最終話 兜を被ってスハスハしていたら

 控え室から前室へと移る。

 正面のこの扉が開けば、式が始まるのだ。


 刻々と高まっていく緊張感に、そわそわとしてグレニスを見上げる。


「わ、私、こんなに大がかりななんて初めてで……。もっ、もし転んだりしたらどうしましょう!?」


「俺もは初めてだ。大丈夫、転びそうになったら支えてやる。リヴは安心して俺だけ見ておけばいい」


「グレンだけ……」


 思い返せば初デートのときにも、グレニスは躓いた私を受け止めようと手を差し出してくれた。

 今日だってその言葉通り、転びかければ即座に受け止めてくれることだろう。


 それに———たとえ私が取り返しのつかない大失態を晒したとしても、グレニスなら何も変わらず側にいてくれる。……そんな気がする。


 グレニスの肘に添えた手にきゅっと力を込めると、ぴんと胸を張って前を向く。


「……思い出に残る式にしましょうね!」


「ああ、そうだな」


 パイプオルガンの荘厳なが響き渡り、祭礼の間へと続く扉が大きく開け放たれた。





 ざわ……


 会場中の視線が集まる。

 それまで静かに演奏の音色だけを響かせていた場内が、にわかにざわめき出した。


「甲冑……」


「なんで甲冑……」


 漏れ聞こえる声からするに、どうやらみんなグレニスの甲冑姿に目を奪われているらしい。


 そうでしょう、そうでしょう。

 鍛え上げられたバランスのいい体躯、見上げるほどの長身、磨き上げられた甲冑越しにもにじみ出る厳格なオーラ。

 今日のグレニスは、息を呑むほど素敵でしょう!


 ふふん、と鼻高々に笑みを深める。

 こんなに素敵な人が、これから私の夫になるのだ。


 大きく息を吸い込み、グレニスのエスコートに合わせて足を踏み出した。



 一歩、一歩、たくさんの視線を受け止めながら、祭壇へと続く身廊を歩んでいく。


 右手側の座席にはグレニスの招待客。

 揃いの騎士服を着た面々は、騎士団の関係者だろう。

 親族も誰も初めて見る顔ばかりだけれど、今日から縁を繋いでゆくのだ。


 左手側の座席には私の招待客。

 こちらに小さく手を振ってくれる友人たちに、なかなか会う機会のない遠戚えんせきから、ちょくちょく顔を合わせる近親まで。

 お祖父様は長距離移動が辛いからと、代わりにお祝いの手紙を寄越してくれた。


 遥々遠方からやって来てくれたお姉様夫婦と、いつの間にか大きくなった三人の甥姪。

 そろそろ融合して一つになりそうなお兄様夫婦に、七歳になる甥の達観したような表情。


 顔面に滝が流れていて顔がよく見えないのは、たぶんお父様。

 お母様も、ハンカチを手に涙を浮かべている。


 二人を見ていたら私まで貰い泣きしそうになって、ぎゅっと目頭に力を込めて祭壇を向いた。




 天高く響く美しい讃美歌が止み。

 神に捧げる長い長い祈りの言葉が終わり。

 聖典を閉じた大司教が、一呼吸置いて口を開いた。


「新郎グレニス=ジェルム。貴殿は最高神キアソウァの御名みなのもと、リヴェリー=メイラーを妻とし、光差す日も、かげりのときも、ともに分かち、助けあい、決して偽ることなく、その命ある限り真の愛を捧げることを誓いますか?」


「誓います。たとえ生が尽きようとも」


 よく通る低い声が、迷いなく誓いを述べる。


 ちらりとグレニスを盗み見る。

 兜で表情が見えないのが、ちょっぴり残念だ。


「新婦リヴェリー=メイラー。貴女は最高神キアソウァの御名のもと、グレニス=ジェルムを夫とし、光差す日も、翳りのときも、ともに分かち、助けあい、決して偽ることなく、その命ある限り真の愛を捧げることを誓いますか?」


