第56話 何を隠そう
立ち上がって姿見に全身を映す。
視界一杯に広がるのは、春の日差しを思わせる淡いクリームイエローのドレス。
ふんわりとしたシフォン生地のスカートには所々摘まんだように緩やかなドレープが入り、その頂点をオレンジ色のバラが彩る。
幾重にも重なる生地は内側に行くほど色が薄まって、揺れるたびドレープの間から覗く
コルセットを締め上げぴったりとした上半身に、肩先だけを覆うレースの短袖。
大きく開いたネックラインには意匠を凝らしたペリドットのネックレスが輝き、揃いのイヤリングが耳元で揺れる。
髪型はボリュームを抑えめに。複雑な形に編み込んでまとめあげられた後ろ髪は、たくさんの小花と、植物をモチーフにした髪留めで飾られていた。
ゆっくりとつま先まで下ろした視線を上げて、鏡越しに後方のマニーを見る。
「どこもおかしくないかしら?」
「ばっちりよ! 世界一可憐な花嫁———でございます、リヴェリー様」
途中、メイド長の咳払いが聞こえたような。
コンコンコンコン
見計らったかのようなタイミングでノックの音が響き、グレニスの支度が完了したとの知らせが届いた。
もう一度くるりと全身を確認して、メイドたちを振り返る。
「みんな、素敵に仕上げてくれてありがとう! じゃあ行ってくるわね!」
「素晴らしいお式を迎えられますよう、使用人一同心よりお祈り申し上げます」
メイド長を筆頭に、着付けやメイクを担当してくれたメイドたちに見送られ、介添人を務めるマニーとともに部屋を出た。
「ちょっ、ちょっとリヴェリー様! そんなに急がれては、せっかくのセットがお乱れにっ!」
「だって、早く見たいんだもの!」
ぎりぎり駆け足にならない速度でせかせかと廊下を進むと、階下に広がる玄関ホールに目当ての人物を見つけた。
「グレンー!!」
「———リヴ。そこで待っていろ」
制止されて足を止めれば、わざわざ階段を上ってきたグレニスがすっと手を差し出してくれる。
「転んでは危ない」
「ありがとうございます」
ガシャン、ガシャッ、ガシャッ
エスコートされて階段を下りるのに合わせ、吹き抜けの空間に硬質な金属音が響く。
玄関ホールに下り立つと、グレニスは改めてこちらに向き直った。
真っ直ぐな視線がゆっくりと全身を撫でる。
「リヴ……いつも綺麗だが、今日は一段と美しい。そのドレスもとてもよく似合っている。明るくやわらかな風合いが、リヴの雰囲気そのものだ」
メイクを気遣ってくれたのだろう、グレニスの指先は頬ではなくするりと耳を撫で、耳朶に揺れるイヤリングを弄んだ。
「私もそう思います! ……ふふっ」
いたずらっぽく笑みを深める。
何を隠そうこのドレスは、グレニスが「リヴのイメージで選んだ」と贈ってくれた
忙しいグレニスはドレスの打ち合わせに参加していないので、そのことを知らない。けれどグレニスならきっと、とても似合うと言ってくれると確信していた。
嬉しい気持ちの溢れるまま、ニコニコとしてグレニスを見上げる。
「グレンも、すごく凛々しくて見惚れちゃいます! よく似合ってますよ———その
グレニスの首から下すべてを覆っているのは、真新しい光沢を放つ金属製の鎧。
以前見た実用的なものとは違い、全体に精緻な彫刻の施された装飾的なものだ。
今日のため特別に
彫刻の模様は、勝利と愛の女神フィフォルシュオーネの神話をモチーフに。
全体に入った模様によって、遠くから見れば金色に、近づいて見れば銀色とわかる不思議な作りだ。
グレニスの表情はいつも通り険しく。きっちりと後ろへ撫で付けられたアッシュブロンドが精悍さを一層引き立てている。
「あの……兜はまだ着けないんですか?」
「ああ、向こうに着いてから………………はぁ。わかったわかった」
たっぷりの期待を込めて上目遣いに見つめれば、グレニスは諦めたようにため息をついて、従僕に持たせていた兜を被った。
「わぁぁ! とーっても素敵です!!」
「……それは何よりだ」
鎧同様、兜にも装飾的な彫刻が施されている。
形状は以前見たものに似て、上部の
「では、行くか」
「はい!」
差し出された腕に手をかければ、内部の熱を移した甲冑がじんわりと指先に熱を伝えた。
式を挙げるのは、百余年の歴史を誇り重要な式典にも使用される王都唯一の大聖堂。
大聖堂に近づくにつれ、沿道に集まった人々が馬車に向かって口々にお祝いの言葉をかけてくれる。
「ジェルム団長ー! おめでとうございますー!」
「団長さん、おめでとうー!」
「お嫁さん綺麗ー!」
「お幸せにー!!」
私はせっせと窓から手を振り返しつつ、落ち着いた様子で対面に座るグレニスをこっそりと見つめた。
この国の住人であればその名を知らない人はない、騎士団長グレニス=ジェルム。
数万からなる騎士を
今からこんなにすごい人と結婚するのかと、ちょっと尻込みしそうになる。
ああ、大好きな香りを嗅いで気持ちを落ち着けたい……。
すんすんと鼻を澄ませてみても、硬い甲冑に覆われたグレニスからは何も香ってはこなかった。
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