり、ガラスが擦れる音が大きく響いていた。

 そんな中での小さな呟きなど、誰かが聞いているはずもない。それらの音に紛れ、ふたりの呟きは互いの耳にだけ届く。


「まぁ、それは我らの情報操作のお陰もある。そう思って当然だ」


 ミライアは周囲の気配に気を配りつつそう言った。この中にが混ざっている事も稀にあるのだ。

 それを警戒しての事。ジョシュアも彼女の用心を肌で感じながら、言葉の続きを待った。


「だが、事実はまるで違う。我らはどこにでも居る。夜になればそれこそ、そこいら中に。鼻も目も耳も利かぬ人間が、我らと自分らを区別出来るわけなかろう」

「まあ、確かにそうだな」


 ジョシュアは思い出していた。

 ここひと月ほど、彼はミライアと複数の街を回って歩いていたのだ。

 新しい街に辿り着くたびに、そしてミライアにを叩き込まれるたびに、ジョシュアは実感していたのだ。人と吸血鬼との大きな違いを。

 ミライアの話は更に続く。


「だからこそ、情報屋、各ギルド、裏の街――そんな表に出にくい所に我々は山ほど紛れている。人間ほど多くはないがな。大きい街よりも郊外の方が良く見かける。そう珍しい事ではない」


 時折酒に口をつけながらミライアは言った。その顔にいつもの笑みはなく、彼女は真剣な表情でジョシュアを見つめていた。


「だが、時々居るのだよ。人間を良く思っていない輩が。そうい連中は定期的に現れる。自分達の方が優れているだの何だのと――人間の中にもたまに現れるだろう? そんな不遜ふそんな輩が我々の中にもまれに現れる。するとどうなると思う?」

「……」

「それが吸血鬼の場合、そ奴らは人間との闘争とうそうに走る。ほとんどそれは虐殺ぎゃくさつだ。ハンターですらない、只の人間なぞは特にだ。只人には何もできんよ」


 すっかり黙り込んでしまったジョシュアへ遠慮する事もなく。ミライアの話は続いた。


「そして時期に、ソレは段々と無駄な殺しに快感を得るようになる。何人も、人を丸飲みしに過ぎるのだ。すると、もうそいつはダメになる。多くの血を――人の魂を取り込みすぎるのだろうよ。多数の人格に惑い支配されて自分を見失ってしまう」


 ミライアは一際声のトーンを落とし、ジョシュアに言って聞かせた。

 ほんの小さな声だったにも関わらず、それはジョシュアの頭の中にまで響いて聴こえる。ミライアから、目を逸らすことができなかった。


「我を忘れ目的もなく虐殺を繰り返す。吸血鬼がそうなったらもう、終いだ。そ奴には自我も生きる価値もない。害悪だ。そういった者は、我らが定期的にするのだ。吸血鬼は単独を好むが、かと言って集まらん訳ではない。そしてそれが、この私に与えられた役目でもある。古くから生きる者の務めだな」


 そう言い終えるとミライアは。ひと息つくように、手元のグラスの中身を再び口にした。

 そこでようやく金縛かなしばりが解けたジョシュアはハッとして、咄嗟とっさに思い付いたことをミライアへと問いかけた。


「そうだったのか……なら、今アンタが探してるっていうのは」

「最近、頻繁ひんぱんに人が消えるというそれの下手人だ。事実確認をかねて見つけ出して、私が人間よりも先にとっ捕まえる。人間に下手に手を出されたらかなわんからな」

「成る程」

「お前も、そういった事に対する理解は少しずつでもしておけ。その内に私との道がたがうこともあるだろう」


 ミライアにそんな事を言われ、ジョシュアは思わず目を見開いてしまった。道が違う。その発言が余りにも予想外だったからだ。

 眷属や従僕と聞けば、ただその下で永遠と働くものだと思っていたが。ミライアの言うそれは少し違うらしい。

 そんな反応をして見せたジョシュアに、ミライアもまた軽く瞠目どうもくしてみせた。


「何だ、なぜ驚く?」

「や、だって、従僕とか言うから……ずっとあんたの下で働くものかと」

「んな面倒な事はせん。必要な時に呼び出すくらいだろう」

「ひ、必要な時? 俺をか?」

「そうだ。お前は臆病でまぁ、戦闘の方はまだまだからきしだが。その分、五感やら察知能力やらに優れているだろう? それは使える。今は大した事も無いだろうが、それに関してはすぐに私を超える。我らの中にはそういうのに ひいでた者は中々居ないのだ。ほとんどの場合、それほど必要はないからな。だが、私のように探し物をしている者にとっては使える力だ」

