第51話 人を見る目

 じーっと真っ直ぐ瞳を見つめ続ければ、グレニスはしばしの逡巡のち観念したように口を開いた。


「……おまえさえ生まれなければ、今頃ジェルム家を継いでいたのは私だったのに」


「——————え?」


「開口一番にそう言われたよ」


「そんな……」


 信じられない。まるで生まれたこと自体が罪だとでも言うような、そんな酷い言葉を吐く人がいるなんて。


「俺の父のことは知っているな?」


「はい……、前任の騎士団長ですよね。お名前は確か、ダリオ=ジェルム様」


「ああ」


 田舎者でもその功績の数々は知っている。

 王室主催のデビュタントで遠巻きに姿を見たときには、なるほどさすが風格が違うと思ったものだ。

 もちろん今のグレニスだって負けてはいないけれど!


「ユベル=スターシュは、兄である俺の父と———そして俺を、ひどく憎んでいるらしい」


「憎む……?」


 領地で隠居するグレニスの両親に代わって、頻繁にグレニスの様子を見に訪れていたというスターシュが?

 むしろ、よっぽど兄弟仲がいいのだろうと思っていた。


「話を聞く限り単なる逆恨みだ。ユベルが何をされたわけでもない。ただ……語られる思い出の一つ一つが、父から聞いたものとは随分違っていてな」



 曰く、兄は自分を見下して、心の中で馬鹿にし続けていたのだと。


 代々騎士を輩出しているジェルム家において、兄弟は当然のように父親からの厳しい稽古を受けて育った。

 十以上も歳の離れた兄に敵わないからといって、ユベルに剣術の才がないなどと考える者はいない。ただ一人、ユベル本人を除いては。

 ユベルはもがき苦しみ、けれど諦めなかった。鍛練に鍛練を重ね徐々に力を付けて、ある日とうとう隙を突き、ダリオから一本取ってみせたのだ。

 ———しかしユベルが達成感を得ることはなかった。


 あのまま行けば今頃は俺より強くなっていただろう、とダリオが嬉しそうに語ったそれは、ユベルの中で『情けをかけて勝ちを譲られひどい辱しめを受けた』という記憶になっていたのだ。


 次第にユベルは剣術を避けるかのように、読書や勉学にのめり込むようになった。

 しかしジェルムは騎士の家系。無理矢理にでも剣の稽古に引っ張り出そうとする頑固な父親へダリオは、「剣の道は自分がすべて受け継ぐ。だからユベルには好きな道を行かせてやってほしい」と、必死に抗議したのだという。


 それもまた、『私に見切りをつけるよう父をそそのかした』という思い出として、ユベルの中に刻まれた。


 称賛も、思いやりも、本人の努力の成果さえ、すべてが上滑りしていった。

 とかく最初から、父の期待を一身に受ける兄ダリオに強い憧憬と劣等感を抱き、歪んだ憎しみを募らせていたのだ。



「父と母の間には長らく子どもができなかった。恐らくユベルは、そこに望みをかけたんだ」


 子のいないダリオが隠居すれば、その頃にはまだ働き盛りの年齢である自分が家督を継げる。

 騎士の道は諦めてしまったけれど、ジェルム家を継いで初めて兄と対等となり、亡き父に認められた気持ちになれるだろうと。


「しかし俺が生まれ、状況が変わった」


 正式な跡継ぎが生まれたことで、家督を継ぐというユベルの積年の願いは打ち砕かれた。

 さらにそのは、ユベルが手放した騎士の道を順調に進んでみせ、ついにはダリオの後任として騎士団長の座にまで収まったのだ。




「俺の存在が、ユベルの憎しみを助長させてしまったんだ……。今回の件も恐らく、俺の信用失墜を狙ったものだろう」


 事件を解決できず麻薬の蔓延を許し続ければ、王都の治安は悪化し、治安維持の主導者である騎士団長がその責を問われることになる。


 そこまでしてグレニスを……。


「そんなっ! そんなの……っ! グレンは何も悪くないじゃないですか!!」


 勝手に逆恨みして! 麻薬を流布して関係のない人たちまで罪に巻き込んでおいて!

 自分だけが被害者のような顔をして、グレニスを陥れようとするなんて!


 寂しげな顔をするグレニスの心までも抱きしめたくて、太い首筋にぎゅうぎゅうと抱きつく。


 グレニスは何も悪くない。

 騎士団長の座だって、決して息子だからというだけで継げるような甘いものではなかったはずだ。


「ああ、そうだな……。悪意で歪められた思い出を呪詛のように聞かされ続けるのは少々こたえるが、これも事件の全容把握に必要なことだろう。幸いこの屋敷内外に何かを仕込まれたという形跡は見つからなかったから、安心するといい」


 私が代わってあげられたらいいのに。

 変わりに悪意を受け止められればいいのに。

 慕っていた叔父から向けられる悪意は、どこまでグレニスを傷つけるだろう。


「……しかし身内の感情さえも見抜けずに人を見る目があるつもりでいたなど、我ながら聞いて呆れる」


「!!」


 バッと顔を上げると、自嘲気味に口端を歪めるグレニスの両頬を掴んでしっかりと目を見据える。


「そんなの見抜けなくて当然ですっ! 人が心の奥に隠してる感情なんて、神様にしかわかりませんよ! ……自分の心でもわからなかったりするのに……。もしそれを全部見抜ける人がいたら、世界中の犯罪を未然に阻止できてるはずでしょう!?」


「リヴ……」


「それに、グレンにはちゃんと人を見る目があります! だってこのお屋敷で働いてる人たち、みーんないい人ですもん!! 実際に行儀見習いをさせてもらった私が言うんだから間違いありません! だって、『旦那様は見る目がある』って言ってましたよ!」


 料理長はグレニスが生まれた頃からここに勤めているそうで、グレニスの人となりについてもよく知っている。その料理長が言うのだから益々もって間違いない!


「……バートンが? なぜそんなことを?」


 不思議そうな眼差しに、大袈裟なほどえっへんと胸を張ってみせる。


「私を結婚相手に選んだからですっ!」


「…………」


 グレニスはぱちぱちと瞬いて、意味を理解するにつれ緩やかに目を細めた。


「ふっ……確かに。その点については誰よりも見る目があったようだな」


 頬を撫でられ「そうでしょう、そうでしょう」と大きく頷きながら、微かに笑顔を見せたグレニスに心の中でほっと安堵の息を吐いた。



 そこまで『兄』グレニスの父とグレニスをうとみながらも、スターシュが直接危害を加えようとしなかったのはなぜだろう?

 チャンスはいくらでもあったはずだ。

 市民を巻き込んで麻薬を蔓延させ、治安の悪化から団長解任を狙うなんて、随分と回りくどいような気がする。


 ただ単に、手に入れた地位を失って絶望に堕ちていく様が見たかったのか。

 幼き日の兄を投影し、『自分には決して敵わない存在』として自己暗示にかかっていたのか。

 それとも、人に危害を加えようと考えるほど根っからの悪人ではなかっ———

 いいや! こんなにもグレニスを傷つける人間は悪人に決まってる!!


 守るようにぎゅっとグレニスを抱きしめる。


「グレンっ、泣きたくなったらいつでも胸を貸しますからね!」


「それは心強いな」


 逞しい腕が、ようやく安心したように私を抱きしめ返してくれた。



 そうして今夜も、グレニスの頭を抱いて眠りについたのだ。

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