「はい、誓います」


 一音一音、はっきりと。

 間違いなく神の御元に届くように。


 双方の誓いを聞き、大司教が鷹揚おうように頷いた。


「それでは、誓いの口付けを」


 ……ガシャッ


 グレニスはこちらへ向き直ると、片膝をついてこうべを垂れた。

 会場中が固唾を呑んで見守っている。


 ……大丈夫、落ち着いて。打ち合わせの通りに。

 目の前に差し出された頭の、その兜に手をかける。


「ほう、自らの命を預けるという演出か……」


 感心したような誰かの呟きが聞こえるけれど、別にそんな意図はなかった。

 重い兜を取り落とさないように両手でしっかりと支え、よいっしょ! っと力を込めて取り上げた。



 はらりと二筋、乱れた前髪が額にかかる。

 こめかみを伝う汗。

 伏せられていた群青の双眸が、すいと上がって私を捉えた。


 ああ……この人と婚姻を結ぶのだ。



 初めは香りだけだった。

 放たれる香りが、好きで、好きで。

 尋問と称して香りを堪能しながら、ほんの少し言葉を交わす程度。

 それが、いつの間にこんなに好きになったのだろう。


 いつも不機嫌そうに見えて、実はめったなことでは怒らないこととか。

 どんなに疑わしい相手でも、ちゃんと話を聞こうとしてくれるところとか。

 毎日鍛練をかかさない真面目さ、好きなものを聞いてこの国だと答える愛情深さ。

 女性に泣かれると弱ってしまう優しさも、小さな子どもに泣かれておろおろと困り果てるところも。

 この人の、何もかもが愛おしくてたまらないのだ。



 グレニスが立ち上がり、私の肩に手をかける。


「リヴ」


「グレン……」


 何よりも好きになった人が、私を愛してくれる。

 それは、なんて奇跡的なことだろう。


「ようやく俺のものになるな」


 ニヤリと口角を上げた唇が、優しく私の口を塞いだ。



 一斉に拍手が沸き起こる。


 たくさんの拍手の音は大降りの雨音にも似て、広い場内にざあざあと拍手の雨を降らせる。


 反響して、反響して、次第にまばらになっていき、ついにはしんと静まり返った頃———ようやく長い長い口付けから解放された。


「ここに二人を夫婦と認めます」


 冷静な大司教が告げる。

 その言葉を聞いた瞬間、それまでの緊張が霧散して、大きな喜びが私を包んだ。


 よ、よかったーーー!

 つつがなく式を終えられた!!

 これで、正式にグレニスと夫婦になれたのだ!


 グレニスを見上げてにっこりと微笑むと、このうえなく幸せな心地で、ガポッと兜を被った。


 すぅぅぅぅぅぅ……っ!




 狭い空間にの二人きり。

 うっとりと酩酊していた気分が次第に落ち着いてくると、なにやら場内がどよめいていることに気付いた。


 何かあったのだろうか?

 トラブルでなければいいのだけれど……。


 目のスリット位置が合わないため、私からは周囲を確認できない。

 微かな不安を抱いてグレニスの方へと手を伸ばせば、力強い腕が安心させるように、ぐっと腰を抱き寄せてくれた。


「大丈夫、何も問題ない」


「よかった……」


 ほっと息を吐く。

 グレニスが大丈夫だと言うなら安心だ。


 視界不良のため腰を抱くグレニスに半分身体を預けるようにしながら、再び身廊を歩んでどよめく会場を後にした。





 このあとは確か、バルコニーに出て市民に結婚を御披露目するのだ。


 グレニスにエスコートされて通路を進む。

 すっかりと身体を預けきって進行方向も何もグレニスに任せ、蒸し上げられた汗の香りの吸引にいそしんでいると、不意に立ち止まったグレニスがコンコンと兜をノックしてきた。


「?」


 足音の響き方からして、まだバルコニーには出ていないようだけれど……。


「市民に可愛い顔を見せてやってくれ」


 ああ、そうだった。なのだから、兜は脱がなくては。

 兜に手をかければ、グレニスの大きな手が重なってスポッと兜を取り上げた。


「……ふっ、すごく幸せそうな顔をしているぞ。頬が真っ赤だ」


 分厚い革越しの指先が、そっと頬を撫でる。

 後ろでは、マニーが大慌てで乱れた髪を直してくれている。ごめん。


「こんなに愛らしい姿を見せてやらねばならないとはな……」


 兜を付添人に預けながら、グレニスが渋い表情で呟いた。

 通路の先に明かり差すバルコニーからは、まだ姿を見せていないにも関わらず市民の歓声が聞こえてくる。



 私の用意が整うのを待って、グレニスが手を差し出した。


「さあ、行こうか奥さん?」


 表情の険しさが緩み、ふっと笑顔を見せる。


 グレニスがいてくれれば、怖いものなんて何もない。

 そして優しいグレニスの心は、私が守ってあげるから。


「はい、旦那様!」


 湧き上がる幸せに、満面の笑みでグレニスの手を取った。





      ~ 完 ~




————————————


あとがき


最後までお付き合いいただきありがとうございました!

少しでも、読んでよかったと思っていただける作品になっていれば嬉しいです(*´∀`)


現在カクヨムコンに参加しております。

初参加のため勝手がわからないのですが、

ブックマーク、応援、★などいただければ幸いです!٩( ᐛ )و


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置いてあった兜を被ってスハスハしていたらご本人登場【全年齢版】 南田 此仁 @nandakonohito

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