第55話 楽しみですね
「リヴェリー、もう安心していいぞ!」
夕食の席で、唐突に前侯爵様が言った。
「??」
「俺の団長退任の話がなくなったんだ」
ぱちくりと目を瞬く私に、グレニスが補足してくれる。
「じゃあ、スターシュ伯爵の件ではお咎めなしですか?」
「いいや。新人騎士の育成係として、父上が
「えっ!?」
それは結構大変なことではないだろうか。
前侯爵様は、グレニスの退任を差し止めるために無茶をしたのでは?
驚く私を、前侯爵様がはっはと笑い飛ばす。
「なあに、そう大したことじゃない。ちょっと城に通って、チャッチャとひよっこどもを鍛え上げりゃいいだけだ」
なんでも、元々騎士団を退く際に育成係にと打診があったにも関わらず、振り切るように領地に引っ込んで隠居生活を始めた経緯があるのだとか。
「俺は『半年間』と言ったんだが、陛下との交渉に破れてな……。陛下め、
前侯爵様のあんまりな物言いに、聞いているこっちがハラハラしてしまう。
長年騎士団長を務めていたということもあり、国王とは気安い仲のようだ。
「シェラ、引退後は二人でのんびりと過ごす約束だったのにすまない。またしばらくは、ここに留まって城通いになりそうだ」
「……娘と暮らせて嬉しい」
申し訳なさそうに眉尻を下げた前侯爵様は、夫人の言葉を聞いてぱっと目を輝かせた。
「おおっ、それもそうだな! 憧れの『娘のいる暮らし』だ! それも、飛びっきり可愛い娘がな!」
前侯爵様は白い歯を見せて楽しげに笑い、夫人も恐らく同調してだろう、きゅっと眉根を寄せてコクリと頷いている。
ふ、二人の夢を壊さないよう気を付けなくては……!
「騎士団長、続けられることになってよかったですね!」
部屋で二人きりになり、膝に抱かれ改めて団長続投を祝うと、グレニスは複雑そうな表情で答えた。
「……本当は父上の件があろうと、ユベルの陰謀を見抜けなかった俺自身の責任として団長を辞するつもりでいたんだ」
「えっ、そうだったんですか?」
「ああ。だが陛下に反対され……
グレニスの武骨な指先が、含みを持ってするりと私の頬を撫でる。
「署名って、もしかして———?」
「たくさんの名が並ぶ中で、家名付きの名はよく目立っていた。一体いつの間に書いたんだ?」
すりすりとくすぐられる頬が熱い。
この屋敷へ戻る途中、立ち寄った商店街の広場で書いたものを見たのだろう。
まさか本人の目に触れるなんて。内緒の想いが見つかってしまったかのようで、ちょっと恥ずかしい。
「———それを見て思ったんだ。俺が団長でいることを望んでくれる人がいるのなら、安易に退くことを『責任』とせず、国へのさらなる貢献を
「グレン……」
自分の考えに固執することなく、人々の想いを汲んでくれる。
生真面目で優しい、グレニスらしい結論の出し方だ。
「気付かせてくれて感謝している。父にも、リヴにも、俺を望んでくれた市民たちにも」
「その……責任とかはよくわからないですけど……、この国と国民を大好きだと言ってくれるグレンだからこそ、騎士団長でいてほしいと思ったんです。街の人たち、きっとすごく喜びますよ!」
こつりと額を合わせられ、至近距離から視線が絡む。
「リヴも喜んでくれるか?」
「もちろんっ! グレンがこの国の騎士団長でいてくれて、とってもとっても嬉しいです!! グレンがみんなを守ってくれる分、グレンのことは私が守りますからね! 結婚したら、妻として全力で支えます!」
そうだ、今度夫人に騎士団長の妻の心得を聞いておこう!
両手をぐっと握りしめ満面の笑みで答えれば、長い長いため息とともに、ぎゅううと胸に抱き込まれた。
「……明日は丸一日休みだ。早急に式の準備を進めよう」
「はい! 楽しみですね」
「ああ、待ち遠しいな」
そして次の日。
「……おい、本気で言ってるのか?」
「これだけは譲れません! なんと言おうと! これだけは!! ……グレンがなんでも希望を言っていいって言ったんじゃないですか」
一生に一度の結婚式に、妥協は許されないのだ。
「だが、式の予定は夏だぞ!?」
「それは……じゃあ、秋頃まで延期しますか?」
「いいや、式を遅らせることはありえない」
お互いに譲れないものを抱え、グレニスとの話し合いは続く。
一週間経ち。
「あー……腕がなまってたらいかんと思って、俺も鍛練しておこうと思ったんだが……。ちょっと場所を移すかな……」
「!! ———
しっかりと抱きしめられていて振り返れない!
「問題ありません。父上、一度手合わせ願えますか?」
「ああ……、まあ、それは構わないが……」
一切動じないグレニスに比べ、前侯爵様の方は大層気まずそうである。
申し訳ない。非常に申し訳ない。
もう二吸いしたら離れるので許していただきたい。
一ヶ月経ち。
目の前にずらりと並べられた宝石から、一つ摘み上げて襟元に当てる。
「ママ、この色はどう思いますか?」
「よく似合うわ」
ドレスも本格的に製作が進み、今日は式で身に付けるジュエリーに使う宝石選び。
グレニスは仕事で不在のため、本人たっての希望もあって夫人に同席してもらっている。
「こっちはどうでしょう?」
「よく似合うわ」
適当に相槌を打っているわけでないことは、瞳の輝きを見ればわかる。
表情は険しいけれど、きっと本当に似合うと思って言ってくれているのだろう。
「これとか……」
「よく似合うわ」
「あっ、この石も素敵ですね!」
「……全部買いましょう」
「!?」
ずずいと身を乗り出す商人に全力で首を振りながら、全部似合うと息巻く夫人を宥めつつ一種類に絞るのには難儀した。
二ヶ月経ち。
「マニー、調子はどう?」
「———なによリヴ、こんな所まで。呼んでくれればこっちから行くのに」
きょろきょろと周囲を見渡し人目がないことを確認したマニーは、庭掃除の手を止めいつも通りの口調で応じてくれる。
「忙しいマニーを邪魔しちゃ悪いと思って……。私の
「なーに言ってんのよ! 庶民の私が『奥様』の
天高く拳を突き上げるマニーの力強い姿を見て、迷惑だったのではという不安は綺麗さっぱり吹き飛んだ。
そうして月日は流れ、結婚式当日———。
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