06.彼は誰時 後

 半ば呆然としながら、ジョシュアはその女の言葉を聞いていた。


「私の力を分け与えたとして、自らの意思により血を喰らわなければ永久に半端者はんぱもの。そのまま放っておけば野垂のたれ死ぬ運命だ。例え従僕じゅうぼくだとしても、この私の血を分け与えた者にはそれ相応になって貰わんとな。どんな手段を使っても、生き永らえさせる。例え記憶を消してでもだ」


 己の頭を人差し指で指し示しながら話す女を見つめ、ジョシュアはその意味を理解した。彼は先程、この女にハメられたのだ。


「ハンターだったなら尚更、自ら血を飲むなんぞは拒否するだろう? だから記憶を消した上でお前に選ばせた。上手くいったよ。お前は本能にその身を任せ、飢餓きがうるおす事を選んだ」


 血を飲む、眷属けんぞく、そして何よりも、ジョシュアが殺された時のあの状況。

 ジョシュアの導き出した答えはやはり、その時と同じものだった。


「吸血鬼――」

「その通りだ。お前は生まれたての我が従僕だ。自ら血を喰らい、晴れて吸血鬼と化した」


 突然告げられた事実にジョシュアは呆然とする。まるで、夢でも見ているかのようだった。


「働いてもらうぞ」


 女は、未だに動けずにいるジョシュアへ近寄ると、その髪を引っ掴んで上を向かせた。そのまま顔をぐいと近付けるものだから、ジョシュアには彼女の美しさがハッキリと目に映った。


 目鼻立ちのはっきりとした、危なげな雰囲気の美しい女が目の前にいる。細められたその目には、隠しようのない歓喜が浮かんでいた。

 女の怪しい雰囲気に呑まれ、ジョシュアはその時、一言も言葉を発する事が出来なかったのだった。



◇ ◇ ◇




「ほら、狩ってこい」


 女吸血鬼――彼女はミライアと名乗った――は、ジョシュアを彼らが泊まる宿屋の屋根上へと連れて来ていた。


 彼らの滞在するその宿は、二人が出会った街とは別の街にあった。何せあのような事件を起こした街だ。ぐずぐすしていては追っ手がかかる。

 ミライアは死に体(言い得て妙である)のジョシュアを連れ、即座に街を離れたのである。流石はと言った所か、怪しまれるようなヘマをする事もなく、ミライアはあちこちを転々とした。


 そして今夜、晴れて吸血鬼と化したジョシュアに、ミライアは早速指導を入れるのである。

 道を歩く数少ない人間たちを眺めながら、ジョシュアはミライアへと聞き返した。


「狩るって……あえて聞くが、何を……?」

「何って、女に決まってるじゃないか」

何故なぜ?」

「何故って……分かりきった事を聞くな。食事に決まっとろうが」


 悪あがきにも近い。ジョシュアはその現実を認めたくなかったのだ。


 そもそも、吸血鬼にされた事ですら、ジョシュアには実感が湧かないのだ。告げられて早々、女を狩れと言われて躊躇ちゅうちょするのは当然の事だ。人ひとりの命を彼が左右する。そう考えれば拒否だってしたくもなる。


 そもそもジョシュアは、人々を救うハンターだったのだ。こういう、人間を付け狙う魔族まぞく魔獣まじゅうから人間を守るのもハンターの役目だったはず。それが今やどうだ。


「……俺は、女にモテない。そもそもはハンターなんだ、人を襲うなんて素直に承伏しょうふくできるわけ無いだろう」


 不服そうに言って見せれば、ミライアはきょとんとしながら首を傾げた。


「何言ってるんだ。女を誘うなら男の方が都合がいい。異性の方が魅了みりょうにかかりやすいからな。――それと、一応言っておくぞ。お前はもう死んだ事になっているはずだ。ハンターも死ねば形無し、只の屍人しびとだろうが」

「は!?」


 ミライアの告げた言葉に、ジョシュアは思わず声を上げた。すっかり、自分の置かれている現状の確認を忘れてしまっていたのだ。


「あの女、ギルドに駆け込んだのだろう? 記憶を消去する暇もなかった。あれから何日経ったと思っている。連絡もなし、街には姿もない。ハンターという職柄上、返り討ちに遭って死んだと思われているだろうさ」