「そう、か……?」


 ミライアにそう言われ、ジョシュアはうっかり首を傾げてしまっていた。

 何せ、ジョシュアというハンターは長年、鳴かず飛ばずの平凡な、それどころか仲間にも合わせる事もできない中途半端なハンターとして過ごしてきたのだ。

 今更誰にそうめられようが技術を求められようが、本人が一番にその言葉を疑ってかかってしまう。何かの間違いではないのかと。


 そして、それを聞いたミライアはといえば。形のいいその片眉を器用につり上げながら、ジョシュアに向かって言った。それが少しばかり強い口調だったのは言うまでもない。


「そうなんだよ。――お前、もう少し自信を持って生きろ。仮にも私の下僕になったんだからな。中途半端は許さん。そうオロオロされては下の者にも示しがつかん」

「いやっ、まあ、善処ぜんしょはするが」

「その言い方がもう既に信憑性しんぴょうせいに欠ける。曖昧あいまいにするな阿呆あほうが。ハッキリさせろ」

「これはもう仕方ない。元からこういう性格なんだ」

「お前な、は気を付けろよ、特定の者には苛々させる要素しかない」

「それはもう嫌と言うほど理解してる」

「だろうな」


 チクチクと機嫌悪そうにミライアは言った。そしてこの日、ジョシュアはミライアの特大な八つ当たりを受けることになる。

 明らかに今この場で思い付いたかのような表情で。ミライアはジョシュアに向かって宣告するのだ。


「そうだな。お前、戦闘をもっと集中的に覚えろ。私に付き従うんだ、嫌と言うほどに本番が来るぞ」

「は」

「当たり前だろうが。今話したばかりだぞ? 他の吸血鬼相手に負けるようなら、私はお前を放っぽり出すからな」


 そんな事を言われてしまえばジョシュアは反論もできない。そもそもが従属している身では、ミライアの決定になんて逆らえるはずも無いのだ。


「そうだな。理解出来たなら、今晩からだな。夜中まであと数刻ほどだな。覚悟しろ。――逃げるなよ?」


 ジョシュアの表情は絶望感に溢れていた。眷属けんぞくの親たるミライアに、そう告げられてしまって逃げられるはずもなく。

 結果として、その日から近くの森で一晩中戦わされる羽目になった。そしてその翌日は、完全に回復し切る夜になるまで、ジョシュアは全く動けなくなってしまっていたのだった。

 それを見兼ねたミライアには、寝床から引っ張り出されて更に説教を加えられる。


「鍛え方も足りんわ。吸血鬼の血に胡座あぐらをかくなよ馬鹿者」


 こうしてジョシュアは、強制的に鍛えられていくのだった。人間であった頃のプライドを残しつつも、身体は吸血鬼としての力を覚えていく。

 死ぬかどうかのギリギリのラインを狙われ、吹き飛ばされ、地に引き倒される。少しでも起き上がるのが遅ければ、ミライアからのかつが入った。


「おい下僕、いつまでそうしていつくばっているつもりだ? 私は犬っころを育てている覚えはないぞ。とっとと立ち上がって反撃しろ!」


 時折嬉々ききとして罵倒叱咤しながら。ミライアはたったの数日間で、己の望むがまま、恐ろしく言う事を聞く優秀な犬を育て上げていったのだった。


「このくらいならそう簡単に死なんだろ。本っ当に、最低限だがな。簡単にくたばるようなら置いていくからな」


 まるで悪魔の所業だ、なんて思いながらもジョシュアは、ただ従順に従うのみだった。

 己の体の変化を感じ取りながら、しかし吸血鬼になりきれないその心を置いて。

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