第52話 パパと、ママ

「両親がこちらへ来るそうだ」


 専用のエプロンやワンピースまで用意してもらい、すっかり元通りの日課となった早朝鍛練の付き添い。

 逞しい腕に抱かれ、汗の蒸気とともに立ち上る香りをせっせと吸い上げていると、思い出したようにグレニスが言った。


「グレンのお父ふぁまとお母ふぁまが?」


「ああ、数日中には着くだろう」


「ふぉれって……グレンがさせられちゃうのを心配して来てくださるんですか?」


 胸筋の谷間から顔を上げ、首を傾げる。


 新聞を読んで居ても立ってもいられなくなった私のように、グレニスを心配してやって来るのだろうか?

 私がこの屋敷に戻ってから一週間余り。少々、タイミングが遅いような気もするけれど。


「いいや、そこまで過保護な親ではない。ユベル=スターシュの供述の件を伝えたからな、として責任を感じてのことだろう。それとリヴ、一つ勘違いしているようだが……」


「?」


「団長『退任』は、俺から申し出たことだ。無理に辞めさせられるわけではないから心配しなくていい」


「グレンから?」


「ああ。一族の者が大罪を犯したんだ。処分が決定するにはまだ時間を要すだろうが、当然の責任としてこちらから退任を願い出た。今のところ結論は保留にされているがな」


「そうだったんですか……」


 生真面目なグレニスらしいといえばグレニスらしい。


「……団長じゃなくなっても、騎士は続けられますか?」


「それは恐らく問題ない。俺自身が騎士の誓いに背くような行いはしていないからな。団長の肩書きがなくなろうと、国のために為すべきことを為すだけだ」


「そうですか……、よかった……」


 団長の件は結局スターシュの望み通りになってしまうようで悔しくもあるけれど、騎士という職に何より誇りを持っているグレニスから、剣までも奪われてしまうことにならなくてよかった。


 ほっとして再び胸に埋めようとした顔を捉えられ、上向かせられる。


「んむっ……! んぅ……、ふっ、……っ……! …………っぷはぁ、はぁ」


 満足そうに濡れた唇を舐めるグレニスを見上げながら……そういえば、まだ一つ心配事があったのを思い出した。


「あの……私、グレンのお父様とお母様に気に入ってもらえるでしょうか……」


「その点は大丈夫だろう」


 本当かなぁ……。








 そして予告通り数日後。

 グレニス不在の日中に、到着したばかりのグレニスの両親と玄関ホールで対面することとなった。


「やあ、君がリヴェリー嬢だな! ふむ、ふむ、愚息にはもったいないほど愛らしいお嬢さんじゃないか! なあ!?」


 改めて間近で見る前騎士団長———もといグレニスのお父様は、背格好も顔もとてもよくグレニスに似ていた。

 グレニスも歳を重ねたらこんな風にダンディーなおじさまになるのだろうかと、未来に思いを馳せてしまう。


 大きな違いといえば、ニカッと白い歯を輝かせ、グレニスは絶対にしないであろう快活な笑顔を見せている点だろう。


 隣で同意を求められたグレニスのお母様は対照的に無表情で、ほっそりした眉を僅かにひそめて「そうね」と頷くだけだ。


「あ、あのっ、リヴェリー=メイラーと申します。お目にかかれて光栄です、前侯爵様、前侯爵夫人。どうぞ私のことはリヴェリーとお呼びください」


 緊張に強張りながら淑女の礼をとる。

 どうやら前侯爵様は好意的に受け入れてくれるようだけれど、夫人の方はそうもいかなそうだ。


 まあ、そう何もかもがうまく行くはずもない。これから認めてもらえるよう頑張ろう。


「おお、挨拶が遅れてすまない。俺はダリオ=ジェルム。こっちは最愛の妻、シェラだ。こちらこそ会えて光栄だよ、リヴェリー。俺たちのことは、そうだなあ…………『パパ』と『ママ』っていうのはどうだ?」


 前侯爵様が質問を投げかけているのは、私ではなく隣の夫人にである。

 いやいやそんなまさかまさかと厳しめの冗談に笑う準備をしながら見守っていれば、夫人はなぜか、コクンと頷いて賛同の意を示した。


「ということで、遠慮なく『パパ』『ママ』と呼んでくれ!」


「は、はぁ……」


 これ以上なんと答えられようか。


「さて、俺はこのまま城に顔を出してくる。リヴェリー、また夕食のときにでも話そう。シェラ、荷ほどきを手伝えなくて悪いな」


 前侯爵様はそう言って夫人の額に口付けを落とすと、今しがたくぐったばかりの玄関扉から颯爽と出かけていった。


 荷ほどきのため使用人とともに部屋に向かう夫人を礼で見送り、玄関ホールに一人になって大きくため息をつく。


「パパと、ママ……」


 グレニスの両親との生活は、なかなかに前途多難なようだ。







 夕食は四人揃ってテーブルを囲んだ。


 前侯爵様は、よく話し、よく笑う人らしい。

 グレニスと私は時折振られる話に答えるだけで、ひとりでに会話が成立している。


 うちの実家でお母様がしていたような『面接』めいた意図は微塵も感じられず、振られる質問も「兎肉は食べたことがあるか?」だとか「椅子の座り心地は悪くないか?」だとか「普段どんなおやつを食べてるんだ?」だとか、どれもとりとめもないものばかりだった。


 物静かな夫人は話に相槌を打つ程度で、ちらりと目が合うと、また微かに眉をひそめられてしまった。





「グレン……、夫人の好きなものってなんれふか?」


 グレニスの膝の上。湯上がりのグレニスに抱きついて首筋に鼻を埋めながら、石鹸混じりの香りを堪能して気疲れを癒す。


「母上の好きなもの? さあ、そういった話をしたことはないな」


「むぅ……」


 好きなものをプレゼントして取り入ろう作戦は早速頓挫した。


 母親にとって息子というのは特別な存在で、ぽっと出の嫁に盗られるのは気にくわないものだと聞く。

 お母様だって、お兄様のお嫁さんがやって来た当初はかなり厳しく接していた。


 厳しいだけならまだいい。しかし嫌われすぎて「結婚は認めません」などと言われてしまっては大変だ。

 どうにか夫人に気に入ってもらえる手段を考えなくては……。

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