「なっ……、あれから何日経ったんだ?」

「ひと月程か? 少なくとも、数十日かは経ってるぞ」

「そんなに……」


 ジョシュアは立ちすくんだ。確かにあの時は必死で、あの女性を助けることしか考えていなかったが。こうして息をしているのに死人扱い、というのも妙な気分である。


 死ぬ覚悟でこの吸血鬼女と対峙したはずだったが。どうしてだか、魔族にされてまで生かされている。

 ジョシュアはその場で途方に暮れそうになった。最早、ハンターどころか人間ですらない。血を喰らう全く別の生き物として、彼は生きねばならないのだ。


「そりゃな、お前は一度死んだも同然だ。私に本気で喰われたのだ。再生に時間がかかったんだろう。先程のように自ら人間の血を飲めば一発だが……ああ、それと一つ言っておくが、我らは死人も同然だ。どんな傷を負えど私が生きてる限り、心臓さえ守り抜けば滅びることはない。腕や脚、頭を捥がれてもその内再生する。夜にしか我らは活動できないがな。かねがうわさ通りよ」

「そう、か」


 ジョシュアがしぼり出せた返答はそれだけであった。聞きたい事は山ほどあるはずなのだが、肝心な時にジョシュアの頭は全く役に立たなかった。


 ミライアの命令ならば、その眷属けんぞくだというジョシュアは、その命に逆らえないはずだ。魔力をもって命令されれば、彼は従わざるを得ない。魔族の眷属とはそういうものなのだ。


 生きるために人間を狩らなければならないだなんて。受け入れられそうにない。

 おまけに自分の意思で死ぬことも許されない。元々ジョシュアは、こういう魔族や魔獣まじゅうから人間を守りながら生計を立てていたというのに。

 そんな彼が、今や逆に人間を襲う側。真逆の立場だ。どうして良いか分からなくなる。

 そんな、迷子のような表情になったジョシュアを見てだろうか。ミライアはそこで突然、思い出したかのように言った。


「おい、何か勘違いしているんではなかろうな? 別に、狩った人間の全てを殺すわけではないぞ。少し、その血を頂戴ちょうだいするだけだ」


 言われてジョシュアはポカン、と口を開く。きっと間抜けな表情をしていることだろう。本人にもその自覚があった。


「そう、なのか?」

「そりゃそうだろうよ。別に人間一体分、丸々飲む必要は無かろう。そんなに食べ切れんよ」

「そういうものなのか」

「そうだ。人間側はせいぜい、貧血になる程度だ。人間どもの我々に対する認識も勘弁かんべんして欲しいものだ。食事にした人間全員を殺していたら、人間も我々も滅んでしまう」

「なる、ほど……」


 その言葉に、ジョシュアは僅かながらホッとする。必要が無いのであれば、抵抗感は少しばかり薄れる。薄れるだけ、ではあるが。

 その場でドン、と背中を叩かれながら、ジョシュアはミライアに急かされる。


「と、言うわけで狩ってこい下僕げぼく。お前の初めてのおつかいだ」


 おつかい、だなんてまるで子供に言うかのようだ。そう思いはしたが、ジョシュアは口には出さなかった。

 何せ彼は、今日誕生したばかりの吸血鬼なのだから。


「待て、俺は人攫ひとさらいのやり方なんか知らない。人間にとっては犯罪だ」

「……つべこべ言わず、背後から襲って催眠さいみんでもかけてこい。目を見つめて眠れと魔力で念じればいい。お前の魔力も少しはマシになってるだろう」

「催眠に人攫い……ストーカー……」

「別に、私はお前にここで命令しても構わないんだからな? きちんと意識のある状態でやらかした方が、お前も良いだろうが」

「そんな事ができるのか……」

「私の眷属だと言ったろうが。その気になれば私はお前を好いように動かせる。そうならない内に動いておいた方が身の為だぞ」


 すくむジョシュアを、ミライアは腕を組み仁王立ちをしながら見下ろしている。

 彼女はジョシュアよりも頭ひとつ分ほどは背が高い。そんなミライアが、苛々とまるで威嚇いかくするような口調で話すのだ。威圧感もある。

 そしてジョシュアは再認識する事になるのだ。彼はこの吸血鬼に殺され、そして眷属として従わされているのだと。


 ミライアは好きな時にいつでも、ジョシュアをねじ伏せる事が出来る。それをしないのは、ジョシュアの意思を尊重する気があるから。

 それを思えば、自分のばかり通す訳にもいくまい。もう、ジョシュアは人では無いのだ。


「分かった。失敗しても、文句言うなよ」

「そうだ、それでいい。さらって来いストーカー」

「嫌がらせか」

「成功したら撤回してやるぞストーカー」


 忌々しげに主人となった女を見遣ってから、ジョシュアは屋根の上から音もなく飛び降りた。

 本人にはその自覚こそ無かったが、その動きはもはや人間の為せるものでは無い。音もなく気配もなく、闇に溶けている。

 元々その手の動きは得意ではあったのだが、ジョシュアはまるで初めからそれが使えたかのように、吸血鬼の能力をしみ無く使用している。


 女吸血鬼ミライアは、その一部始終を見てニヤリとわらう。真っ暗な夜闇に紛れ、その日もまた、人を喰らう化け物が人知れずに跋扈ばっこしていた。

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